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生命の秘密
例えばこの宇宙のどこかにコンピュータが存在する可能性は人間が作り出す以外あるはずがないのですが、ならコンピュータよりも複雑な生命が偶然や必然によって生まれる確率は0%だと思いませんか? それと生物は非生物と違い複雑で自己増殖し意思を持ちます。同じ物質で出来ているのになぜこうも違うのか、生命は何か特別な存在なのでしょうか?回答よろしくお願いします。
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どこかで面白い話を聞きました。 実はDNAというものが生き物だったらという過程での話しですが、実は地球上に存在する生き物はすべてDNAという生き物の乗り物だというお話もあるんだそうです。 どんな人間にしろ、自分でコントロールできない自律神経があります。 心臓の鼓動や、入眠時の呼吸、腸の働きなどですね。 これは、人間の意志によるものではない、、、、 人間は自分で自分を殺すしかこのコントロールをとめることはできないわけで、結局はDNAの配列で計画されたもともとのプログラムで人間は動いているわけですよね。 鳥だと自然と毛づくろいをし、人間の赤ちゃんも自然とおっぱいを捜します。 こういった自然の成り立ちは実はDNAという生き物のコントロールなのかもしれないということです。 絶えていった祖先の動物たちはDNAのどこかしらの欠陥を感じ自分の意思で自ら絶えたのかもしれません。 人間ヒトゲノム計画というもので人間の遺伝子配列が解明されましたが、このDNAを使って人を自殺させることができるかもしれませんよね。 あと、DNAにそっぽを向かれると人間も絶える生き物となるのでしょう。 繁殖しようとするのも絶えようとするのもDNAのコントロールなのでしょうし、結局は人間が操られている。 なんか怖いと思いませんか? ただほかの動物と違うところは理性、心があるということ。 DNAに対抗するべく人間という高度な乗り物は対抗したのかもしれません。 この全宇宙で、DNAを基とした生物がいるのかそれとも、まったく違う構造体からのものなのか??? 宇宙は広いですからね。 いろいろな生まれ方繁殖の仕方があるかも知れませんよねぇ、、、
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>生命が偶然や必然によって生まれる確率は0%だと思いませんか? 0%とは思いません。わからないというのが本当のところだと 思います。 人間も含めた生物は”意思は持っていない。” と思います。
生命の本質とは「自己複製する存在」ということは言えますが、意思の有無は関係ありません。生物以外に意思を持つものは存在しませんが、「意思を持たない」生物もまた多くいるからです。もっと正確に言うと、「生物のうちごく一部分が意思を持つ」わけです。 その生物と非生物の「自己複製するか否か」の違いは何に由来するのかといえば、生物は「自己複製する化学物質」であるDNAによって定義されている、という点です。 ま、DNAを理解すれば生物の全てが理解できるといったような還元主義的なことを言うつもりもありませんし思ってもいないのですが、生物が持つ形質が基本的に全てDNAである遺伝子によって規定されている以上、生命の本質はDNAであるということは言えるでしょう。 どういう解答や解説を望んでいるかにもよりますが、私は生命に対する理解はDNA発見後のこの50年余りで非常に深まったと思いますが。というより人類は既に生命の本質は理解した、と思います。各論である具体的なメカニズムはまだまだ判らないことだらけですが。
たしかに、生物は自己増殖し、意思を持ちます。 生物と非生物の違いは、そこにあります。 その答えや、解説を聞いたことがありません。 おそらく、まだ誰にもわからないのではないだろうか。
No.5のJagar39です。 話を単純化して考えてみましょう。 仮に、100個のパーツからなるコンピュータを考えます。そしてそれぞれのパーツが「偶然」に正しい位置にはまる確率を10%とします。 まあ実際には100個のパーツから成るモノなんてソロバン程度のモノでしかありませんし、10%という確率もむちゃくちゃ甘いのですが、まあ思考実験なのでこの程度の甘い条件で。 すると、全てのパーツが「偶然」正しい位置にはまってコンピュータが完成する確率は、1/10^99ということになります。最初のパーツはどこに位置しても良い、ということにしてですが。 さて、宇宙には1兆個の星で構成される銀河が1兆個あると仮定します。実際には普通の銀河は数百億からせいぜい数千億個の星で構成されていますし、観測可能な地平面内の銀河の数は1兆個もなかったと思うのですが(ちょっと記憶は曖昧)、まあこれとも思考実験ということで。 このそれぞれの銀河を構成する全ての星に、それぞれ1兆セットのパーツ(それぞれ100個の)が存在し、それが1秒に1回、集まって何らかの構造を取る、と仮定します。 この条件で、全宇宙のどこかで「偶然」コンピュータができてしまう事象は、約3×10の56乗年に1回、ということになります。 つまり、3兆年の1兆倍の1兆倍の1兆倍の1億倍ほど、ということに。 