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江戸時代の弁当はごはんだけでしょうか
江戸時代の弁当はごはんだけでおかずは付いていなかったのでしょうか
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- 川原 文月(@bungetsu)
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 現代では「食い倒れ」と言うと大阪を指しますが、実は、江戸時代には、 「江戸の食い倒れ」「京の着倒れ」 と、江戸は食文化が非常に発展していたのです。 白いご飯をいつも食べているのは、江戸庶民だけだった、と言っても過言ではありませんでした。 さて、本題(あなたの質問): 江戸時代も中期になると、何と「仕出し弁当屋」が出現したのです。 例えば、四宿(千住宿、板橋宿、内藤新宿、品川宿)などには、町奉行所の同心が駐屯する番所がありましたが、江戸時代初期の頃は、皆手弁当でした。 しかし、次第に武士も庶民も泰平の世で贅沢になり、番所役人相手に「仕出し弁当」が始まったのです。 その中身と言うと、史料に残るものとしては、実に豪華でした。 例えば、どなたかのURLにあるように、「卵焼き」や「かまぼこ」などもそうですが、仕出し弁当屋もその日その日で趣向を凝らし、また、季節の物をいち早く提供することで大変な人気になりました。 一例としては、「焼きおにぎり」「野菜の天ぷら」「煮豆」「卵焼き」「佃煮」など、またある日は「梅干し入りのおにぎり」「里芋の煮っ転がし」「煎り豆腐」「かまぼこ」。違う日には「塩むすび」「昆布巻きの煮つけ」「クルミの寄せ物」「小鮒の佃煮」etc。 さらには、仕出し弁当屋も食事時間の直前に料理を盛り付けて、「鰹のタタキ」やめでたい日には「鯛の刺身」なども提供しました。 実にバラエティーにとんでいました。 江戸時代を通じて、「卵」は滋養強壮の「薬」とも言われ、庶民にはやや高値でしたので、毎日のように食べることはできませんでしたが、それでも、食欲には勝てず「卵焼き」は非常な「高級品」でありましたが、庶民もセッセと働いて「卵」を買い求めていました。 現代では、卵はスーパーなどで安売りなどの時は10個入り200~300円。 何とも贅沢になったものですね。 落語に「長屋の花見」という噺がありますが、 大家さんが長屋の連中を連れて花見に行きました。 1升酒3本と弁当箱の中には「卵焼き」と「かまぼこ」。 熊さん「大家さん、この酒はちょっと渋いですねぇ。それに、何か茶柱みたいなものが立っていますねぇ」 大家「そりゃあ、番茶の出がらしを水で薄めたものだ。だが、酒だと思やあ酒に見えるじゃあねえか」 八っあん「大家さん。この卵焼きはやけにボリボリ言いやすねぇ」 大家「そりゃあ沢庵漬だ。よそ様から見りゃあ卵焼きに見えるじゃあねえか」 熊さん「大家さん、この蒲鉾もいやにシャリシャリしてますねぇ」 大家「そりゃあ、コウコ漬だ。いいから黙って食え」 八っあん「大家さん、やけにケチッテますねえ」 大家「バカを言え。銭があったら本物の酒を買ってくらあな」 お後がよろしいようで・・・。
- dogs_cats
- ベストアンサー率38% (278/717)
幕の内弁当は、歌舞伎観劇の幕間に食べた弁当が由来とされていおり、江戸時代には既に幕の内弁当あったそうです。 下記サイトでは、下記のように弁当の内容を紹介しています。 重箱の中に、軽く炙った握り飯、玉子焼きと蒲鉾、こんにゃく、焼き豆腐、かんぴょうを煮たもの、というのが定番だったという。 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/4179/makunouti.html
- mshr1962
- ベストアンサー率39% (7417/18945)
腐る可能性のあるものを持ち歩きはしないでしょうね。 持ってるとしたら、梅干し、干し柿、干物、つくだ煮等のような腐食しずらいものですね。
- kimamaoyaji
- ベストアンサー率26% (2801/10379)
うめぼしや沢和ん、漬物、豪華ならめざし等、後は季節の食べられる野草、一部は七草粥などで食べるので判ると思います。 それに塩むすびなどが多かったのでは無いでしょうか?
- E-1077
- ベストアンサー率25% (3258/12620)
江戸時代は昼食を取る習慣がある人とない人に分かれます。 殆ど取らない事の方が多いようです。 弁当というか塩むすびが多かった模様。(もちろんノリなどついていません) たくあんや佃煮など添える場合もあった様子。 で、弁当は旅に出る人の非常食的な扱いだったみたいです。 普段は食べずにいて、自宅に帰り口にするという。。。。。 http://www.viva-edo.com/syokubunka.html