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自然の生命への被害(人口増加)

最近、人間は、自然の生命にとったら、 時に、敵のようなものではないかなと思う時があります。 なぜなら、空気や、水を汚し、樹木をきりたおし、 自分たちの文明を優先して増殖し続けているから… 自然に対して、多大な被害をもたらしているのではないかとさえ思います でもその一方で、 自然の生命の美しさを写真に収めたり絵にかいたり語ったりできるのも人間だけで、 そういう意味では人間は自然のすばらしさを表現できる唯一の生物として 意味がある存在かもしれないとも思います 皆様は、人間と自然のかかわりについてどう思いますか?

みんなの回答

noname#224207
noname#224207
回答No.5

>皆様は、人間と自然のかかわりについてどう思いますか? ご質問を、人は自然に対峙して克服するの、自然と共生するのか、という問題と考えました。 結論としましては、対峙克服と共生のバランスであろうと思います。 どちらかに偏れば、いずれも過ぎたるは及ばざるということになると思います。 対峙克服するという考え方はキリスト教圏の西欧の考え方です。 これに基づいて現在の近代科学が発達したことは間違いがないでしょう。 それが行き着いた先が、ご指摘の「空気や、水を汚し、樹木をきりたおし、 自分たちの文明を優先して増殖し続けている」と言う現代の姿でしょう。 結果として温暖化や砂漠化、異常気象をもたらして多大な被害が生じています。 この辺についてキリスト教圏でも最近反省の機運が出てきています。COP21の呼びかけもこの反省に基づいています。 一方日本は長い間自然との共生を生活の基本姿勢としてきました。 仏教も日本化されて「国土草木悉皆成仏」という独自の思想が生まれました。 人も草木や動物や山や川と同じ自然の一部に過ぎないという考え方です。 これを重視する考えも最近増えてきています。 江戸時代の社会はエコ社会だった、そこへ戻れという人もいます。 エコ社会も結構ですが、現代の医学の恩恵も諦めることになります。 近代医療技術というのは、あらゆる近代科学の集積です。 電気は諦めて日が暮れたらサッサと寝るということになります。 自動車や電車はもちろん飛行機などもっての外です。 耐えられますかね~ 全く自信がありません。 先般の東日本大震災の後の復興に当たっても従来の防潮堤を嵩上げしてより頑丈にすべきだという意見と、津波に逆らわず、海岸に樹木を植えて津波の勢いを衰えさせて、その間にサッサと高台へ逃げる方が良い、という考えに分かれています。 等々色々考えますと、え~とこどりの折衷案ということになります。 もう少しゆっくり周りを見ながら生きて行くということですかね~ 蛇足 旧約聖書の創成期の項には以下のような主旨の文章が書かれています。 神は人を神の像の通りに創造された。 神は彼らに言われた「ふえよかつ増して地に満ちよ、また地を従えよ、海の魚と、天の鳥と、地に動くすべての生物を支配せよ。 全地にある種を生じるすべての草と、種を生じる木の実をみのらすすべての樹を与える。 それを食糧にするがよい」 この神の摂理に従うということが、西欧が近代技術を発達させた根本の考え方となっています。

  • staratras
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回答No.4

人間も自然の一部の生物ですが、「自分の意思で」その自然を破壊することも保全することもできる点が、人間以外の生物とは異なる特殊な存在です。美しい羽毛を得るためにある種のトリを絶滅寸前にまで追いやったのも、その後は逆にこれを保護して増殖させるために多大な労力を費やしているのも、同じヒトという生物です。 他の生物も、例えばAという種が増えすぎて競合するBという種が絶滅してしまうなど、「結果として」自然を破壊してしまうことはありますが、「自分の意思で」行うわけではありません、 この違いが重要で、そこにヒトの存在意義があるのではないかと回答者は考えます。

回答No.3

生態系の恒常性の観点からして、自然破壊は悪だと言えますが、 たとえばCO2の増加による温暖化は自然破壊かというと、 かつて恐竜が闊歩した時代にはCO2が多く、その温室効果の 高温多湿による豊かな植生において、恐竜は繁栄し得たのです。 だが、その「豊かな植生」により枯れた植物の分解が間に合わず、 堆積したまま地中深くに埋もれ、石炭や石油になったのです。 その大量のCO2の固体化によりCO2濃度は低下し、寒冷化 して植生が貧相になり(あるいは寒さに強い針葉樹になり)、 恐竜は、隕石滅亡説の時期の前に、既に多様性と個体数が減少 していた事が、化石から知られています。 つまり、今の現状自体が「自然破壊」の結果だと言えるのです。 植物にとって人類は、本来自然の物質循環の中にあった炭素が、 地中に埋もれて使えなくなっていた物を、苦労して掘り起こし、 再び植物が光合成に使えるようにCO2に分解してくれている 救世主なのです。 もちろん、現在の自然環境に適応している生物にとっては、 自然破壊であり、自己の生存を脅かすものかも知れませんが、 長期的な生態系の豊かさ・多様さという意味では、必ずしも 環境の変化=悪ではありません。 地球上の生態系の本質は、日光によって励起された化合物の 合成(光合成=植物)と分解(消化=動物)の連鎖反応です。 植物が成長(合成)するために、二酸化炭素と水、窒素などの 化合反応の材料が必要であり、動物抜きの分解(紫外線による 分解や大気中の酸素による酸化)より、動物による能動的摂食 と生化学反応的酸化による、高速の分解の方が、有効なのです。 生命の進化とは、いかなる“強い種”の創出でもなく、地球に 降り注ぐ日光が輻射によって再び宇宙に還って行くプロセスに 於ける、生態系としての多様化=地球上の熱容量(物質循環量 と速度)の増大だと言えるのです。

  • ryuzin
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回答No.2

長い目でみれば人間は自分で真綿で自分の首をしめているだけ。ですかね。環境保護や環境保全という形でなんとか表面上での面目を保とうとはしていますが、保護も保全も文字通りの意味を最大限に見ても超えていないのが実情です。 保護をすれば、保全をすれば、自然が治る訳ではない。のにも関わらず。にです。保護も保全も一方的に自然という資源を使い続けている事には違いはないのです。今後本当に自然を治したい。というのであれば補完やら土地改造やらがどうしても必要になります。テラフォーミング(この場合はアースフォーミング?)も視野に入れなくてはならないかも知れませんね。 人間の側だけの理想を押し付けるのでは地球は消耗するだけです。

noname#211084
noname#211084
回答No.1

環境破壊を しているのは事実だが 環境保全してるのも人間です・・ 自然発火等で 山火事が起きれば消火し 水害が起これば堤防やダムを造り 地震等での災害も 人間が補修する・・ 動植物の病気や絶滅を防ぐのも人間の役目です・・ その様に 地球を管理する為に 人間が創造されたのです・・

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