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テロには屈しない?のは何故?

テロには屈しないというか、交渉しないというか そういうのは何でですか? 争いは次の争いにしかつながらないと思います 本当は強い側が折れてできるだけ譲歩したり譲ったりする と学校では教えられました 国家とテロリストでは国家の方が強いのでは テロリストのテロ行為っていじめられっ子をいじめていると、突然起こりだして捨て身の怒りをぶつけるのと似てる気がします 言いたい事を聞いてみれば結構打ち解けられるのでは お互い殺し合っていたら永遠に続いてしまうと思います 正義の犠牲より平和の方がいいのではないですか? 誰も憎まないし誰も殺さない 未来がいい

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  • azuki07
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回答No.26

もうすでにアメリカ政府はテロリストとは交渉を始めていますよ。 でも表立って語られることはないですが、テロを望み、テロリストが育成されるように一定程度コントロールしている人達がいるんですよね。 9.11にせよ、ビンラディン殺害にせよ、証拠ゼロですべての物事が大きく大きく進みました。 なのでテロリストと交渉してもテロという事態はやまないのですね。 サブシナリオは崩れないってことですね。

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回答No.25

A No.23 HALTWO です。 御礼、有り難う御座います。 既に論理の呈を成しておらず、感情の吐露に終わっている補足 (御礼) であることから、これを最後の回答とします。 >麻薬を解禁して欲しいという人がいるならその人のために解禁したいという人の気持ちを理解すべきだと思います 教授の判断を仰ぐまでもなく、誰が見ても「落第」の回答ですよ。 「麻薬を解禁して欲しいという人がいるなら……」に示される「麻薬解禁を望む人」を A としましょう。 「その人のために……」の「その人」とは A のことですよね。 「A のために解禁したいという人の気持ちを……」この人は A ではありませんので B ですね。 では B は何故「麻薬解禁を望む」 A のために麻薬を解禁したいと思うのか? B は A に麻薬を提供したいから麻薬解禁を望んでいるのは自明の理ですよね。 B は A に麻薬を提供することによってどんな利があるのでしょうか? 麻薬常習者の治療目的のために医師は麻薬を用いることを許されていますので、B の目的は医療行為ではありません。 わざわざ 7 文も用いて解説するまでもなく、普通は「儲けたいからだろっ!」と即答できるものですよっ! それなのに「B の気持ちを理解すべき」だなんて……「儲けたい」以外のどんな気持ちが B にはあると思っていらっしゃるのでしょうか。 「麻薬密売人の気持ちを理解することこそが大切である」なんて論理は初めて見ました(^_^;)。 「儲けたいからでしょ?」の即答を推測できず、「B の気持ちを理解すべき」だなどという論理を展開しようとする時点で既に「妄想に囚われて思考停止に陥っている」と診断できます。 因みに私は妻や子に害をなそうとする者に対して命を賭けてでも対抗し (戦い) ますよ。 愛する者を守るために自らを傷付けられ、命を失うことになろうとも、そのことについて悔いはしません。 「自らを傷付けられたくないから妻や子を傷付ける者を許す」ですって?……冗談じゃありませんよ。 私は南方で戦死した叔父を誇りに思っていますし、沖縄沖で空母に特攻した親族を誇りに思っています。……悲しい史実ではあるのですが、彼等が妻や子、親兄弟や友人達を殺そうと迫り来る敵を止めるために命を散らし、彼等の犠牲の上に現在の私が生を受けた事実を否定できませんので。 最も大切なのは家族であり、その次に大切なのは親族や友人といった自分自身と直接関わっている小さな社会であり、更にその次に大切なものは直ぐ外側を囲む社会……部族や国家といったように少しずつ輪を広げていった社会となります。……最小の社会は家族であり、自分自身ではありません。 自分自身を中心に置く利己主義は社会に出る前の子供であれば許されるものの、社会に出た社会人に於いては社会不適合者と看做されます。……一方、利他主義とは自らが関わる社会から遠く隔絶した社会構成員に対する利益供与を示す言葉ではありません。 >もしも許す以外だというならこれから息を引き取る人が何で礼をするのですか 神に対する礼ですよ。……ちゃんと「おお、神よ!」と言っていたではないですか。 礼は「有り難う」の「御礼」ではなく、神を敬う「儀礼」ですよ。……「ここまで生かしてくれて有り難う御座います」という神への「御礼」とも言えますが、「自分を殺した相手を許す行為」と解釈するからには「何故、自分を殺した相手を許すのか」の理由を (感情論ではなく、理路整然と) 説明していただきたいものです。 お大事に……。

