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否定圧力
こんばんは。 「「スタンダード」ではない」という理由で、 (考えてみれば、これも、「玉ねぎ」の皮むきです) そもそも「ある」ものを。 全否定するとすれば、それはまさに 「自由からの逃走」というものではないでしょうか。 (それは「ラク」なのかもしれないですが) 「可能な限り自由であることが、平等である」 「平等である、限りにおいて、自由である」 「否定圧力」は、どのように働きますか?
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自由と孤独は同じベクトルを持っています。 自由の最大化を追求してゆけば、最高の孤独に達するのです。 孤独を回避したければ、自由の制限にも甘んじなければなりません。 昨日久しぶりに、集団の飲み会(忘年会)に参加しましたが、あまりに不自由で、1時間耐えられずに中途退席しました。やはり孤独な一人呑みの自由は捨てがたいです。 哲学の効用は、孤独を理解し、孤独を受容することで、自由を最大化できることですね。
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- yuniko99
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否定圧力はありますね。毎日あります。持論を主張する限り 自由でも平等でもない様な気もします 私は太ってきたのでそれを言う人も多いです。太ってるからお腹が痛いんだとか 太ってるから病気になるんだと。それもそうかもしれませんが それにも訳があるのです 自由でも平等でもありません。 私は障害者ですが 偏見はありますねえ。全く自由でも平等でもないですねえ。
お礼
yuniko99様、ご回答ありがとうございます。 >「持論を主張する限り」 そっか。 >「自由でも平等でもない様な気もします 私は太ってきたのでそれを言う人も多いです。太ってるからお腹が痛いんだとか 太ってるから病気になるんだと。それもそうかもしれませんが それにも訳があるのです 自由でも平等でもありません。 私は障害者ですが 偏見はありますねえ。全く自由でも平等でもないですねえ。」 なるほど、障害者という事実はあるとして。 自由でも平等でもない、というのが、実感されるところですか?
補足
>「太ってるから病気になるんだと。それもそうかもしれませんが それにも訳があるのです 自由でも平等でもありません。」 「自由」については、それに責任を問えるかどうか?というのは、小生は(以前から)問うております。 「それにも訳があるのです」 ・・・受容する(身近な)専門家が居れば、多分、良かったんですよね。
- kohichiro
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とかく権力はスタンダードを作りたがります。それに皆を収斂させようとするために他を全否定する。彼らは自由から逃走しているのでしょうか?その彼らにとっての”他:「あるもの」”とは米国を頂点とした世界的な権力です。ISもイラクとシリアにまたがる権力(原理思想)といえますが、彼らは自由社会を毛嫌いし、敵対しますがそれから逃走しているようには見えません。 間違いました。でも どうしても栗なるさんは本来の個人思想、芸術などの問題を言っておられるとは思えないし、やはり政治思想なのか?と思ったわけですが、どうもそうでもないらしい。 ソニーなどが目指す経済活動における世界標準づくりの創造的思想は基本的に自由でなければおもいつきもしない仕事ですから、権力を得るまでは極めて柔軟で自由な発想が必要だと思われます。まして「自由からの逃走」という言葉は似つかわしくありません。 いずれにせよすのっぶであるわたしたちには純粋な形而上的思考ができないので、どうしても世にある具体的なものに当てはめて考えてみる必要があるのですが、このスレでは無理なようです。 そもそも、スノッブではない哲学人が、なぜスタンダードを好み、それ以外を排斥せねばならないのか?それは、哲学人としては真逆の営みではないのか?スノッブ(下種)こそが中央値と3シグマに無限の信頼をおく性を習いとしているのではなかったのか。たまねぎの皮むきとしりつつもそうせざるを得ない、ラクとしりつつもそれをやめられない、教条主義に陥りそれからのがれられない人種なのではないでしょうか。 まさしくそれが「自由からの逃走」ということなのでしょう。アンチ哲学人の姿ですね。 こういったものを嫌悪し「否定圧力」がかかるのは至極当然といわねばなりますまい。 >A「可能な限り自由であることが、平等である」 B「平等である、限りにおいて、自由である」 この二つは似ているようでまったく違った観念を言っています。Aは自由は平等のひとつの条件であるといい、Bは平等が自由を部分的に妨げる条件になっています。 AとBは少なくも併立はできないと言うことです。というより、自由と平等と言う観念は、本来が火と水、無限拡散と平均化、あるいは等値並立という異次元の観念なので、Aは論理上成立しないということでしょう。 BよりもAに否定圧力がかかっているように思います。