ま、パーツのセット数を増やしても、「コンピュータになる」組み合わせを増やして、10桁や20桁変えても「全宇宙を創世から終焉まで観察してもそのような現象には出会えそうもない」ことには変わりないでしょう。 ま、その「パーツ」が偶然できる確率まで計算・・・するまでもないですね。 ちなみに直接関係ないですが、全宇宙を構成する原子の数は10の100乗個ほどと言われています。 というわけで、私はコンピュータのような複雑な物体が「偶然」できる確率は、事実上ゼロ、と考えます。 一方生物ですが、現在の地球上の生命の起源は1つであるらしいことが判っています。これはDNAのコドン表(どのトリプレット(塩基3つの順列)がどのアミノ酸を指定するか)が全ての生物でほぼ同じであることが証拠とされています。これはつまり地球上の全ての生物が「同じプログラミング言語」で書かれていることを意味します。 別にATGがメチオニンを指定することそのものに必然性はないわけですから、地球で生命の発生が複数回あったのなら、それぞれがまったく違うコドン表を持っているはずです。 それが全生物で同じコドン表を使ってDNAを翻訳しているということは、地球上の全生物はたった1つの生物から進化・分岐してきたことを意味していると考えられています。 ということは。 生命発生がだいたい35億年前とすると、地球が誕生してから10億年。 原子スープに放電(落雷)1回がワンチャンスと仮定すると、まあ地球上のどこかに毎日1回は落雷するとして、生命が発生する確率はざっと3000億分の1以上であれば、地球に生命が発生したことは「必然だった」ということになります。こんなの実験室で再現できっこないですが。 そして一旦生命が発生すれば、その生命は自己複製を繰り返し、ごくごく希に複製ミスによる変異体を産み出し、それらはその時の環境条件による自然淘汰を受け、35億年経過した現在、我々人間に代表されるような恐ろしく複雑な生物を産み出したというわけです。 これが必然だと言えるのは、DNAという物質がそういう性質を持っているからです。自己複製するがごく希にミスコピーするという。 ドーキンスは「もし地球外の天体に生命が存在するとすると、その生命も「進化(ダーウィニズムによる)」を経てきたに違いない」と書いてます(盲目の時計職人)。言い換えると、どの星の生命の進化もダーウィニズムで説明可能な道を辿っているに違いない、ということです。 結論だけ読むと「いくらなんでもそれは言い過ぎじゃ・・・」と思うのですが、よくよく読むと理論的には綺麗に筋が通っていて、これに理論的に反論するのは難しいです。 つまりシンプルにまとめると、 1.いきなり「複雑なモノ」ができることは確率論的にあり得ない 2.従って、単純なものから複雑なものに「進化」することによってしか、「複雑なモノ」は生じ得ない。 ということです。 「複雑なモノ」の定義も、また「進化」が漸進的な進化しかあり得ないことも上の論旨に含まれているのですが、まあその辺りは本を読んでみて下さい。
- 8942
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たとえば1の目の出る確率が1/6のサイコロなら 6回も振れば大概1は1回はでます。もう60回もふればほぼ間違いなく1の目は一回は出るでしょう。 同じ理屈である目の出る確率が 1/10000000000000000000000000位の サイコロでも 1/10000000000000000000000000000も ふれば希望の目はほぼ100%出ます。 つまりそれほど宇宙とは広く、時間的奥行きもあるとてつもない世界なという事なのではないでしょうか?
- otx
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>例えばこの宇宙のどこかにコンピュータが存在する可能性は人間が作り出す以外あるはずがないのですが 今、私たちが使っているような姿形のコンピュータと100%同じものは無いかもしれませんが(それでも完全に0%では無いと思いますが)、ちょっと見た目が違うコンピューターはあるのではないでしょうか?(高い確立ではないと思いますが、0%ではないと思います) まず第一に、なぜ「あるはずがない」のか分かりません。 その前提が「0%であるはずだ」という偏った考え方であると思います。 私は、その前提が成り立たないと思いますので、 生命が生まれる確率は0%だと思いません。 また、可能性を論じているのに、 「偶然や必然によって」というのにも違和感を覚えます。