obe1118xxxi1
質問者

お礼

麻薬を吸いたいからだと思います 害が出ないようにすれば別にOKだと思います では戦うから奥様とお子様が傷つけられたらどうですか? テロなんてそういうものだと思います 何もしないで友好的に話していれば傷つけられる事なんてない でも、傷つける害をなそうとする者に対して命を賭けてでも戦いたい そうしたらその害をなそうとする者扱いされた人にだって傷つけられないように命を懸けて戦いたいんと言って戦うんでしょう 何もないところに気分を傷つけるものが出ると思っている時点でおかしいのです 自分を傷つけるものが出たとしたら、何かしらの恨みや加害者として、または加害者に加担しているからですね 自分がその人を傷つけた所為で自分が傷つけられる フランスの人だってそのテロを行ってる人を傷つけるのに加担したからテロリストにとって大切なものを守るために戦った そしてフランスもテロリストから大切なものを守るために戦った その結果大勢のフランスのその守りたかった人たちが殺され、テロリストの守りたかった人たちも殺されましたね そしてテロとの戦いを宣言しました そしてもっともっとみんな守りたいはずのものを犠牲にしているのです 「守るため戦う」それは本気で守りたいという気持ちから言っているの? 本当に守りたいなら少しでも安全にしたい 戦いなんて放棄して命だけは守りたい そう願うものではないですか? 何かを守りたいなら、戦いや対立関係、争いを避けようとするのが、一番合理的ですから 対立関係争い関係に発展しないように願うものですよ そうならないって事は本心では守りたいと思っていないという事では 先に戦いたいという気持ちが来ていて、その正当化のために守りたいといている 守りたいなら、対立関係、争い関係になる事程アブなっかっしい不安要素を作る事はないから テロとの戦争を宣言した瞬間テロのターゲットだっていう声明が出る ではそれは大切なものを守りたいから? 大切なものを守りたければ和解、非戦争にしたい 少しでも敵を作らない 戦いたい人は敵を作りたいだけだと思いますよ 合理的ではないのだから・・・ もし自分を傷つけられるのが嫌だという人は自分が傷つけられたいと思うのです 自分を愛しているなら、その人は自分を傷つけられないはずだから だから自分を差し出すと思いますよ もしも自分を傷つける人がいたら自分をもっと自分を傷つけられる環境を与える それでその人が自分を傷つけないようにね テロリスト=他者を心を持っている人間と見ないで自分の事闇討ちの安全ばかり言う事が利己主義なのではないですか テロリストになってしまった人たちも、みんなに受け入れられて傷つけられなければテロリストにはならなかった 自分の視点だけで感情移入もしなかった結果では では、自分を殺した人を許さないと思う理由は何ですか? もし仮に現代人が勝手に許すと解釈しているなら、それが人にとっての理想なのでしょう 仮にもしも許すでなかったとしても、許すが現代人にとっての理想という事は同じですね だから本人がどっちの意図を持っていたかどうかより、どういうのが理想かこそ重要なものでは

noname#228894
noname#228894
回答No.24

なかなか納得できないですね。 > 現状を続ければ人が誰も死なずに済むという保証は? それとは逆に、フランスなりアメリカなりロシアなりが空爆をやめればISが攻撃をやめるという保証がなく、ISの攻撃を弱めて交渉の機会を作る手段が空爆以外にないから継続→強化になっています。空爆だってただじゃないし、誤爆で一般市民にも被害が出るから、やらずに済むならその方が絶対いい。でも現実は空爆停止と同時に、今の戦闘地域(中東ね)でのISの攻勢は一層強まる未来しか見えません。それによる犠牲者や難民は増える一方となるけど、テロが減りさえすればそれでおkってことですか?ISに対する空爆も先制じゃなくて、この地域でのISの攻勢が看過できなくなったことへの対抗措置です。むしろ始めるのが遅すぎた。もっと早ければISはここまで増長せず、今より犠牲は少なかった。 どんな方法であれ、誰も死なずに済むという保証などテロリスト相手には無理ゲーです。話し合いに向かっただけなのに撃たれて終了とか、人質にされる可能性も十分にありうる。それに「なぜ話し合えないんだ」と口で言ったり非難するのは簡単だけど、話が通じる相手じゃないからみんな苦労してるわけです。貴方そんなに話し合いで解決できるって言うんなら、現地に乗り込んで話し合ってきたらどうです?ここの回答者が「それなら納得だぜ兄貴!」って言える方法でもありますか?きっと伝わるはずだなんてことで納得するのは子供だけですよ? 国家紛争で話し合いに持ち込むのが難しい理由として、個人の喧嘩なら周囲だけでも何とか止められるし、最悪でも警察が出てくれば止められるけど、国家に対しては警察に相当するものがないってのはありますね。警察だと止められるのは、個人より圧倒的に強力だから。しかし、国家を圧倒できる組織は地球上に存在しない…

obe1118xxxi1
質問者

お礼

どっちも保障はないなら、安全な方を選ぶのが普通ではないですか? 人殺すのと話し合いを求めるのとどっちが安全ですか? 問答無用で人を殺したら向こうも問答無用で人を殺し始めるのでは? 無慈悲で何の保証もないなら向こうも同じようにそういう姿勢でいると思いますよ 話し合いを求める趣旨の何かを発信して拾ってもらってどっちにとっても安全に話し合いの場を設ければいいのではないですか? そこで時間をかけて何度も話し合って こっちの譲れない事譲ってもいい事向こうの譲れない事譲ってもいい事話し合い 一つ一つ話していけば誰も傷つかない これも話し合いとして当たり前の時では 自分の思い通りにいかないからと言って暴力を振るうのはどっちだって短絡的

