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ドイツ語 quasiの意味
ドイツ人と会議をしていると、彼らはやたらquasiを良く使います。 日本語で"ほとんど・いわば"のニュアンスである事は何となく理解しています。 しかし私の持っているDUDENの辞書には、 Er hat es mir quasi versprochen. という例文が載っていました。 1)この場合はquasiをどう訳すとしっくりくるのでしょうか? 2)同様の意味を持つ単語に、sozusagenとgewissermaßenがありますが、quasiを含めたこれらは何か使い分けがありますか?意味的あるいは口語・文語など。 どうぞ宜しくお願い致します。
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この三つの語は、類語として挙がってきますので、ニュアンスとしてはかなり似ており、置き換えてもかまわないような場合はあると思います。ただ、原義を考えると、多少の違いは出てきそうです。 quasiという語は、Dudenにはそのような記載はありませんが、独英辞書にはgehoben、つまり格調高い表現と記されています。そもそも、ほかの2語と違って、ラテン語からの借用語、外来語です。私の感覚でも、本来はそれほど口語的ではなかったような気がします。私がいたのはオーストリアで、会話でquasiはあまり聞く機会がなく、sozusagenは非常によく使っていました。ところが調べてみると、quasiという語は一種の流行語となり、かなり濫用されるようになっているそうです。この辺の事情は、国によって違いがあるかもしれません。quasiは、「ほとんど~と同様」という意味で、二つのものを比較したとき、両者が同じものに関係している場合に使う語です。「so wie」または「so gut wie」と同じ意味とも説明されますが、同じドイツ語への直感的な訳は、「also eigentlich ist es so」=「つまりそれは本来そういうことである」となります。quasiの正しい用法について、下のような解説があります。 Ein Dessert aus Milch, gebunden mit Speisestärke, wird im Volksmund Pudding genannt. In der Fachsprache der Köche ist ein solches Dessert aber ein Flammeri. Sie können sagen: "Ein Pudding ist sozusagen ein Flammeri". Sie können aber auch sagen: "Ein Pudding ist quasi ein Flammeri". 牛乳を澱粉で固めて作るデザートの俗称はPuddingである。しかし、料理人の専門用語では、このようなデザートはFlammeriと呼ばれる。こういう場合、「Ein Pudding ist sozusagen ein Flammeri」と言うことができる。次のように言うこともできる。「Ein Pudding ist quasi ein Flammeri」。 名称が違うだけで、本来は同じものということです。こういう意味としては、sozusagenとquasiは全く同様に使うことができるでしょう。quasiの正しい使い方の例をもう二つ挙げます。 Ytongsteine sind quasi Porenbetonsteine. Porenbetonsteineは「軽量気泡コンクリート」のことですが、Ytongというのは、Xellaという会社が製造するPorenbetonの商標名です。「Ytongsteineと呼ばれている建築用の製品は、軽量気泡コンクリートと同じである」という意味です。次の例。 Wenn Sie sagen, dass Burgunderrot quasi Weinrot ist, dann sagen Sie, dass Burgunderrot und Weinrot sich so gut wie gar nicht unterscheiden. Burgunderrot ist quasi Weinrotと言った場合、それは「ブルゴーニュレッド」という色と「ワインレッド」という色が全くといってよいほど区別がつかないと言っているのと同じ、ということです。 quasi versprochenというような言い方は、こういう意味から派生したものと考えるなら、「約束したようなもの」、「約束したも同然」、あるいは状況によっては、「そうみなしてもかまわない」、という意味にもなるかもしれません。会話が行われている現場にいるわけではありませんので、断言はできませんが。 sozusagenという語は、「wie man es ausdrücken könnte」、日本語の「まあ言ってみれば」「いわば」と同じです。ここから、quasiのように、「~と同様」という意味にもなります。