天皇は、専制君主ではなく、立憲君主で、臣下の決議をそのまま裁可するものでした。
軍部に於いては、最高の長の大元帥で、実質的に自分自身で命令は下しませんでしたが、
命令書は、天皇の名において発せられ、詳細は参謀総長や軍令部総長指示させる。
というものでした。
昭和天皇は、戦争中にも、臣下の報告、作戦計画に質問、注文をされましたが、全て裁可しました。
昭和天皇は、皇族身位令に従って、皇太子になると同時に、陸海軍少尉に任命され、近衛歩兵第1連隊付き兼第1艦隊付きに、下命されます。
20才で病弱な大正天皇の摂政に任につきます。
その後、陸海軍大佐まで昇進したときに、大正天皇崩御で即位します。
大佐から一気に大元帥に昇進したわけですが、立派な軍人の面も持っていたと言えると思います。
軍服の件は、
陸軍軍人の拝謁、上奏には、陸軍軍服を着用し、
海軍軍人の場合は、海軍軍服を着用しました。
陸海軍併立の場合は、陸軍軍服を着用しました。
また、軍人でない内閣の者などの場合は、御服という制服を着用しました。
それぞれの相手に応じて、制服を使い分けていました。
しかし、太平洋戦争が始まってからは、御服を着用される事が減り、陸軍軍服を着用し続けることが多くなりました。
この陸軍軍服着用頻度に、昭和天皇の戦争の重大さ、覚悟がうかがえます。
これで、質問の答えになっているでしょうか??
お礼
ご回答ありがとうございます。