回答No.23

A No.22 HALTWO です。 御礼、有り難う御座います。 >ガンジーは暗殺されたけどそれを許しました >だから今殺し合っていないのです >もしガンジーが暗殺された時、自分の考えは間違っていたと思って殺した加害者を許さないが答えになったら >ガンジーを慕う人たちが報復をすると思います 夢物語を語っていらっしゃるのですか?……うーん、病的なまでの「お花畑」症候群に陥っていらっしゃるのかなぁ。 Mahatma Gandhi を暗殺した Nathuram Godse は裁判で死刑を宣告され、暗殺を実行した翌年には死刑が執行されましたよ。 Nathuram Godse は法という法治社会の武器で報復されました。 https://en.wikipedia.org/wiki/Nathuram_Godse Mahatma Gandhi は 3 発の銃弾を受けた際に自らの額に手を当て「ヘー ラーム (おお、神よ)」とつぶやいて世を去ったそうで、「額に手を当てる」という動作が Muslim の「貴方を許す」という動作であるなどと説明する向きもありますが、この動作は「Salaamed (額手礼)」と言って Muslim 系印度人ならば「挨拶」などによく用いる動作です。……挨拶の場合は「アッサラーム」と口にするのですが、これは「神の平和があなたの上にありますことを」という意味で、ヘブライ語で「平和」を意味する「シャラーム」と同様に「こんにちわ」として用いられる「挨拶」の言葉です。 Hindu 系印度人ならば「ナマステ」と言って手を合わせますが、これも「おはよう」「こんにちわ」「こんばんわ」の全てを代用できる言葉で、英語ならば Hallo みたいなものですね。…… p.s. (Hebrew 語をカタカナ表記すると発音が異なってしまうのですが、入力できないので御容赦ください) 額手礼は「礼」の字が示すように、単なる「挨拶」だけではなく、様々な「礼」の動作として用いられますので、Mahatma Gandhi が死に際して行った額手礼を「暗殺者を許した」と解釈するのは「Gandhi 伝説」とでも言うべき「神格化」に過ぎません。 ……で……誰が誰を許したと??? 事実 (史実) をきちんと検証することなく、想像 (願望?) を頼りに論理を展開されるようなのであれば議論にはなりません。 >もし話し合いになれないなら話し合いを目指していないからだと思います 是非、御質問者さん自身が目指して、実際に行動されることを望みます。 「話し合えば解決するだろう」……は単なる願望であり、解決に導くべき何の『具体策』も示されていません。 「話し合いをしよう」……「で、何を話し合うの?」……「だから話し合いをしよう」……「だから何をどのように?」……何の解決にもなりませんよね。 一方、戦争は「相手を屈服させてしまえば敵はいなくなるのだから『解決』する」という、実に明快な「解決策」に沿って具体策が重ねられるものです。 殺し合い避けるための「話し合い」を始めるには最終目的に至るまでの間で「何を」「どのように」といった」段階的な具体策を示す必要があり、その各段階に於ける具体策を示せないのであれば「話し合い」は成立しません。 「お互いを」「平和に導くために」なんて指針は最終目標であって、途中段階の具体策ではありませんよ。 1 つずつ、何をどうして……という具体策のために精緻な資料 (事実) と相手を納得させられる説諭を順序良く並べなくてはなりません。 >「オマエは『麻薬を解禁しろ』という立場で Debate に臨め! では開始っ!」という方は要するに私と同じ考って事ですよね? とんでもないっ! もしそう思われるのであれば是非「麻薬は解禁すべきである」という主張を行ってみてください。……私の場合は知る限りの資料 (事実) を駆使して段階的に相手の論理をこちら側に誘導すると共に、こちらに不利な資料 (事実) を他の資料 (事実) で否定する作戦を採ったのですが、敵もさる者引っ掻く者(笑) でして僅か 10 分間ほどの Debate に大汗を掻きましたよ。 教授の目的は「自分が信じてもいない論理であろうとも正当性を主張できる技術を身に付けろ」というものであり、言わば「職業的弁護士」とか「外交官」の Debate 技術を身に付けなければ「世の中を渡っていけないぞっ!」ということなのです……ぬるま湯の日本社会では想像し難い競争社会ですので……。 「判ろう」とする行為は何の解決にもならず、「判らなければ決して解決にはなっていない」のですから、自分が信じていないことであろうともとっとと「相手以上に判って」しまって相手を屈服させるのが Debate という戦いの技法なのです。 「判ろうとすれば良い」「話し合いをすれば良い」「目指せば良い」……そうすれは「解決する」なんて何の保証もありませんので、結果が出せないものは夢物語に過ぎません。 >強さが開いているから仲がいいっていうのは本当の愛情ではない気がします 国家間、民族間、集団同士での関係に「愛情」はありませんよ……友情 (信義) ならば解りますが。 従って「本当の愛情」などという言葉が出てくる時点で既に論理が破綻しています。 「お花畑」症候群が病的な妄想癖に進まぬよう御自愛ください。

obe1118xxxi1
質問者

お礼

感覚的には報復したいという感覚が分からないので、許すと解釈した方が理解できます 人は自分を傷つけないで欲しいという感覚は持っても、報復したいという気持ちは本当はないと思います 報復をしたいという気持ちを持つならそれは自分は傷つけられてもいい代り報復したいという事になるので、では傷つけられたい、自分が傷つけられてもいいと自分で思っている人間が一人でもいますか? だからすべての人類は傷つけないでと言ってるだけですよね 要するに許すというのが一般的な感覚だと思うのです もしも許す以外だというならこれから息を引き取る人が何で礼をするのですか 具体策が話し合う事です 話し合おうと探そうと努力する事 テロとの戦い、空爆、こそ具体策が何もないと思います 空爆して何どうなるのか何を目指しているのかさっぱり分からないし、どうしたいのか見えてこないのです ただ対立関係だけ作って国民の命を差し出している 話し合いだったら、お互い傷つけ合う事の内容に合意に向けて努力するって事ですよね 要するにまずは話し合いに持ち込めて、そして約束に持ち込めれば、それで終りですね 方程式のようにもう答えも出ています でも、何だか分からないけど、何かと戦って、何だかどこかに爆弾を落として それで帰ってきて、それで、報復されてテロが起こって何を目指しているのか見えてこないと思います 麻薬を解禁して欲しいという人がいるならその人のために解禁したいという人の気持ちを理解すべきだと思います そうしないから対立するのでは それに麻薬が禁止されているから犯罪組織がお金儲けに利用するのでは 普通に市販されていれば犯罪組織のお金儲けにはならないと思います ただ、問題の起きないように利用に条件を付けて安全に利用しなければいけないように制度を整えればいいと思います 自分の信じている論理ってなんですか? すべては人との関係でそれぞれの利害だと思います 自分の理屈だけで他の人は間違いというのこそおかしいと思います 人の話も理解して受け入れて、自分の思っている事も受け入れてもらってそれで、一番いい答えを出すのでは それはテロリストは間違っているだから殺してOKと言ってるのと、テロリストがこっちの人は間違ってる命を懸けてテロを起こすといってるのと同じだと思います お互い自分だけが正しい、他の人は自分の理屈で否定するものだと信じているので 殺し合いがいつまでたっても終らないんだと思います お互いの犠牲者は自分の責任だと思いますよ 他の人を理解しよとすれさえすればなんとでもなるのに 自分を傷つけそうな集団に人がわざわざ入るのは何故 それは自分が愛されているかを確かめるため 自分が傷つけらっるように仕向けてでもその人は自分を守ろうとする だから自分は愛されているんだなと確信するのです

