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組織
能ある鷹は爪を隠すということわざがあります。 聞いた話ですが、組織の中で、能力が高い意味でも低い意味でも一人だけ抜きん出ていても、組織が上手く回らないということらしいです。 その抜きん出た人は、その組織から排除される方向なのでしょうか。類は友を呼ぶとありますが、類ではない人は逆なんでしょうか。 能ある鷹は爪を隠す技術があるから能あるので、隠す技術のない人は能なしになりますか。 組織論として日本は抜きん出た人を作らないようになっているのでしょうか。
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>能ある鷹は爪を隠すということわざがあります。 実行能力がある人は口数が少ないという意味です。 >抜きん出た人は、その組織から排除される方向なのでしょうか。 組織の種類によります。 例えば、市役所の戸籍課で住民票を発給する組織があるとします。この組織では、職員が同レベルである方が平和ですので、特殊能力のある人は不要です。 一方、人工知能開発をミッションとする組織があります。この組織では、研究者の一人一人が特殊分野(=専門分野)でのトップノッチでなくてはなりません。平均的な人ばかりでは世界の最先端の人工知能開発はできません。 >能ある鷹は爪を隠す技術があるから能あるので、隠す技術のない人は能なしになりますか。 口数を減らせばよろしい。 必要のない時に自分の意見など主張しないで、だまっている事ができる人物になることです。
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- amenhotep2000
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fuchsia221さん こんばんは 最近、哲学書ではなく、心理学書を読んでいたら、リーダーシップ論として、下記のような 三隅二不二という人が唱えた理論が、書いていました。 https://kotobank.jp/word/PM%E7%90%86%E8%AB%96-169281 1966年に唱えられたものだそうで、現在でも有効な理論かわかりませんが、この中のM行動、すなわち、メンバーの立場を理解し集団の中に友好な雰囲気を産み出す行動というのは、大切と思います。 また、松下幸之助経営塾PHP研究所というサイトからの引用ですが、松下幸之助の理念に下記のようなものがあります。 「松下幸之助は若いころ病弱であったから、みずから先頭に立って仕事を進めることがむずかしく、いきおい人を信頼し思い切って仕事を任せざるをえなかった。そうすると、任された人はいきいきとそれぞれの持ち味を発揮しながら、期待に応えてくれる場合が多かった。また創業当初の松下電器は無名の町工場であり、有能な人材の獲得は、なかなか思うにまかせなかった。それだけに人材の育成には格別の力を注いできた。 そのような体験を踏まえて、松下幸之助は次のような考えをもっていた。 人間はあたかもダイヤモンドの原石のようなものである。ただの石はいくら磨いても光らないが、ダイヤモンドの原石は磨くことによって光を放つ。しかもそれは、磨き方いかん、カットの仕方いかんで、さまざまに異なる、燦然(さんぜん)とした輝きを放つのである。 人間も同様で、だれもが磨けばそれぞれに光る、さまざまなすばらしい素質を持っている。だから、人を育て、生かすにあたっても、まずそういう人間の本質というものをよく認識し、それぞれの人が持っている優れた素質が生きるような配慮をしていくことが大切である。 それぞれの人が持っている無限の可能性を信頼する、ということがやはり基本で、そういう認識がなければ、いくらよき人材がいても、その人を生かすことはむずかしい、というのである。」 以上のことから、私の私見を加えると、 「能ある鷹の爪は人を磨く」 というのが、本質ではないかと思います。 そのような、リーダーがいたら、組織の中において、人材を、その人の能力を見極め、最大限に生かせる適材適所に配置することにおいて、個人はダイヤモンドに輝くことのでき、人の目を気にして爪を隠す必要はなく、逆に思う存分、爪を使って、三隅理論におけるP行動(目標達成への行動)を行うことが出来るのではないでしょうか。 しかし、そのような、人物になるためには、「己」と「他人」を良く理解している能力がなければなりません。 そのためには、「私とは?」「人間とは?」という、昔から連綿と続く、哲学から学ぶことも必要ではないかと思っております。 心理学から入りましたが、哲学カテということで、まとめてみました。 では、修行に戻ります。
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ご回答ありがとうございます。正直現実は磨きたいと望んでいても、行動が伴わない人たちもいます。その理論は今までの習慣からある上段階へのレベルに移行するという組織に適用できるのかと。そのような志をもった人しか受け入れていなかったと思います。
- hekiyu
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能ある鷹は爪を隠すということわざがあります ↑ 米国では、ウルサイエンジンには油を差せ ということわざがあります。 日本は何よりも和を大切にします。 島国ですから外敵の脅威よりも、仲間内の和の 方が大切だったのです。 その結果、個々の能力よりも、全体の和を 重視する社会になりました。 だから、能ある鷹ということわざが日本に ぴったりしたのでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。
