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昭和天皇が和服をお召しになっている写真は存在しますか?
一般的なモーニング姿、戦前の陸軍軍服、変わったところで神主の装束は見かけますが和服をお召しになっているのを見たことありません。明治の元勲や首相経験者たちの和服姿は大体残っているのになぜないんでしょうか。第一礼装の紋付羽織といえどもやはり庶民の着るものだったからでしょうか。
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明治以前の公家の男性は、日常生活では今と殆ど同じ「普通の和服(着物、袴、羽織)」を着ており、京都に住む武士と街中ですれ違っても服装の差は特になかったそうです。違いは「武士は月代をそっているのが普通、公家は月代をそらない」だけでした。 明治以前に京都に住んでいた皇族、その頂点である天皇も、部下である公家と同じく「日常生活は普通の和服、恐らく着物に袴、寒ければ羽織を着る」であったでしょう。 明治以降、昭和20年の敗戦まで 「皇族男子は、皇室祭祀を行う時に衣冠束帯(神主のような服装)をする以外は、公式の場では陸軍または海軍の軍服を着用」 と定められました。 天皇と皇太子は陸軍・海軍の両方の階級を持ち(天皇は大元帥、皇太子は年齢によって違う)、陸軍の部隊を観閲する時は陸軍軍服、海軍の軍鑑に乗る時は海軍軍服を着用しました。 (明治時代のある時期までは、常に陸軍軍服であったそうです) 天皇以外の皇族男子は、必ず陸軍・海軍の一方に所属し、階級を持っていましたので、それに応じた軍服を着ました。公式行事では大礼服、それ以外では通常の軍服です。 「昭和天皇」を我々が思い出すときは「背広にソフト帽」の姿が普通です。あれは昭和20年以降の昭和天皇の「平服」で、それが今上陛下にも継承されています。(世の流行に合わせソフト帽はなくなりましたが) さて、平成の現在、男性皇族(天皇を含む)の「公式な服装」は下記の通りです。 1. 宮中祭祀の際:衣冠束帯 2. 勲章授与式、新年祝賀式などの公式行事:モーニングに勲章着用。今上陛下は、「大勲位菊花章頸飾」という日本の最高勲章を有しています。こうした行事で、首にかけている大きなネックレスのようなものが「頸飾」です。 3. それ以外で、国民の前に姿を見せる際(御所の外への行幸、あるいは家族団らんの様子を撮影させる時など):普通のスーツ。御用邸での静養の際は、ブレザーにスラックスのような「カジュアル」な服装もありますが、ネクタイは必ずしておられると思います。 4. 御所内の田んぼでの田植えや稲刈り、あるいは皇太子殿下がお若い時に良くやられた登山の際は、さすがにそれに見合った服装をされますが、これは「レアケース」です。 上記のように、皇族男子が、衣冠束帯以外の一般的な和服を人目に触れる場で着ることはありません。我々現代の一般日本男性も、面倒でコストのかかる和服を着る機会は「浴衣」「作務衣」(いずれも通気性が良く、夏は洋服より快適な場合あり)以外は極めて稀ですが、皇族の場合はさらに徹底して「全て洋服」です。 昨年、秋篠宮妃紀子さまが出産のために入院しておられる時、秋篠宮様と二人のお嬢さんが病院をお忍びで訪れ、その際に「フライデー」が隠し撮りした写真が誌面に載りました。 その際の宮様方の服装は、 秋篠宮さま:ポロシャツにジャケット、スラックス。 眞子さま、佳子さま:Tシャツにジーパン。 という、「今のごくごく普通の服装」でした。お子様は、足元はサンダルかミュールだったのではないでしょうか? このような「皇族の普段着」が写真で明らかにされたのは珍しいことで、皇族の服装は最低でも 男性:ブレザー(ジャケット)にスラックス、ワイシャツにネクタイ着用。足元は革靴。 女性:スーツ、ワンピースなど。足元はパンプス。 と「改まった服装」です。 今上陛下は74歳になられます。恐らく、御所の中では「ポロシャツにスラックス」と言った服装で過ごされているのではないでしょうか。暑い時は、一般庶民が時に着るように、風通しの良い「作務衣」や浴衣でも着ておられるかもしれません。ただ、その実態を一般国民が知ることは今までも今後もないでしょう。