お礼
kohichiro様、ご回答ありがとうございます。 >「とかく権力はスタンダードを作りたがります。それに皆を収斂させようとするために他を全否定する。」 >「彼らは自由から逃走しているのでしょうか?その彼らにとっての”他:「あるもの」”とは米国を頂点とした世界的な権力です。ISもイラクとシリアにまたがる権力(原理思想)といえますが、彼らは自由社会を毛嫌いし、敵対しますがそれから逃走しているようには見えません。 間違いました。でも どうしても栗なるさんは本来の個人思想、芸術などの問題を言っておられるとは思えないし、やはり政治思想なのか?と思ったわけですが、どうもそうでもないらしい。」 なるほど。自由から逃走しているどころか、むしろ、自由全開だ、ということですか。 >「まさしくそれが「自由からの逃走」ということなのでしょう。アンチ哲学人の姿ですね。 こういったものを嫌悪し「否定圧力」がかかるのは至極当然といわねばなりますまい。」 「「スタンダード」を一方的に掲げて、「ベーシック」に圧力を加える。」 これを「否定圧力」と、スレ的に認定しています。 >「「可能な限り自由であることが、平等である」 は、論理上成立しないということでしょう。」 ・・・「「平等」は、成立しない」ということですか。
- ノーバン(@nobound)
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自分の好きなことと、他人が好きだと表明していることがずれていたりすると、不安になって、一生懸命他のものを理解しようとしますが、ついていけなかったりします。そもそも自分の好みもよくわからなかったりするのも、否定圧力のせいかもしれません。自分の好きなことが社会の方向に負けてしまうことが多々あります。自分の経験世界が狭いとかいろいろ問題もありますが、いろいろ取り入れることと、自分の道を行くことが上手くいかない気がします。孤独と共存の難しさ、あるいは自己評価と他者評価の違いなんでしょうか。
お礼
nobound様、ご回答ありがとうございます。 >「自分の好きなことと、他人が好きだと表明していることがずれていたりすると、不安になって、一生懸命他のものを理解しようとしますが、ついていけなかったりします。」 他者を理解しようとするのは、貴重な経験だと思われます。 >「そもそも自分の好みもよくわからなかったりするのも、否定圧力のせいかもしれません。」 そうですねえ。おそらく、そんなにも否定圧力が強くて、「自己」すら訳が分からない・・・ >「自分の好きなことが社会の方向に負けてしまうことが多々あります。」 ・・・それくらいで済めば御の字、というか。「否定圧力」は、対象の生存すら否定してしまうことがある怪物と思うので >「自分の経験世界が狭いとかいろいろ問題もありますが、いろいろ取り入れることと、自分の道を行くことが上手くいかない気がします。」 本来は「自分の道(を踏みしめて?)」が確固としてあるのが前提に、なるのでしょうけれども、 「これが道だ」と洗脳された団塊世代を親に持った世代は、「卒業までの半年で答えを出せと言うけれど」・・・ >「孤独と共存の難しさ、あるいは自己評価と他者評価の違いなんでしょうか。」 「否定圧力」は、同世代(異性的?)にも働いているようですが、 異世代間にも働いていると思います。 (例)「勉強しないのは「人非人」と言われた」
- 雪中庵(@psytex)
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全ての環境は、自己が成立するための必要(原理的相補) であり、人は本質的に自由なのです。 そうした本質を認識できず、自己認識(宇宙)を肉体に 限定する時、その低認識(物欲、自己顕示欲、虚栄心etc.) において生じる自己矛盾によって、環境において“ぶつかる” のです。 人の自覚は、肉体に付随した感覚器官からスタートするので、 自己中心的な傾向を持つが、その認識の深まりによって宇宙 としての自我(他我)に至る事で、自己の必要としての環境を 自覚化し得ます。 人は、肉体の奴隷として生まれ、その認識の深まりにおいて、 自由となるべく生きるのです。
お礼
psytex様、ご回答ありがとうございます。 >「人は、肉体の奴隷として生まれ、その認識の深まりにおいて、 自由となるべく生きるのです。」 なるほど、これは「人間の発達(段階/心理学)」ということに合致しそうです。 ・・・のみならず、環境を(も)自己と不可分と捉えるところに、先生の精髄がありますか。 >「全ての環境は、自己が成立するための必要(原理的相補) であり、人は本質的に自由なのです。」 「環境は大事」とは思っておりましたが
お礼
Mokuzo100nenn様、ご回答ありがとうございます。 実は、本質問の後で、自分なりの「回答」が出来てまして、それは 「「スタンダード(標準・基準)」とは、誰かが決めて(決めることによって/決めれば)、そうなるもの」ということで。 つまり、自分にとっての基準が、そのまま他者の基準になるとは限らない。 (それが「ベーシック(基礎)」になると、共通になることもあるのかな、と) 小生も、「あまりに不自由」は、堪能したいとは思わないほうです。
補足
「「基準」作り」は、民主的に