状況がどこまでシビアか?、という程度問題はありますので一般論です。 突出して能力が高くても、性格が良ければ大概大丈夫です。仕事能力は高くても、性格は普通だったり、馬鹿だったりすると周囲から愛されたりします。もう一つは、相手のプライドを謙虚に尊重する人です。 上記が出来た場合、結局「普通の人として話せる」ので、排除されません。ここで重要なのは「フリ」では駄目だという事です。自分の能力故に本当は相手を見下しているケースでは、いずればれます。長もちしません。 仕事なんて、しょせんは特殊技能だからです。そこに気づいていないと、「人としての小ささ」がばれます。 面白いのは、突出して能力が低くても、高い場合と同じ状況が起きる事です。対人関係に関して人間は、けっこう敏感ですよね(^^)。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- 雪中庵(@psytex)
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日本は、ジャポニカ米稲作農耕文化と、島国文化という、 集団主義的文化の重なった、世界でも稀有な国である。 集団主義=協調性において、「出る杭は打たれる」事に なります‥‥例外的なリーダーを除いて。 かつては中国、明治維新はヨーロッパ、戦後はアメリカと、 本来は変化しづらい集団主義なのに、リーダーに率いられ ると、無批判について行って簡単に変化します。 その手法を使ったのが、小泉さんや安倍さんで。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- kohichiro
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組織論に関係が深い同種の格言は「出るくぎは打たれる」ではないでしょうか。集団的になあなあで動く日本村的組織では、不断に目立つ、異論を唱える人間は排除される(されて当然だ)というほどの理由でしょう。 「能ある鷹は爪を隠す」はむしろ道徳律の法から出たものだろうと思います。さかしらに自分の(自信を持っている)能力を他人に見せびらかすものではない。ここぞということだけにそれを提供すれば、自他共にウィンウィンになるのだ、というほどの意味だと思います。 >隠す技術のない人は能なしになりますか。 まあ結果的に他人に虚栄心のたかいスノッブとして冷笑されるということでしょう。 >組織論として日本は抜きん出た人を作らないようになっているのでしょうか。 和を重んじるという聖徳太子の組織論が基調にあったのではないでしょうか。農耕民族で、ほぼ単一民族とされる均質な、小集団の総合ですから、他民族の侵攻もなく、英雄があらわれにくい、必要としなかった風土だったともいえます。儒教の家長主義がそれを支え、現代でもトヨタ生産法式などは集団思考の成功例ですね。
お礼
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- tokx367
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確かに、組織論と言うよりも”リーダーシップの執り方の方が解り易く無いでしょうか。 日本人は、元々”農耕民族で、集団的合意:コンセンサスこそ、団体行動の意志として、万事冷静に、用心深く行動すれば必ずしや、長期に渡り安定した、更には、周りに”己の敵になるような、危険な要因を、排除しておけば、禍根となるやの阻害要因含む、ミスも無かろう。・・・と、言う解釈をしております。 ”選挙活動で、例えれば”出たがる人よりも、出したい人を。・・・これです。何故ならば、人望あれば、後々、周囲が連帯結束して”立てたリーダーに対して、惜しみない支援があるでしょう。 格言の、”能ある鷹は爪を隠す・・・鷹は天空より、地上に彷徨う”獲物を、見つけたら、まずは、ゆっくり天空を音も出さづに、旋回しながらジーッと、ウヲッチをして於いて、瞬間的に、今だと、感じたら直下降して両足を、起こして爪を出して、獲物を捕まえて、怜悧な嘴(くちばし)で、とどめを、刺して、そのままで、直ぐに天空へ飛び立ちて、安心な場所で、ゆっくりとエサにありつく様少し、狡猾だなぁの、例え諺(ことわざ)なのでしょう。 ************** ************* 能ある鷹は爪を隠す技術があるから能あるので隠す技術の無い人は能無しに、なりますか。 ➡そうです。用心深さが、成功の秘訣であり、隠す技術が、無ければ安直な行動をとれば、愚か者よと、後々、周囲より言われる、所以なのでしょう。 組織論として日本は、抜きん出た人を作らない様に、なっているのでしょうか。 ➡組織論は組織運営の在り方理想論を述べた学問ですから、アカデミックには、理解出来ても実際の社会では、少し違う側面があり、抜きん出た人を作らないのでは、無くて集団意志を具現化するのは、最終的には、*リーダーの天分・才能*と、すべき事なのでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- IDii24
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>一人だけ抜きん出ていても、組織が上手く回らないということらしいです。 非常に間違った解釈を真に受けてますね。この意味は能あるタカは一人だけ抜きん出ているなら隠しながらうまく能力を生かして組織を回せ、それこそが能あるタカだという意味です。 つまり自己満足ではなく他を納得させ本当に力を数十倍にできる人が「能あるタカ」だということです。
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ご回答ありがとうございます。Mokuzo100nennさんのコメントを読んで、答えが見えてきました。ある程度平均的な能力しか要らない集団の中では、能力がずば抜けている人が何をいっても、「でしゃばり」だぞとか言われてしまいます。結局、そのような組織は国を問わず均一性を無意識に尊重していますし、その中で見えている世界の違う人がいたとしたら、存在自体が鬱陶しいのかもしれません。