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>昭和天皇が和服をお召しになっている写真は存在しますか? 我々が着るような和服姿を見たことがありません。昭和天皇だけでなく、今の陛下も、それから大正天皇以前の歴代天皇のそのようなお姿の絵や写真を見たことがありません。 江戸時代以前の公式の服装は質問者さんのおっしゃる「神主風装束」、公家の装束でした(これもいろいろあって少々ややこしいのは、No.4さんのURLの通りです」。 昔は身分によって服装が決まっていたといえるでしょう。 公式な席での服装は武士でも官位のある人は公家と同じように「神主風装束」です。 官位のない武士は裃(かみしも)でした。今でも稀に普通の人が結婚式に着たりすることがあるようです。 明治になって、文明開化ということでエライ人から洋装化が始まりました。エライ人の最高の礼装は「大礼服」という奴で↓こんなのです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A4%BC%E6%9C%8D 鹿鳴館時代の服装を見てもわかる通り、上流階級から洋装がいっぺんに始まっていったわけです。 >第一礼装の紋付羽織といえどもやはり庶民の着るものだったからでしょうか。 そうですね。これは江戸時代の武士やマシな町人の外出着のようなものです。とても明治天皇や大正天皇が着るとは思えません。 こんなものを天皇が着ている写真が明治大正の時代に出て、一般人が見たら「なんだ、天皇陛下もお隣の旦那ハンと一緒か。」ということになってしまいます。 権威もへったくれもなくなってしまうでしょうね。 昭和の御世になっても、こんな感じは続いていると思いますね。 昭和天皇も戦前は現人神であり、たとえデッカイ菊のご紋を付けたものであっても権威失墜でしょうな。 大昔は天皇のお姿は奥深く御簾の中で一般人々の目には触れず、それで権威が保たれていました。 明治になりお姿を拝するようになったが、立派な洋装ということで一般とは隔絶していたものでありました。宗教儀式も神主風ということで一般とは隔絶していた服装でした。そういうことで服装による権威が保たれていたのだと思います。 当時は上流社会は立派な洋装で、庶民はいわゆる和服でした。 こんなことが現在まで影響していると思いますね。 今となってみれば普通の洋服よりも和服の方が値段が高く、逆転しているようにも思いますが、今の陛下が紋付を着たら、私はヘンだと思います(野球の大沢親分と一緒?)。 儀式のとき以外は、各国の王室もそうですが、一般人と同じ服装が象徴天皇として一番よろしいと思います。 それと皇居内はほとんど洋間で、生活様式は戦前から洋風であったと聞いています。
お礼
回答ありがとうございました。 そうですか・・・やっぱり被写体になる時自体が公式な場ですから戦前は皆無といってよさそうですね。戦後のプライベートな御静養中ならと期待していましたが皆様のお話によるとそもそも多くの市民と同じように普段からお召しにならないようです。 >当時は上流社会は立派な洋装で、庶民はいわゆる和服でした。 確かに今の結婚式ではモーニングは見慣れているせいかさほど驚きませんが紋付を着てる人を見ると「おぉーっ」となって一目おいてしまいますね。当時は逆にモーニングが威厳を醸し出す時代だったのでしょう。 いつもニコニコしてる皇太子が紋付着るとどうみても商い中の若旦那みたいです・・・。
- nemosan
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ANo.3の補足になるかな… 服制の歴史 http://www.kariginu.jp/kikata/4-1.htm このサイトの「明治時代」の記述に、 明治5年11月12日太政官布告第339号で天皇の公事服が洋服に決まった次第が解説されてます。
お礼
回答ありがとうございました。 法的な解釈参考にさせていただきます。当時の後藤象二郎や副島種臣のやりあいは面白そうですね。あとでゆっくり拝見します。
- oska
