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ソーカル事件をどう思いますか?

1994年に物理学者のアラン・ソーカルが難解そうで意味ありげだけど無意味でデタラメな内容の疑似論文を哲学の専門誌に投稿したら掲載されてしまった事件がありました。 ソーカル事件についてどんな感想をお持ちですか?お聞かせください。

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回答No.4

平易な言葉で語りかけるのではなく、 仲間内で難解な言葉遊びをしてるポストモダンは、 実は皆が何も理解してなかったことを、痛烈に皮肉った事件だったと思います。 アラン・ソーカルの素晴らしい所は、人文そのものを馬鹿にしてるのではなく オマエラしっかりしろよという警告だったことです。 しかし、その事件は日本に活かされたとは思いません。 それは心理学化する社会と社会の社会学化に見て取れます。 自分の専門分野以外に原因を求めない人が増えたと思います。 しかも、学者が内に篭ってる割には査読すらされてないのでは? と思うような粗製濫造の論文も多く出されています。特に社会学は酷い。 外に出てくるなら市井の人々からも審査を受けて、 実態と違うとツッコミが入るのですが、論文を読む人は稀です。 それをいい事に、そのまま権力と結び付いて御用学者となる人が多いです。 これは非常に危険と言えるでしょう。

参考URL:
http://sinegami.s67.xrea.com/moriteppei.com/review054.htm
stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 日本の論文でもソーカル事件的なことがあるとすると深刻ですね。 確かに論文を読むのは一部の人で、批判が十分じゃないのかもしれないですね。

その他の回答 (5)

noname#221368
noname#221368
回答No.6

 #3です。 >というのは、哲学にあまり興味がなかったのか、あるいは「まあ、そんなこともあるだろう」ともともと・・・  当時(英語は毛嫌いして)、浅田彰,柄谷行人,舛添要一,栗本慎一郎なんかをつまみ食いしてました。今思うに、ポストモダンの流行と学会のトリックスター達の活躍は、バブル経済の仇花だったなぁ~です。  正直、浅田彰と柄谷行人の著作は面白かったのですが、今や鳴かず飛ばず。栗本慎一郎は「精神は科学だぁ~」とクオリエめいた事を唱え出してからは、あっちの世界の住人になったみたい。もともと政治学者だった舛添さん一人だけが、政治家に転身し持論を実践しようとしたが、公金不正使用疑惑が出ちまった・・・。  こんな雰囲気なので、ソーカル事件についても「ポストモダンあるある」の一部として、あんまり気にならなかったのかも知れません(^^;)。  余談ですが、ラカンやラトゥールは二流ではないと思います。ポストモダン流行の基礎になったポストモダンの基礎理論を作った人達です。ソーカルが批判したのは、ラカンやラトゥール、量子論なんかを「安易に誤用する」流行に乗った学会のトリックスター達だと思います。それも相当にコケにしたやり方で・・・(^^;)。  ポストモダン関連の本で意味があると自分が思えるのは、浅田彰,柄谷行人の一連の著作と、   「虚構の近代,ブルーノ・ラトゥール,新評論2008年」 だけです。特に最後の本は、バブルも終わりポストモダンなんて影も形もなくなった後に出た本でした(日本では)。  ラトゥールさんは哲学から文化人類学へ転身した人で、記憶違いでなければ科学史も半分専門です。文献調査を伴ったフィールドワークを行い、科学史を文化人類学的に見直すという事までやっています。ポストモダンの本質を哲学的に理解しながら、科学の安易な誤用なんかはするはずがないと思える人です。

stmim
質問者

お礼

詳しい説明をどうもありがとうございます。 ソーカル事件のようなことがあると哲学者の誠実性というのを疑ってしまいます。難しそうなことを書いて煙りに巻いているだけなんじゃないの?と ご説明を聞くと、そんなことはなさそうですが・・・ ソーカルにしてみると哲学者は自然科学で使われる数式をよく理解もせずに安易に使っているということなのでしょう。

