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俳句と熟語で風景を表現!
俳句で風景を詠むにあたり、中七に対照の熟語を入れました。 詠んだのは冬の風景です。 音さえも離散と連続ものの冬 中七にこのように熟語を入れるのは、問題はないですか。
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質問者が選んだベストアンサー
俳句はもともと和歌の一部が独立したんだったと思いますので、基本は大和言葉でしょうが、「熟語(漢語)だから即アウト」ということはないと思います。 それによって、冬ならば冬の風景がよく詠み込まれているならば、熟語でも外来語(カタカナ語)でもかまわないと思います。 新境地や感動が表現されて、伝わってくるなら、よい評価を得られると思います。 ただ、 > 音さえも離散と連続ものの冬 残念ながら、熟語がどうとかいう以前に、どういう風景か、情景がよくわかりません。 私は新潟県民なので、「冬」と「音」の2つの単語だけで、「吹雪の情景を表す俳句かな」と思いますが、逆に言うと、(私の解釈間違いではなくて)吹雪の情景を表す俳句なら、ほかの単語は不要です。ムダ。 ムダな単語を使う俳句はよろしくないものです。わずかな文字数なので、すべてに意味を持たせて使うことを心がけたほうがよかろうと思います。 私の解釈とは違う風景を描いていらっしゃるのでしたら、大変失礼なことを申し上げたことになりますが、逆に言うと、質問者さんの「心」が伝わってきていないということですので、言葉の選択について再考されたほうがいいのではなかろうかと思います。
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- bran111
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回答No.1
俳句と熟語で風景を表現!ということが「離散と連続」とどうつながるのか、客観的に説明不十分です。しかし、俳句なんて所詮自分の世界、言い換えれば自己満足、他人にわからないのも一興かもしれません。評価するのが他人ということならもちろん、よい評価点は保証できません。
補足
御回答、有難うございます。人に安易に理解できる俳句は、ややもすると説明文になりがちですね。かといって、詠み込まれているものが、なかなかイメージできないものは、受け入れられませんよね。情景を潜在化して、文にするのが俳句だと思います。