たとえば次のような使い方をします。 Sie ist sozusagen meine Mutter. 彼女はいわば私の母親のようなものだ。 Die beiden sind sozusagen verheiratet. 彼らはいわば結婚しているようなものだ。 上のような例では、sozusagenをquasiに置き換えることも可能です。私はそういうquasiの使い方を聞いたことはありませんが、最近のドイツではあるかもしれません。ただ、sozusagenの本来の意味は、「言ってみれば」ということですから、必ずしも何か二つのものを並べて同様だというときだけに使うわけではありません。「言ってみれば」という程度の意味での用例をいくつか挙げます。 Ein Buch für kritische Leser, welche sozusagen die Gegenseite kennenlernen möchten. 批判的な読者、いわば、反対の立場を知りたいと思う読者のための本。 Du kannst ihn nur bis dorthin sehen, weil sozusagen die Erde im Weg ist. 君は彼を、その場所までしか見ることができない。それはいわば、地面が邪魔するからだ。 Also, jedenfalls lebe ich seit Kurzem nicht mehr bei meiner Mama und deren Familie, sondern habe jetzt meine eigene Familie, sozusagen. つまりいずれにしても、私はもう少し前から母とその家族とは一緒に暮らしておらず、もう自分の家族がいます。まあ、そういうことです。 しかし、quasiという語の用例を見ていくと、sozusagenと同じように、「いわば」という意味で使っている例がたくさんあります。次第にそういう意味で使うことが流行し、一般化したのだと思います。 versprochenとの組み合わせで調べると、quasi versprochen、sozusagen versprochenの両方の形の用例がほぼ同じ数で出てきます。「まあ約束したようなものだ」という意味で、quasiを使ってもsozusagenを使っても変わりはないと思います。 gewissermaßenは「ある程度まで(in gewissem Sinne)」「ある意味では」という意味です。この点においては、sozusagenと意味は共通してきます。用例を見ても、sozusagenと同じ使い方ができることがわかります。 Er ist gewissermaßen meine rechte Hand. 彼はいわば私の右腕のようなものだ。 しかし、次の例では「ある意味で」というニュアンスが明確になります。 Sind Sie für die Sache verantwortlich? ―Gewissermaßen ja. あなたがこの件の責任者ですか?―ある意味ではそうです。 「gewissermaßen versprochen」という言い方があるかどうか調べてみると、あることはあるのですが、古い時代の書籍に出てくる例が多く、現代口語としてはあまり言わないと思います。 この質問はかなり難しいものです。こんな話がありました。 スイスの大衆紙が、AP通信のニュースを掲載するとき、quasiをeigentlichに書き換えたということです。ニュースが入ってきたのは2007年1月4日午前9時、この時点でquasiとなっていた個所が、9時5分には「大衆向けに」eigentlichで書き換えられました。APの筆者は、こんなことは考えられないと言っています。 Dabei sei die Schweiz eigentlich ein anderer Kulturkreis. しかしながら、スイスは本来異なる文化圏である。 (dabeiの意味は、前後の文が不明なので確定はできません。) その直後の9時9分、別のスイスの新聞ではAPのもとの文を使用しました。 Dabei – so Wiese – sei die Schweiz quasi ein anderer Kulturkreis. しかしながら―とヴィーゼ氏は言った―スイスは異なる文化圏のようなものだ。 ところが、この少しあと、ドイツのSpiegel誌のOnlineではquasiがsozusagenに修正されました。 Dabei – so Wiese – sei die Schweiz sozusagen ein anderer Kulturkreis. quasiは、外来語を避けるという方針で書き換えられたようです。 quasiの使用法については、どうもドイツ語圏でも見解が違うようです。はっきりしているのは、本来外国語で、最近はsozusagenのような意味での流行、濫用が見られるようになったらしいということです。
お礼
いつもありがとうございます。 まさかココまで詳細な説明を頂けるとは思いませんでした・・・。 自分のなかでかなりモヤモヤが取れました。 本当にありがとうございました。