>最終責任者的存在ながら
戦前の天皇が日本の国政に最終責任があるかどうかは議論の残るところです。
天皇に最終責任があると言う人は、天皇制を絶対王政のように考えているからですが、戦前の天皇制はどちらかと言うと立憲君主制に近いものです。
立憲君主制では政治の最終責任は宰相(議会制を取る日本では首相)が取るものなので、天皇に最終責任があるとは言えません。
では、本当に戦前の天皇制は立憲君主制だったかと言うとそうではありません。立憲君主制では政治(軍事を含め)の権限は首相になければならないが、統帥権の法的根拠となった大日本帝国憲法第十一條(天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス)があるように、完全に立憲君主制ではありませんでした。つまり立憲君主制と絶対王政のチャンポンみたいな国家だったのです。
ですから、天皇に最終責任があるかないかの議論がいまだに決着がつかないのです。
>A級戦犯になることもなかったようですがなぜでしょうか?
日本を占領していたアメリカ政府は、どちらかというと日本を絶対王政に近い国家とみなし天皇に戦争責任を取らせるつもりでいました。それに真っ向から反対し、天皇の戦争責任を追求しないとしたのがGHQのマッカーサーです。
マッカーサーは日本に入る前まではアメリカ政府同様、天皇の戦争責任を問題にしていましたが、実際に日本に来たときに考えが変わったようです。
天皇が占領者のマッカーサーの所まで会いに来て、「戦争の責任は全て自分にある。日本国民には責任はない」と言ったため、その人柄に打たれたと言う話があります。
実際にそうでしょうが、天皇の戦争責任を追求しないと決めたのは日本国民の天皇に対する絶対的な信頼感を目の当たりにしたためだと思います。
戦争直後、日本の新聞各社は天皇制廃止を訴えていました。新聞各社はこれだけ悲惨な戦争の直後だから、国民は天皇制に飽き飽きしているだろうと世論調査をしましたが、天皇の支持率はほとんど100%に近いものになりました。新聞各社はこれを公表すると天皇制廃止が出来なくなると、この世論調査の内容を握りつぶしたほどです。
これほど日本国民に信頼されている天皇に戦争責任を取らせ処刑してしまえば、これからの占領政策がうまくいかず、最悪の場合、後のベトナム戦争のように内戦になる危険を感じ取ったのでしょう。
その天皇の身代わりとして差し出されたのが東條英機です。記録でそのあたりのいきさつも残っています。
>あと実際にどのようなことを決定したんでしょうか?
昭和天皇は実際の政治決断にはほとんど関わっていません。
その理由は、昭和天皇自身が自分を立憲君主制の立憲君主と考えていて、そのように行動していたからです。
立憲君主は首相が議会で決めた事を追認するのが仕事で、自分から能動的に決定に加わってはいけないからです。
ただ、立憲君主が政治決断をする例外的な場面もあります。それは直面した問題があまりにも大きくて、首相が自分で決められない場合に立憲君主に決定をお願いすることがあります。
そのような状況で昭和天皇が政治決断をした事柄として有名なのは以下の3点です。
1.二・二六事件での事件の収拾方法。天皇は事件を反乱と定義づけた。
2.昭和十六年の東條英機への首相就任の下命。
3.昭和二十年のポツダム宣言受諾の決定(日本の敗戦を決めた)。
2.について注釈を
東條英機を首相に指名したことで昭和天皇に戦争の意志があったとする人がいますが、実際は逆です。
当時の日本陸軍、特に関東軍は統帥権を理由に日本政府に従わず、独自の判断で勝手に中国と戦争をしていました。その結果、昭和15~16年の頃にはアメリカとの直接戦争の危機に直面していました。アメリカとの戦争を避けるためには、関東軍の暴走を止める必要があります。
そこで選ばれたのが東條英機です。彼は軍部に影響力のある人で、彼もアメリカとの戦争には否定的でした。
昭和天皇が東條英機を首相に指名したのは、彼の政治力で関東軍を押さえるのが目的でした。
お礼
お忙しい中ありがとうございます♪ これだけの内容を一人で調べていたら、、大変でした すごく参考になります 天皇って今でも不思議ですよね~ TVもない昔ならなおさらです 東條英機についてはあまり知らないので明日にでも調べてみます