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適性とやりたいことが分かれたときどちらがいいか?
- 適性検査とは、その人の適性を見るものであり、やりたいことを選択すべきか適性を選択すべきかという問題になります。
- 個性がわかる世の中になることで、その人の天部の才とはいかないまでも個性に合った仕事に就ける社会を目指したいと思います。
- 両方の結果を踏まえてその人が選ぶことが大事であり、選択はその人の幸せや社会のために良い方向に繋がると思います。
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>私は両方の結果を踏まえた上でその人が選ぶことが大事かなと思いますが皆様はどう思いますか? そのとおりだと思います。ただ、やりたいことと才能があることが別々にあるとして、どちらかを捨てなければならないと言うものでもないと思います。簡単にはどちらかを趣味にすれば良いのですが、中には両方仕事でやっている人もいます。 いずれにしてもこれは困ったことではなく、幸せなことと思います。私の様に仕事一筋で他に大した才能も趣味も持たない人間に取っては羨ましい限り。仕事以外の幅を拡げることは仕事にも趣味にも生きる可能性があるし、そうでなくても全く違った世界に同時にふれることはとても恵まれたことと思います。
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- potatorooms
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適性で仕事を決める社会を、社会主義とか全体主義とか言います。 日本はわざわざ職業選択の自由を憲法に書いて、戦後、自由主義に移りました。 自分の意志で職業を選べる国、時代の方が希少なんですよ。石を磨いて宝石に届かないかもしれないけど、輝ける社会の方が住みやすいように思います。
- eroero4649
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私は若いときにどうしてもやりたいことができて、その業界の門を叩きました。その修行をしているとき、同期生にすごい才能をもったやつがいました。私などは練習して練習して、師匠の先生たちに「ちょっとやってみろ」といわれてやってみたら、先生は渋い顔をして「・・・ま、こんなもんだな」といって私は打ちのめされました。その直後にその彼に先生は「ちょっとやってみろ」といったら、先生方はみな口を揃えて「モノが違う」「すごい才能」と絶賛していました。 しかし、その彼は元々ニートで、親に勧められて無理やり勉強させられていました。その勉強をしていたのは「とりあえずやっていればニートでいられるから」だったのです・笑。彼はいつもいってました。「僕、この仕事はやらないですよ」って。 結局彼はすぐに辞めてしまいました。プロスポーツ選手でも、溢れるほどの才能を持ち合わせながらとうとう本気を出さずに中途半端な選手で終わる人は数多くいます。そんな彼らを見ててつくづく思うのです。「いくら才能があっても、やる気がなけりゃ成功することはない」ってね。 あとは適正ですが、自分にとって何が適性があるかどうかだなんて、やってみないと分からないものだと思います。私はその業界に適性があると自分でも思っていて、周囲からも「きっと(適性が)あるよ」といわれて入ったのですが、いざやってみたら「俺には適正がない。今のうちに辞めたほうがいい」と100回(と誇張したくなる)くらい思いましたからね。
難しいですね。 やりたいことを仕事にすると、現実とのキャップで 壁にぶち当たるかもしれません。 適性を選んでも、自分だけに適性があるのではなくて 組織の中では、ダメかもしれません。 仕事は、楽しくないものだと思います。 何かの研究に没頭できる人は、ごくわずか。 それと、就職には運も確かにあると思います。 どちらかを選べ・・・とすると 適性のほうです。 削除法です。 やりたいことをするのが、仕事ではなくて やりたくない仕事をどうやってやるか? 心の糧をなににするか? そんなことが、自分の成長ではないでしょうか? ずるいい方をすると、どちらでも同じで やり続ける事が、大事。 いい仲間に恵まれる・出会ったほうが結局は向いていた。 ということになるのかも?しれませんね。
- 中京区 桑原町(@l4330)
- ベストアンサー率22% (4373/19606)
好きこそ物の上手なれ
お礼
コメントありがとうございます。 確かに適性とやりたいことが違うのは困ったことではなく、幸せなことかもしれませんね。