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良いところに疑問を持ちましたね。 実は、皇室不思議の一つです。 江戸時代は、天皇家・公家も全て和服(着物)を着ていました。 ところが、明治維新後「公式の場で、天皇が和服を着た事がない」のです。 各国首脳・国賓が来日時。彼らは、民族衣装で公式行事に参加します。 が、天皇は「一度も和服で公式行事に参加した事がない」のです。 皇后は、民族衣装を各国婦人が着る事が多いため和服で参加する事が多いです。 実は、「皇室の伝統的な行事以外は、基本的に洋服が正装」という暗黙の了解があります。 つまり、皇族以外と接する行為時は、基本的に洋服なのです。
お礼
回答ありがとうございました。 孝明天皇の和服姿拝見してみたいですが写真は残ってないでしょうね・・・。欧米では洋服=正装のようなところがあるので全く違和感無いのですが「最も日本らしさを表現する」といえばやっぱり着物を思い浮かべてしまいますよね。 >「一度も和服で公式行事に参加した事がない」 やっぱりそうですか。歌会始、天覧試合etc皇后はバリエーションがたくさんあって着物姿もちらほら見かけますが天皇陛下は一貫して洋服ですね。プライベートな葉山の御用邸でのスナップも今上天皇はラフなスラックスor綿パン?姿でした、もし今後和服姿を拝見するチャンスがあるとすればこの時ですが可能性は低そうですね。昭和天皇は御静養中ヒドラの採集してるときでさえやっぱり頑なに背広でしたが・・・。
- kigurumi
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私が思うには皇室神道の長だからだと思います。 いわば大祭司なので、大祭司の格好になるのではないかと思います。 神官が和服を着ているところは見たことがありません。 和装っぽい格好をするときは、神官の定められた服装しか知りません。 恐らくなにか決まりごとがあり、神官、司祭の服には意味があるが、和服にはそれが無いからではないかと思います。 ユダヤ人が山伏の行列を見たとき、何故ユダヤ教の祭祀の服が日本にあるのだろうと思ったそうです。 それくらい格好が似ており、ユダヤ教の祭祀の服のパートにはそれぞれ意味があり、日本の神官の装束もその仕来りに沿って作られているのだとか。 だから天皇も神官もその仕来りが無い和服は着ないんじゃないかと思うんですね。 でも洋服は着る。 宗教に関わっていないときは、洋服を着るんじゃないでしょうか。 でも、日本というか皇室の宗教を行う場では、大祭司の立場になったときは、和服ではなく祭祀の格好をするんじゃないかと。
お礼
回答ありがとうございました。 確かに神道系の人の和服姿はあまり見かけませんね。昔から 神道系→装束 仏教系→和服 と住み分けができていたんでしょうかね。 お坊さんは公式の場でもモーニングは着ませんし。
- 風車の 弥七(@t87300)
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昭和天皇は和服はお召しにならなっかたようです。 昭和も後半頃有識者?達が「天皇陛下に着物をお召しいただく会」なるものも出来ましたから。 今上天皇も和服はお召しにならないですね。 日本の象徴なのだから皇族方には和服をお召しいただきたいものです。
お礼
回答ありがとうございました。 なるほど、公式の場で被写体になるときどころかそもそも普段からお召しにならなかったというのは当時の市民の間でも認知されていたのですね・・・ >皇族方には和服をお召しいただきたいものです。 私もそう思います。が、やっぱり今の皇太子とかがお召しになると 俗っぽく見えてしまうのかな・・・うーむ想像つきませんね。
お礼
回答ありがとうございました。 >明治以前の公家の男性は、日常生活では今と殆ど同じ「普通の和服(着物、袴、羽織)」を着ており… No3の方も仰っていましたがならばぜひとも孝明天皇の和服写真拝見したいですが写真は残ってなさそうですね。御用邸における今上天皇のカジュアルスタイルや皇太子の登山スタイルと次第に規制緩和?が進んでいるみたいですがあれらはやはり「人目についてもよい公式のカジュアルさ」と考えて良さそうですね。うーん皆さんの意見を総括してみるとやはり昭和天皇の和服姿は現存してなさそうなので少し残念です。