回答No.22

A No.20 HALTWO です。 >HALTWOさんは日本人ではない方ですか? >日本人だったら信用したがると思います 私は日本人ですし、A No.20 で「日本は世界でも最も平和な国の 1 つですので人々は他の人々を信用したがります。」と明言していますよ。 ただ、私は米国で 10 年余暮らした経験があり、米国人のみならず Israel や Belgium、Latvia など、日本人が得るのは珍しい友人を多く得たことから、そのような友人を得たことがない日本人と較べれば、かなり日本人離れした考え方を持っていると自認しています。 私自身は自分を「平和呆け」の日本人と思っています。……特に Israel の友人と Security (安全保障) について話し合った際にはつくづく自分が「如何に平和呆けであることか」を痛感させられました(^_^;)。 >お互いに武器を持ったから戦争になったのではないですか? いいえ、人類は武器 (道具) を手にする以前の猿人時代から「生存競争」という戦いを勝ち抜いてきた生物種です……これは小学生でも知っていることですよ。 >銃を捨てるのは怖い事だけどお互いが銃を捨てたら紛争が収まって平和になったっていいますよね 誰が言ったのですか? 私は初めて聞きました。 日本史において豊臣秀吉は「刀狩り」をした史実がありますが、市中で庶民の帯刀と総員の夜間弓矢の所持を禁止したところで喧嘩で死人が出なくなったわけではないし、戦がなくなったわけでもありませんでしたよ。 >何で過去から学ばないのか不思議でしょうがないのです 学んでいるからこそ「相手 (敵) よりも強い武器を開発」し続けているのです。 「大人と子供の差」ほどに圧倒的に強くなれば戦争は起きなくなる……過去から学んだ唯一の手法は常にこれです。 圧倒的な力の前に人はなす術もありませんので「圧倒的な武力を背景に我が儘し放題の国に対してはこちらも同等の武力を持って相手を話し合いの場に引きずり出すしかない」というのが答えです。 何の力も持たない者が「話し合いをしよう」なんて持ちかけてきても聞く耳を持たないのが常識です。 これは武力闘争に限りません。 自分自身が生きていく上で何らかの利になることであれば幾らでも話に乗るでしょうが、損にしかならないことでも話を聞かなければならない状況は「こちらが無視できないほどの力 (強制力) が相手にある」からでしょう。 >そのためには、お互い武器を捨てるように説得して、お互い話し合いになるようにするにはどうしたらいいか考えて、答えを探そうとすればいい 相手はこちらを信用していませんので、こちらが先に武器を捨てれば、たちまちこちらを殺して全てを奪い取ります。……過去の歴史がそれを証明しているでしょう? 御質問者さんが尊敬されている人であろう Mohandas K Gandhi は「非暴力、不服従」を提唱しましたが、決して「無抵抗主義」ではありません。 「不服従」は「抵抗」であり、それによって損害を被った人々は彼の行動による被害者であり犠牲者であることを無視してはなりません。 また、武器を捨てて話し合えば平和になるなどということも彼は身をもって「否定」しました。……なにしろ彼は「暗殺」されたのですから……。 「暗殺者は彼との話し合いなど初めから拒絶し、彼を暗殺した」……これが過去から学ぶべき事実です。 >平和とは隣の人に話しかけた時、警戒とか武器とかいらない弱点を野ざらしにして笑いながら話し合える状況の事ではないですか? ちょっと文章の意味が解り難いのですが、意地悪な受け取り方をすれば「その通り」です。 平和とは持っている武器を曝け出して「いつでもオマエを殺せるんだぞ!」という状況を見せ合いながらも、笑いながら話し合える状況の事です。 日本は隣人との Trouble も法律で解決できる仕組みがしっかりと出来上がっている法治国家ですので、法律という武器が互いに明示されているからこそ多少の Trouble があっても笑いながら話し合える社会になっています。 法治化が遅れている社会では法が身を守ってくれませんので、隣人と話し合いをするにも腰に銃をぶら下げた西部劇のような状況でしか話し合いができないという状況は世界中にいくらでもあるものです。 >それを隣の国、向こうの人、世界中・・・広げるだけ 隣の国は「武器を持たない者は殴りつけて言うことを聞かせる。言うことを聞かない者は殺して埋める。」のが常識だったりしますので(^_^;)……。 >話し合えば、いじめられっ子がいじめっ子とお友達になる事だってできます 話し合いには「圧倒的に強い者」が仲介に入る必要があります。……つまり、先生なり警察なりといった「絶対的強者」が介在して初めて話し合いの場が成立するのです。 いじめられっ子がいじめっ子に「話し合おうよ」なんて言っても虐めっ子が耳を貸してくれる筈もなく、虐めが Escalate するのが現実ですよ。……私は子供時代に虐め側に居たことが数度あり、「もう止めてよぉ、何でそんなことするんだよぉ」と泣かれようと喚かれようと虐めの手を緩めたことがありませんでしたので、虐め側の心理はよく判ります(^_^;)。……結局、虐めを止めたのは「親の介在」と「先生の介在」が生じたからでした。 勿論、大人となった今では「虐め」が如何に不毛な行動であるかをよく解っていますので、相手に不快な思いをさせる虐めは決してしないように心掛けています。 >人は信用できない、自分で守らなきゃいけない、対立しなきゃいけないのが真実ならそもそも生きる価値もない世界では? いいえ、生存競争を強いられる世界だからこそ、その世界を生き抜き、勝ち残った生物だけが次の世代に「種 (しゅ)」を紡いでいけるのです。 同種の生物内でも個の存続には他の個との競争原理が働きます。 生存競争を否定する個は生きる価値を云々する以前に淘汰されますので……。 ただ、高度な社会を築いた人間種は生物界に於いて「議論 (口論)」という闘争で相手に妥協 (犠牲) を強いる技を磨き、その技を駆使する上で必要な道具として武器を発達させてきた歴史を持っています。 >そんな世界で生まれてもしょうがない 生化学者にして SF 作家であった Isaac Asimov はその著書「Foundation (邦題:銀河帝国の興亡)」で「生を否定すること (自殺) は弱者 (卑怯者) の最後の隠れ蓑である」と記していた記憶があります。……邦訳本は中学生の頃に読んだのですが、米国で英語本を読んだ記憶の方が強く残っているで邦訳の文は曖昧です(^_^;)……頑固な精神構造を「脳が灰石化した」という描写もありましたね。 外界の情報を多方面から分析解釈しようとせず、自らの信念に凝り固まるかの如く殻に閉じ籠もってしまう「お花畑」的な精神状態に陥った者が思考停止に陥ると世界を拒絶する自己破滅願望に向き易い傾向があります。 「話し合い」というものは「相手を理解しようとする」姿勢がなければ成立しないものですので、自らの信念を捨てて相手の立場で考えてみる……生理的に理解したくない考え方であろうとも理解しなければ話し合いにはなりません。 その上で自分でも相手でもない第三者の目で問題を整理し直して自らに有利な論理を構築していくものなのです。 私は米国で教授に「オマエは『麻薬を解禁しろ』という立場で Debate に臨め! では開始っ!」と、いきなり想像だにしなかった話題と立場で米国人学生と議論されられた経験がありますが、「麻薬解禁なんてとんでもないっ!」としか思っていない日本人に向かってそんな議論の訓練をさせるのが米国の教育法ですよ(^_^;)。 各々の国にはその国独自の考え方があるものなのですが、日本人の考え方が世界一優れた理想の考え方であると思うのは大きな間違いであり、日本人の考え方とは大きくかけ離れた考え方を是とする人々がいることを理解し、その考え方を認め、理解した上でなければ Communication (話し合い) は成立しないものですよ。 話し合いが成立しなければ「『戦い』か『自殺』かの二者択一」しかありません。……話し合うつもりがなければ「『戦い』か『逃げる (引き籠もる)』かの二者択一」も有り得ますが……話し合いが成立すれば互いに妥協 (犠牲) を強いることを認めることになります。

