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変えると繰り返すをどうすべき?
変えるばかりと革新的な事柄が出てきます。 反対に、最初の新しいことばかりだと心理学か何かの二重過程理論やまたその経験がないため、失敗や間違えも多くなります。 また浅くなります。 繰り返すばかりだと、2回目以降は間違えも減り、だんだんよけいな情報など省いてとりくめます。反対にずっと単調に同じです。新しいことはありません。 世の中に経験が科学になってたりもします。 どちらも問題かと思いますが、2つをどうするべきなのでしょう?
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noonsoir69さん こんばんは。 私的なことですが、バスに乗ろうと走ったら、足を痛め、自宅療養中です。 心理学的見地から言うと、「繰り返し」、すなわち「リハーサル(復唱)」というのは、記憶を数秒単位の短期記憶から、数分から何十年にもわたり記憶する長期記憶に移行させるために必要不可欠なことと考えられています。 生物学的見地で言えば、海馬という脳の部位で起こる現象です。 そして、長期記憶に保存させた記憶こそが、「知識」と言われる物になるのです。 「知識」なしには、新しいことを考えようにも、無理です。 人間、外界から取り入れた、「知識」をいかに組み合わせるかという過程において、また、その結びつけ方の試行錯誤の中に、新たな「創造」というもの生まれるものと私は考えます。 頭の中で「知識」というものにすべく、本を読んで「知識」として記憶する、単なる繰り返しの作業というのも、難しいものです。馬鹿にはできません。 しかし、それをオリジナリティーある、新しいものに「創造」するのは、もっと難しい。 明治時代、福沢諭吉らと共に、外国語の日本語訳を考えた西周(にしあまね)の言葉を書きます。 「いたずらに多くを知るのみをもっては学問とせざるなり。其の源由(原因)よりして其の真理を知るを学問と為すなり。」 学問とは、いかに厳しいものか。 気軽に哲学カテにおいて質問して回答に納得するようでは、いけないと思います。ただのにわか知識と、受け売りと思います。 では、私は修行に戻ります。
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- hekiyu
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歴史の連続性を維持しながら、必要な箇所を 部分的に少しずつ変えていけばよいと 思います。 ワタシは保守思想ですが、保守といっても変化を 認めない、ということではありません。 時代に応じた変化は必要です。 しかし、文化の軸となるような変化はやる べきではない、 少なくとも、安易に行ってはならない、と 考えています。 社会主義の失敗を目にして、そういう考えに 到りました。
お礼
変革というのもその物事をかなり把握してないといけないですよね。 当然、乱発できるようなものではないですね。理解不足でやるとおかしくなりますし、物事にはまだ知られてないことも多いですね。 ご回答ありがとうございます。
- 雪中庵(@psytex)
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生物は、細胞核の中に2セット以上(人類は2セット)の遺伝子を持ち、表面的にどんなに安定しても多様性(=フレキシビリティ)を確保しています。 多様性こそ、変化と安定の両立の源泉です。
お礼
>多様性こそ、変化と安定の両立の源泉です。 そうかもしれないですね。おもしろい言葉と思いました。 ご回答ありがとうございます。
- kaitara1
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繰り返していると余裕が出てくる。この余裕は必ず新しいことを生み出す。つまり繰り返すことが変化する原動力である。むしろキチンと繰り返すことが難しい。
お礼
効率化して、変える部分もでてくるですね。 ご回答ありがとうございます。
お礼
繰り返さないから、知識が蓄積しない。 浅はかな人が増えてしまうかもしれないですね。 ご回答ありがとうございます。