ボードレールの詩 《聖ペテロの否認》
かれは何を言おうとしていたのか? これを問います。
たたき台として:
◆ 聖ペテロの否認 Le reniement de Saint-Pierre ~~~~
神には天使たちの受けた抗議の電話が届いていないのか。
セラフィームたちは 今や来る日も来る日も汗だくで応対しているではないか。
まさかこのわれわれの咎めの電話が鳴っても 子守唄にちょうどよい
などということはあるまいに。
ひょっとして いやまさか 神はたらふく食って飲んでご満悦だ
というわけはあるまいに。
あのイエスにしたがい人びとは
次から次へと死地に追いやられるわ刑罰を受けるわ。
この人たちのすすり泣く声も 父なる神には持って来いの調べなのか。
それでも一向に動く気配は見当たらぬ。天使たちもよく見ると澄ましたものだ。
たしかに人びとは神を愛していた。そりゃあ勝手に愛したのさ。
それにしてもイエスよ。あんたはあのオリヴの園で
神なる父に懇願していたぢゃないか。
そのあとあんたにははりつけの釘が待っていた。
こんこんと打たれる釘の音もむろん父なる神には心地よい音色であったとは。
あぁ きみはローマ兵らにつばきを吐きかけられていた。
吐きかけられるにまかせていたきみは ばかか。
あたまにかぶせられたいばらのかんむりも
ちっとはとげが刺さったかい? 痛かったかい?
神の子ったって 人の子だろうよ。
やがて腕が血を流してだらりと垂れ下がって来た。
くしゃんとからだが縮こまった。
見ろよ まだ生きていらぁ。汗を吹き出させて生きていらぁ。
だったらみながさげすみの心を向けておまえを見ているのが分かるだろ?
おまえはあの棕櫚の主の日にろばに跨って入城して来た。
その歓迎を受けた日のことがかえってうらやましいか。
国中の棗椰子の枝が道端に並び振られていた。
あの華々しきついこのあいだの日がうらめしいか。
あるいはその前には喜び勇んで おまえは神殿で
物売りたちを咎めていた。鞭まで振り上げて。
ようやく独裁者になったと思ったか。そのことも
悔やみの種か。それがいま磔で槍が突いた脇腹の痛みよ。
そうだろう? 夢のやぶれたキリストなんておいらはおさらばさ。
あんたが逝ってしまうのならおいらはつるぎを振りかざして人をころし
あんたから地獄行きの宣告をいただくほうがましさ。
あのペテロもあんたをあのときは裏切ったではないか。三回も。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ かれは割り合いにしてかなりキリスト者であった。字面に似合わず そうなのではないか? 質問者としてはこう問うています。さしづめ《神の沈黙(――沈黙する神 あるいは 隠れたる神(デウス・アブスコンディトゥス)――)》といった主題でしょうか?
資料:
▲ 原詩および英訳二編: FleursDuMal.org
《 Le reniement de Saint-Pierre 》
http://fleursdumal.org/poem/189
ただし 一つ目の英訳に文字化けがあります。
○ naïveté ・・・ x naヤveté
▼ 日本語訳:お手数ですが 次の論文のpp.33-35を参照してください。
・松本勤:ボードレール「聖ペテロの否認」について
Le Reniement de saint Pierre de Charles Baudelaire
http://doors.doshisha.ac.jp/webopac/bdyview.do?bodyid=BD00011366&elmid=Body&lfname=kj00000128910.pdf
☆ 聖書ないし神学にかかわっていますので 文学あるいは言語のカテではなくここで問います。
取り敢えず問い求めをすすめるという出で立ちで立ち上げました。必要なことがらなど出て来ましたら そのつど対処してまいります。分からないところや出来ないことがあった場合には そうお伝えします。
たたき台の自由訳ぶりを上回るいっそう自由ないろんな感想もどしどしお寄せください。
お礼
みなさん回答ありがとうございます