obe1118xxxi1
質問者

お礼

逆に武器で脅されているから争いが起きないっていうのは本当の平和じゃないと思います もしかしたら、裏ではもっと強い武器を作って表では従ってるふりしてて、そのうち襲ってやろうって思っているかもしれない 強さが開いているから仲がいいっていうのは本当の愛情ではない気がします 身体障碍者とか病気の人は弱い立場の人、その人たちは強さで脅していないのにみんなは親切にします 武器でその人が強いから従ってるだけだったらその身体障碍者は生きる資格もない事になります 何の力もないのに行かされるなんていけない訳ですから ガンジーは暗殺されたけどそれを許しました だから今殺し合っていないのです もしガンジーが暗殺された時、自分の考えは間違っていたと思って殺した加害者を許さないが答えになったら ガンジーを慕う人たちが報復をすると思います そして報復によって傷つけられた人もまた報復をします そうなっているのが今のイスラムですよね? もしフランスの犠牲者たちを本当に救いたいなら加害者を助ける事だと思うのです 犠牲者のためと言って殺し合いを始める事が一番犠牲者を軽んじている だって、争い続ける訳でしょう そうしたらその先に同じような犠牲者の山が何度も何度も身内も敵対してるとされている人たちにも それじゃ、どんどん犠牲者を出して何も学ばなかった事に 誰も守れていないから 暗殺されてその人を許した事はとても大きな一歩で未来を示したと思いますよ みんなは人に傷つけられたらどんな態度をとりますか? 昔の人は傷つけられたらやり返す でも新しい人は傷つけられたらもっと傷つけられようとする 欲求 向こう側から傷つけるのをやめてもらいたい意志が強い 自分からその人を力で強制してもそれは偽物だから でも自分を傷つけられるのに傷つけなければそれは本物 その通りになっていないと思います 意味合いが逆です もう一回読んでみて下さい でも、いじめられっ子にはそういう態度をとらない子供もいる 先生や警察に何とかしてもらおうとするのは結局いじめっ子と同じタイプの子で虎の威を借って弱いものをやっつけてるだけで でも本当のいじめられっ子には逆の態度をとる人もいっぱいいるようです 虐待されたりすると、そこに大人が助けに入ると悪いのは自分かのように装う子供 強ければいいっていうならそれはいじめっ子が強いからいじめてるのは正しいって言ってるのと同じだと思います 「オマエは『麻薬を解禁しろ』という立場で Debate に臨め! では開始っ!」という方は要するに私と同じ考って事ですよね? 特定の正しさに凝り固まっていたらたぶんイスラムは悪で戦う敵なのでしょう イスラムが正しいという視点でも見れて、テロを悲しむという視点でも見れて、どっちも助けたいなら 平和になるでしょう??? 何も殺したいからテロをしている訳じゃないと思いますから話し合いは望めば必ずいつかはちゃんるが来ると思いますよ 何度も何度でも 目指してさえいれば もし話し合いになれないなら話し合いを目指していないからだと思います 徹底的に戦いたいと思ってたら話し合いのチャンスなんて求めないと思いますから でもみんな話し合いを求めないから殺し合っている テロの犠牲者も、イスラム側の犠牲者も、関係ない犠牲者も、みんなそういう話し合いを求めなかった人たちの犠牲者だと思います やめればすぐにでももう犠牲は出ないのだから・・・ 人間に敵はいない 人間の敵は自然や人の意思の外で人を傷つけるもの 人と同じ気持ちを持っている人間は争う必要もないと思います 無駄です