回答No.5

駄々捏ねですね、二軍同士の目くそ鼻くそ笑いに過ぎない。 T.クーンの科学パラダイム論以前だと、科学者自身からも逆批判されたとか、。科学自体の誤謬性と限界位は知っとけ,と云うのでしょう、ゲーデルやアインシュタインの苦悩位は。 思った以上に米国では人文科学に対するressentimentが有るのに驚きました。哲学なんて其れ程に目の仇にしてもしょうも無いと思ってたけど、。 米国内の事情だな、ハンバーガーdeconstruction,と云って、理解もされずに唯流行ったのを良く思わなかったんでしょ。でも当人のデリダは直接批判されてないのね、ソーカル氏は最低限の誠実さで周到に避けたかな、。理解出来ない人は言葉遊び呼ばわりしますが、解らない事は悪とせず、自分の読解能力の無さだと自覚出来る誠実さです。其の論文以前にはデリダの初期インタビューを批判してたらしいけど其処まででしたね。デリダは大人の対応だったようです。~事件受けて、浅田彰を批判した科学者も居たそうですが、阪大の同じ科学者から逆批判受けて撤回したと出てますわ。 80年代から、浅田や柄谷、中沢の科学言舌引用は批判も受けてたけど、まあ枝葉でしょ。どうせなら思想本体を批判すれば良いのに其の力は無い。勿論、曖昧な記述は明晰にすべし!と当の浅田が答えてら、其れで終わり。~逆に柄谷は、 自然科学者が哲学を引用するのが最も危険!、最悪の観念論に飛び付くから、と批判してる。西田幾多郎やニーチェの悪用ですね、アトムの悪用も止められる倫理学が無いとね。多田免疫理論とかが危惧されてたかな⁈ ソーカル論文の掲載誌は、ポスコロ; カルスタ社会学の雑誌でしょ、其れらは所謂ポスト構造主義の学者が歳で引退した頃に出張って来た二軍でしょ、哲学よりは一段低いと看做され批判されてましたね、というか相手にしてなかった感あり。 抑抑も近代哲学は、哲学神学批判として展開されて来たのであって、 E.カントは自説を哲学と呼ばないでくれ!と、Kritic吟味と自称してる。判断力批判、根幹でしょ、哲学には限界が有りますよ、皆さんにも解らない事が有りますよ、其れを先づ自認しましょと。自然科学は其れ忘れがち。更に背後に倫理学の定言が控えてる。 ★Sir.R.ペンローズ.の宇宙物理学を私は好みますが、脳内の「波動関数の量子的な収縮」が意識である、とかトンデモ学説ではないのか、吟味しなくて良いの?、一般学者には手に負えないのかな。でも突拍子無いアイデアこそ大事!とミチオカク教授が言ってたな。 ●査読無し、は話にならん。理研のオボちゃん上司と同様のお粗末君でしょう、理系文系問わずダメな学説は淘汰されるべく吟味し、且つ多少瑕疵があっても可能性の物は擁護しなきゃイケマセン。ガリレオのトンデモ学説も誰かが認めたれよ!と云う事、リテラシーと云う。自己愛で自分野だけ擁護し他学門を貶めるのは問題外の子供じみた業です。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ソーカルがどんな研究者なのか私は知りません。哲学者についても詳しくないですが(ソーカルが批判した)ラカンやラトゥールなどは名前だけはよく聞きますが哲学者としては二軍なのですね。 「自然科学者が哲学を引用するのが最も危険!」というのはわかる気がしますが自然科学系の論文で哲学の論文を引用することはあまりないような気がします。 掲載された論文が哲学としては二流誌なのですね。 知らないことがいろいろわかりました。

noname#221368
noname#221368
回答No.3

 件について自分は、そういえばそういう事もあったかも知れない、程度の記憶しかありませんが。  理系の一部のその筋の人達(どんな人達かは言いません(^^;))にとっては、一種溜飲を下げたような事件だったかも知れませんね。日本では浅田彰に対して似たような批判があったようですが、浅田さんはそんなに馬鹿みたいな事は言わなかったと思いますよ。  でも、「査読なしだった」ってのはまずいな・・・(^^;)。

stmim
質問者

お礼

私はこの話を聞いたときかなり驚きました。 ddtddtddtさんにとってはそれほど印象はないのですね。 というのは、哲学にあまり興味がなかったのか、あるいは「まあ、そんなこともあるだろう」ともともと思っておられたのか、そんな感じでしょうか。

回答No.2

哲学は漫才と同じですから、視聴者が楽しめれば、真偽の程はどうでもよいのです。 視聴者が楽しめなくても、演者本人が楽しければよいという人もいるくらいです。 その意味で、アラン・ソーカル氏も「落語家」として哲学の本質を見抜いていたといえるでしょう。尊敬に値しますね。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 哲学が漫才と同じというのは辛辣ですね。 確かにそれが正しいというよりは読んだ人にいかに印象を与えるか、芸的な観点もありますものね。 哲学全体がお笑い的なものかというと・・・・私はそう思わないですけど。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.1

人文学という学問がいかに当てにならないか、 という証拠みたいな事件ですね。 幸福度ランキング、というモノがありますが、 これなども、社会学のこの手の調査がいかに デタラメかを示すモノだ、という人も少なく ありません。 ノーベル経済学賞を受賞した マイロン・ショールズとロバートマートン が経営者になったLTCMというヘッジファンドの 会社は空前の赤字を出して倒産しています。 これなどは経済学というのがいかに当てにならないかの 証拠みたいなものでしょう。 科学的社会主義なんてのもミジメな結果を招来 しただけに終わりました。 要するにです、自然科学以外はどれも当てにならない ということではないですか。 ちなみに、ワタシは理系です。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 デタラメな内容の論文が通って掲載されたというのは驚きですね。 それらしいことが書いてあればOKなの?という疑念が湧いてきます。 査読がなかったという事情もりますが。

stmim
質問者

補足

書き損じです:事情もありますが。

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