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ボランティアの意義
最近,公的施設で外国人に日本語の指導をしています。 生徒の年齢は23歳から40歳くらいまで,全く日本語が出来ない人,母国で2,3ヶ月修得して来た人。 外国人,中でも中国人につて。一般的に日本人の感覚から言えば,一人のA先生にワンツーマンで指導している場合はA先生に習う。しかし彼ら多くの生徒は別の時間,日時に別のBポランテァの人に,又曜日時間帯にC先生に習う,教本はA先生のものをC先生の所で習う。別の補習学校の教本の宿題を持ち出して指導を仰ぐ。 泰然自若として構えるか,他のボランテァの方からも相談を受けるのですが,如何したものか迷っています。もし私自身外国に行けば,教えてくれるひとが多ければ多いほど助かる,然し何かフッ切れません。皆さんのご意見を聞かせてください。
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質問者が選んだベストアンサー
先生と生徒の関係というよりも、 友達のような関係でいれば良いのではないでしょうか。 学生時代、宿題が出て、1問どーしてもわからなかったら、 先生に聞きに行く前に、友達聞いたりしませんでした? 「これ、わかる?」って。 その友達が、答えがわかればいいですけど、 答えられなくても良いんですよね。 一緒に考えてみたり、他の友達に聞いてみたり。 答えが出なくても、話を聞いてくれた、一緒に考えてくれたっていうので、 「まーいっかな」って答えがわからない不安は消えちゃう。(良くないけど..(*^^*ゞ) 今の質問者さんの立場って言うのは、 「国語が得意な友達」「頼りになる友達」のような感じなんじゃないでしょうか。 「先生」だったら、答えが出ないと責任問題になっちゃうだろうし、 他の先生の宿題に答えてはいけないだろうとも思います。 他の先生の教え方に下手に口出しするのは、生徒を惑わせちゃいますから。 「ボランティア」は「先生」じゃなくて「友達」ってことで、どうでしょう? 職業としてお金貰ってるわけじゃないですから。 もっと、気楽に外国の方と接して良いんじゃないかなと思いました。
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社会人相手の教室なんかだと、最近は特定の担任を決めない方式が流行ってるみたいですよ。 子供相手の学習塾なんかは、ワンツーマンをウリにしてるところとかありますけど。 ワンツーマンだと、たとえばあなたが病気などで欠席したとき、他の先生ではフォローできませんからね。 どうしてもそれが嫌なら、あなたは絶対に病気しないロボットみたいな身体を手に入れるしかないでしょう(^_^; 彼らは日本という異国の地で不安を抱えて生きてるんです。ボランティアならば、その彼らの不安を助長するようなことは考えない方がいいんじゃないでしょうか?
- misakochan
- ベストアンサー率11% (24/201)
それが中国人、と割り切って下さい。
お礼
昔と採った杵柄。が邪魔をするとでも言うのですかね, プライドは捨てて,社会の奉仕と割り切ってやっていますが,「自分の為に役たつものは誰でも」の心境が理解できないのです。