  • kohichiro
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回答No.21

NO・19です。 >どっちも問答無用だと思います どっちも向こうが問答無用でやってきたからと言ってます どっちも折れて話し合う事が大切ではないのですか?  戦争をやめる保証はないというのは当然で、どうしたら戦争をやめられるかをしないといけないのでは?  そうしないとどんどん戦争に進むと思いますよ できないならば過去の戦争から何も学んでいないと思います おっしゃることは理解できます。でも、両方ともに生命がかかっているのです。 如何に強い方が圧倒的であっても、力を抜けば、すぐ相手がそれに付け入って自軍の命が奪われる可能性があるのです。そしてそれは指揮者の責任なのですね。 >保障というかやるしかないのでは? 保障がなければ現状を続けるしかないということです。 >やらなければ人が殺されます いずれにせよヒトの命が懸かっているのです。貴方が思っているよりももっともっと複雑で困難な状況なのだということです。 基本的に敵味方のあいだの信頼感が失われているということです。まずそれを回復させねばならないのです。 >日本は原爆を落とされて正しかったといってるようなものですよね これにも異論はあります。日本人の多くがアメリカを信じたからですが、貴方は信じていないのですね。それもいいでしょう。この問題も複雑で、正解は私にも分かりません。でも戦争が続いていたよりも結果としてよかったかもしれないと言うのは、論理的にはひとつの答えです。貴方が言うように更にヒトが殺された、かもしれないからです。

obe1118xxxi1
質問者

お礼

力は抜かないけど、力を入れる場所が違うだけです 暴力で抑え込もうとする力を、暴力を収めるように注ぎ込むだけです 現状を続ければ人が誰も死なずに済むという保証は? 敵も含めて誰も死なないでいられる保証 なければ武力でやっつける正当性にはならないと思います 誰も死なない最善の道は武力で殺し合う事とお互い争いをやめるにはどうするか考え合う事、どっちですか? 意識して武力でぶつかり合おうとするんじゃないならどう考えても争いをやめる向きに進もうとするのが普通なのではないかと思います 意識して武力を維持しようとしない限りこの関係にはならないから不自然です

回答No.20

A No.14 HALTWO です。 >平和を得てはいないならなんでみんなそんなに人を信用するのですか? 日本以外の多くの国々では平和を得ていませんので、他国の人々は他の人々を信用しませんよ。 日本は世界でも最も平和な国の 1 つですので人々は他の人々を信用したがります。 日本人は「義に篤い」と言うか、他人を信用できる世の中にしたいがために自らも信義を大切にする……そんな気質が日本の社会を育んでいます。 でも、お隣の国では子供の頃から「人を信用するな! 騙される奴は愚か者だ!」と教えられるそうですよ(^_^;)。 >平和でないなら自分の部屋からも出られないともいます 正に「現代日本人の多くがそうである」と言えます。 平和ではない海外の事情には耳を塞ぎたい……日本 (自分の部屋) の中だけに閉じ籠もりたい。 Media は「偏向」を是とするものですので、日本語 Media だけから情報を得ようとすると日本 Media 独特の思考形態に染まってしまう……悪く言えば洗脳されてしまう……ものなのですが、そうなってしまうと他国社会の常識を生理的に受け付けられなくなってしまいます。 だから他国の事情を歴史や経済、宗教、政治といった多角的な情報から考察しようとはせずに自らの妄想的な理想だけにしがみついて他の情報を生理的に受け付けない人が日本には数多くいます。……勿論、他国にもそんな人々は少なからずいるのですが、日本人特有のそうした症状は「平和呆け」とか「お花畑」などと呼ばれます。 紀元前一世紀の Rome で政治家にして文筆家でもあった Marcus T Cicero が記した故事に「Damocles の剣」というものがあります。……現代社会では東西冷戦時代に形成された MAD (Mutual Assured Destruction:相互確証破壊) という名で知られる「核兵器による平和」戦略の説明にも用いられるものなのですが……。 つまり 人は火と棍棒を持った……だから他の人も火と棍棒を持った。 人は石器を持った……だから他の人も石器を持った。 人は青銅の剣や鉄の剣を持った。……だから他の人も青銅の剣や鉄の剣を持った。 人は銃や砲を持った。……だから他の人も銃や砲を持った。 やがて…… 人の国は核兵器を持った。……だから他の人の国も核兵器を持った。 人殺しの道具は互いに「削減」はできるが、決して手放すことはない。 どれほど平和に見えようとも、現実は常に一触即発の危機に曝されているものであり、その危機を制御することによって他者には平和に見える均衡が保たれているのが現実である。 ……というわけですね。 「外交は右手で握手を交わしながらも、左手には何時でも相手を刺すことができるように Knife を持つ」ものです。……これは Cicero が「Damocles の剣」で述べたように 2 千年以上前の Rome 時代から変わらぬことであり、今も昔も変わりません。……未来永劫、変わらないでしょう。 >答えは出ていてどうすればいいのかも分かっていてやらない それを「お花畑」と言います。 答えが出ていてどうすれば良いのか判っているのであれば、とっととやれば良いだけのことです。 しかし、誰もやらないのは、誰も「答えが出ておらず、どうすれば良いのかはっきりしない」からなのです。 「答えが出ている」「どうすれば良いか判っている」と主張する人もまた「何もしない」でいるのは、本当は「何も判っていない」からであり、「判った気がしているのだけれど、そんな気がしているだけで、実は全く判っていないので、解決できない」でいるのです。……そういう人を「お花畑」と言います。 「判っている」と言いながらも「何の解決も得ず」、「判っている」と思い込んでいるからこそ、それ以上の考察をせずに思考停止に陥り、「話し合いをすれば解決する筈」と言いながらも「他の考え方を理解しようとはせずに『私が考えているようにできないのは何故ですか?』と他を拒絶する」……そういう症状に陥ることを「お花畑」と言います。 普通は「判っている」とは思わず、「判らない」と思っているからこそ自分自身を守るために警戒し、疑い、家には鍵をかけるものですし、警察の存在を必要とするものでしょう? 同一の価値観を持つ人々が集まって社会を構築すると、他の価値観に基づく社会との間に齟齬が生まれるものですので、互いに相容れない事に関しては生存競争、弱肉強食の原理が働いて、自らの社会を平和に保つために他の社会を犠牲にすることを容認せざるを得ない状態になります。 Terrorist は単独ではありません。……単独の Terrorist は単なる精神異常者にして犯罪者です。 Terrorism にはその行動を是とする集団社会がその背後にあり、その社会と他の大多数の社会との齟齬があまりにも大きく、Terrorism で他を破壊しないことにはその集団社会が立ち行かない状況にあるからこそ Terrorism に走るのです。 Terrorism は非武装市民に対する殺人行為ですが、戦争も非武装市民を巻き添えにしますので、戦争は国家単位での Terrorism と言えます。……国家単位以下のものは紛争とか内戦などという言葉が用いられます。 Cyber Terrorism という言葉があるように、直接的な殺人行為には至らないものでも、社会に多大な損害を与える行為、それによって生存権を脅かされる者が生じるような行為は Terrorism です。 真の平和を望むのであれば他の社会と隔絶した社会に引き籠もるしかありません。 完全な鎖国状態……極めて小規模な原始共同社会 (ここまで来ると民主主義も共産主義も殆ど同じものになります)……或いは生理的に受け付けない外界の情報には一切耳を傾けずに引き籠もりや逃避生活を行う……そんな宗教団体もありましたね。 >人間が理解できない >これは何かの病気でしょうか? >発達障害? 病気か障害かは、私は医者ではないので判りませんが、「お花畑」と呼ばれる症状ではあると思いますよ。 米国の「核の傘」や「日米軍事同盟 (日米安保条約は実質的に日米軍事同盟です)」に守られ、「戦勝国同盟 (国際連合という訳語は造語であり、正しくは第二次世界大戦の戦勝国による『連合国 (United Nations)』です……因みに敗戦国側はかつては『枢軸国 (Axis Powers)』と呼んでいました)」が世界を牛耳っている現実から逃避して未だ嘗てただの一度も実現したことのない「世界恒久平和のための解決策」などという妄想に囚われてしまうのは間違いなく「お花畑」でしょう。 集団逃避生活を送る宗教に入信しても「病気」や「障害」ではないので医者に看てもらうことにはなりませんし、法を犯すわけではないので逮捕もされませんが、「国際社会の常識に適合できない性格の者」と看做される可能性はあるかも知れません。 通常「お花畑」でいられるのは学生期の初期までで、自立して社会に出ると各々の社会状況の中で現実を認識し、自らを守るためには同じ価値観や社会状況にある者達と手を取り合って対立する社会に立ち向かうことで世間を渡って行くようになりますので、社会人は多かれ少なかれ様々な分野で集団化し、集団単位での生存競争に曝されるようになります。 その中で対外 (外交) 分野に関して集団社会間での対立交渉の場を経験したり考察することを要さない立場にいる人は、日本社会においては「お花畑」になり易いと言えますので「お花畑」症状は決して珍しいものではなく、病気でも犯罪でもないのですが……。

