- ベストアンサー
要約タイトル
- 和約成立への道
- ロシアの攻撃が失敗
- ブルシーロフ攻勢の成功
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
以下のとおりお答えします。 ナロッチ湖周辺での、ロシア軍の(非)活躍ぶりを述べています。 >Meanwhile Kuropatkin's advance from Riga, begun on 21 March, was beaten back within a day with the loss of 10,000 men. A minor success was achieved however by General Baluyev's Second Army, which advanced a few kilometres along the shores of Lake Naroch while under cover of fog. ⇒その間、リガからのクロパトキンの進軍は、3月21日から始まったが、1日以内に10,000人の兵士を失うという大打撃を蒙った。とはいえ、1つの小さい成功がバルエフ将軍の第2方面軍によって達成された。それはナロッチ湖の沿岸沿いを霧に包まれて数キロメートル進軍したことである。 >Artillery attacks continued into April but German counter-attacks succeeded in recovering what little ground the Russians had succeeded in capturing. The attack had not caused the Germans to divert resources from Verdun; in this respect alone it was therefore a notable failure. ⇒大砲攻撃は4月に入っても続いたが、ドイツ軍の反撃は、ロシア軍が攻略していたわずかな領土を(すべて)回復することに成功した。この攻撃で、ドイツ人にヴェルダンから兵や資源などを転換させるようなことはなかった。したがって、この点だけでは、それ(砲撃)は著しい失敗であった。 >Shortly after the Lake Naroch debacle the Russians heeded another call for help, this time from the Italians. The Russian response on this occasion however was markedly more effective: the Brusilov Offensive. ⇒ナロッチ湖の失策後まもなくして、ロシア軍は別のイタリア軍からの援助要請に注意を向けた。こういう機会でのロシア軍の反応は、たとえどんなに際立って有効(か未知数)であっても、それはすなわち、「ブルシーロフ攻撃」であった。
お礼
回答ありがとうございました。