obe1118xxxi1
質問者

お礼

HALTWOさんは日本人ではない方ですか? 日本人だったら信用したがると思います お互いに武器を持ったから戦争になったのではないですか? 人は銃や砲を持った。……だから他の人も銃や砲を持った だから殺し合いになった 銃を捨てるのは怖い事だけどお互いが銃を捨てたら紛争が収まって平和になったっていいますよね 今だって国家が武器を持った、テロリストも武器を持った、テロリストが人を爆弾で襲った、国家が空爆でテロリストのいる国を襲った 何で過去から学ばないのか不思議でしょうがないのです 答えは出ていると思います みんな武器を捨ててみんなで平和になりたい そのためには、お互い武器を捨てるように説得して、お互い話し合いになるようにするにはどうしたらいいか考えて、答えを探そうとすればいい 手探りで 最初から答えは出ていると思います それなのに、何故頑なに殺し合いを避ける道を拒否するのか分からないのです まるで望んで殺し合っているように見えます 自分が殺されるのは仕方ない、人も殺す それなのにテロは卑劣だとか言っていて、本当に何を目指しているのか分からない 望んでいるのは自分たちなのに 真の平和はひきこもるとは逆だと思います ひきこもるという事は平和でないから閉じこもるという事なのでしょう 平和とは隣の人に話しかけた時、警戒とか武器とかいらない弱点を野ざらしにして笑いながら話し合える状況の事ではないですか? 日本人は人を信用する だから隣の人に話しかける時も武器を持たない それを隣の国、向こうの人、世界中・・・広げるだけ 話し合えば、いじめられっ子がいじめっ子とお友達になる事だってできます もう答えは出ていると思います どうすればみんな敵にならずに済むのか どうすれば解決するか 人は信用できない、自分で守らなきゃいけない、対立しなきゃいけないのが真実ならそもそも生きる価値もない世界では? そんな世界で生まれてもしょうがない

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.19

NO・10 です。 >でもそれは空爆される側の意見が反映されてないですよね  問答無用という事は、その人を無視して強行する、という訳ですね いや、私が言った「問答無用」はテロを実行する側の言辞です。 > みんなにとっての理想も解決手段もずっとずっと昔に分かっているのに  何でそうしないのか分からないのです  >童話や創作なんかでは普通に言ってる理想だし、学校でもそう教えています よね? 仰ることが良く分からないのですが、ひょっとして 「強い側が攻撃をやめて話し合いを提案する」 ということですか? 米国が空爆をやめればIS も戦争をやめる、という保証はまったくありません。 ISの攻撃方法も含めて、テロルというのは現在最強の軍事力を持っている米軍もてこづるほどの効果的な攻撃法法なのです。決して弱くはありません。なので、米軍は対日戦争以後、勝った戦争はありません。 始まった戦争を止める方法はありません。強い方が徹底的に弱いほうを殲滅して終わる(対日戦など)か、弱いほうが負けた、というか、どちらかしかありません。なので 戦争は始めてはいけないということです。対IS戦争は当面終える方法はない、ということです。

obe1118xxxi1
質問者

お礼

どっちも問答無用だと思います どっちも向こうが問答無用でやってきたからと言ってます どっちも折れて話し合う事が大切ではないのですか? 戦争をやめる保証はないというのは当然で、どうしたら戦争をやめられるかをしないといけないのでは? そうしないとどんどん戦争に進むと思いますよ できないならば過去の戦争から何も学んでいないと思います 保障というかやるしかないのでは? やらなければ人が殺されます 日本は原爆を落とされて正しかったといってるようなものですよね

noname#228894
noname#228894
回答No.18

> むしろ話と聞かないで無視されるから暴力を手段として使っているのだと思います その発言だと、暴力を手段として用いるのを肯定するってことになります。それは話し合い解決とは矛盾してますけどね。その暴力に巻き込まれてもおkって考えてると判断していいのかな? それにISは「俺達の要求を受け入れろ、受け入れないなら死だ」という立場で、しかも全世界に喧嘩を売っており、交渉の意思がないことは明らか。だからと言って放置したら、中東地域の犠牲者や難民はもっと増える…攻撃は下策だけど、現時点では他に策がないわけで。 交戦状態になってしまってる今になって、そうなる前にもっと話し合っておけなんて言うのは後出しジャンケンだし、今からでも話せばわかるなんてのはそれこそ綺麗事。机上の空論・理想論・お花畑な発想です。残念だけど今は、双方が攻撃がしんどくなって、じゃあ話し合おうかって空気になるのを待つしかない。

obe1118xxxi1
質問者

お礼

暴力的な解撤を手段として用いるのを肯定しているのは自分に暴力的な事をしてもいいって言ってる方ではないのですか? 最初に喧嘩を始めたのはこっちだと聞きましたよ 十字軍がどうだとか 向こうの人も最初に喧嘩を持ちかけられたからその喧嘩のお返しをしているのでしょう? どっちも向こうが悪いって言ってますから どっちも折れ合う事が必要だと思います 気付いた方、できる方がやるしかないのでは? そうなる前にもっと話し合っておけなんて言うのは遅いって事は次同じような状況になったら話し合うという事ですか? もう十分しんどいと思います 人が犠牲になっています これ以上しんどい事ってなんですか? これ以上まだ続ける? ないでしょう? 今からでもやめようとすれば辞められるのではないですか?

noname#228894
noname#228894
回答No.17

> テロリストのテロ行為っていじめられっ子をいじめていると、突然起こりだして > 捨て身の怒りをぶつけるのと似てる気がします チェチェンやパレスチナとかではそれがあるんで背景には同情するけど、でもテロ行為そのものには賛成できないですね。ISはそうではなく、厳格で完全なイスラム主義による国家樹立を目指す団体であり、それの妨げになる相手はイスラム教徒であっても攻撃するので、弱者ではなく加害者でしょう。 もし弱者なら、ジャーナリストは殺さず都合の良い記事を書いてもらえば、自分の立場を補強できると考えるのが普通だし、テロ紛争地域の指導的立場にある人(一応テロ関係者ではないと認められる人)は、報道メディアに露出して自分たちの正当性を訴えようとします。そういう人は窓口になりうるんで、交渉の余地があります。ただ強いとされている方が交渉テーブルに着くかどうかが問題だけど。 ISはこれらとは全然違ってて、そもそも交渉の窓口が存在しないし、要求を丸飲みする以外の話ができない。ジャーナリストを人質にして身代金を要求して、支払わなければ公開処刑しちゃうんで、従来の典型的弱者とはまるで異なります。むしろ侵略者と言う方が近いかも知れません。 また強弱は別にして、テロリストと交渉するのを認めると言うことは、とにかく手段を選ばず無関係な人間を犠牲にすることも気にせず行動すれば、誰でも交渉権を与えられることに同意するっていう意味でもあります。そういうやり方を認めるなら、ISだけじゃなくてそれ以外の組織も同じことを要求し行動するだろうけど、その結果として貴方自身や周囲が犠牲になっても、弱者が仕方なくやってることなんだから、文句なんて絶対言っちゃだめだよ。

obe1118xxxi1
質問者

お礼

交渉する姿勢を与えられる事は交渉権を誰でも与えられるという事だけど それはテロ行為をするから交渉してもらえるのとは違うと思います テロ行為をしなかったとしても話し合いを求めれば交渉してもらえる 話し合いを与えられれば別にテロをする必要もないと思います むしろ話と聞かないで無視されるから暴力を手段として使っているのだと思います 強いのは国家 強い余裕の持てる側が誰も不満の出ないよう立ち回るべきではないでしょうか? テロ行為をした人が悪いなら、テロ行為をするのにいたった原因を作っている人はもっと悪いのではないですか? ジャーナリストを利用する人は強い人だと思います 自分の思ったとおりにやれる人 できない人がそれしかできない事をするのではないですか?

  • Beholders
  • ベストアンサー率21% (77/364)
回答No.16

西側先進国が作り上げた国際秩序が崩れてしまうため 話し合いに応じることはありません

obe1118xxxi1
質問者

お礼

なんで崩れてしまうんですか? テロの方が崩してると思います