この世界に「絶対零度」が実際には存在しないのと同じように、「0%の確率」というのもあり得ないでしょう。ですから「偶然、自然にコンピュータができてしまう確率」もゼロではないと思います。 でも、宇宙の創生から終焉まで全宇宙を観察し続けたとしても、宇宙のどこかで偶然コンピュータができてしまう現象を見ることはできないでしょう。そのくらい小さい確率は、現実的にはゼロと言ってしまって良いのでは。 確率という概念は、未来の予測だけでなく過去の事象にも適用されます。10回振って全て6が出たサイコロは「イカサマである」と結論するのも、過去の事象を確率で判定しているからです。 まあ、統計学そのものが確率論の塊のようなものです。最も判りやすいのは有意差検定ですが、「5%水準で有意だった」という"言い回し"は、判りやすく翻訳すると「この成績が"偶然"得られる確率は5%未満である」ということになります。これは「過去の出来事を確率論で論じる」ことそのものですよね。 まあ自然科学系の仕事をしている人で有意差検定をしたことがない人はいないだろう、というくらい初歩的な統計処理なのですが、もっと高度な統計処理も煎じ詰めれば全て「確率論」です。データを蓄積し、それを分析・解析して積み上げていく自然科学の仕事は、全て「過去の事象」を確率論で確かめながら1歩ずつ前に進んでいるのです。 さて、それはさておき。 コンピュータが「偶然」できる確率は、我々が知っているコンピュータのことであれば、言い換えれば自動車の部品を1つ1つ並べておき、それが竜巻で吹き飛ばされて落ちた時に「偶然」自動車ができあがっていた、という確率より遙かに小さいでしょう。部品そのものも分子から「偶然」組み立てられなければなりませんから。 ですから、確率論で考える限り、宇宙のどこかにコンピュータがあれば、私達はそれを「必然的に」組み立てられた、と考えるわけです。つまり言い換えれば「人間(と同じような知性ある存在)によって組み立てられた」と言うわけです。 で、生命ですが、大部分の生命体は人類が現在作れる機会よりも複雑です。思考などの精神活動を除外してさえ。 こんな複雑なモノが「偶然」できるわけはないのですが、生命の場合は最初の単純な化学物質から漸進的に「進化」を続けて現在の形になったことが判ってきています。 ま、その進化論も細かいところは諸説ありますし今後も新説が出てきたり修正されたりするでしょうし、そもそも単純な化学物質から"生命"と呼べる存在になったあたり、すなわち「生命の起源」そのものは判らないのですが、生命が発生した後のことは大筋ではかなり判ってきています。「信じたくない人」以外には素直に信じられるような理論体系にはなっていると思います。 (余談ですがこの辺の事情はビッグバン以前の最初期のことはまだ判らないが以後のことはかなり詳しく判ってきている宇宙論と似ている気が) 自己を複製しながらほんの僅かずつ変化し、故に少しずつ進化を続けるという生命の性質があって初めて、現在の極度に複雑化かつ多様化した生物の存在が「必然だった」と"確率論的に"論じることができるわけです。 とすれば、やはり生命の本質はDNAである、ということになりますかね。上の「生命の性質」はそのままDNAの性質ですから。 ・・・ま、ここまでの文はほとんどNo.4さんもお奨めしている「盲目の時計職人」(リチャード・ドーキンス,早川書房)の受け売りです。 この本、私も強くお奨めします。質問者さんの疑問に対する回答はひととおり、詳しくかつ丁寧に、また判りやすく書かれていますから。 ドーキンスといえば「利己的な遺伝子」が有名ですが、どちらかというと進化論の入門書のような性格の「盲目の時計職人」の方が読みやすく、かつ面白いと思います。この本を読んで「進化論」の概念を納得してから「利己的な遺伝子」を読んだ方が、ドーキンスが述べていることを理解しやすいかな、と思います。 生物は「DNAの乗り物」と言ったのは「利己的な遺伝子」でドーキンスが述べたことですが(ただしこの論旨そのものはドーキンスのオリジナルではない)、「利己的な遺伝子」の最終章で「人間は意志や精神という「DNAの支配に抵抗する手段」を手に入れた」と言ってます。 でも、これは私は本気で言ってるのかな?と少し疑問に思っています。精神活動もDNAの影響下にあることは間違いないことですし、「生存機械論」についていけない読者のためのリップサービスでは?とか思ったりしています。 もう1冊、「生命40億年全史」(リチャード・フォーティー,草思社)もお奨めします。著者は三葉虫が専門の古生物学者なのですが、とにかく文章が良くて冒頭から引き込まれます。私は本屋でこの本を見つけた時、立ち読みを止められなくて買ってしまいました。 ま、この2冊(あるいは3冊)を読むのなら、公平を期すためにもスティーブン・ジェイ・グールドも読んだ方が良いとは思いますが。早川文庫から何冊か出ています。「ダーウィン以後」とか「キリンの首」とか「パンダの親指」などの著作です。(ドーキンスとフォーティーはちょっぴりグールドには批判的) グールドも面白いのですが、文体的に少しだけ前二者の著作より、読むのに体力が必要です(翻訳の問題もあるでしょうが)。
- nativepage
- ベストアンサー率40% (24/60)
いわゆる時計と設計者の問題ですね。 もともと生物は生物ではなく、自己増殖する単純な化学物質であったと考えられています。これならコンピューターより圧倒的に単純で、偶然生まれる可能性が出てきますよね。 自己増殖する単純な化学物質は、増殖速度を競って自然淘汰されていき、どこかで生物と呼べるようなものになったと考えられています。自己増殖する分子→自己増殖する分子の複合体→・・・・→生物、という流れの中に明確な境界は引けない可能性もあります。 それと、必ずしも生物は意思を持つとは限りません。意思とは何かとなるとまた難しい問題ですが。 詳しくはリチャード・ドーキンスの「盲目の時計職人」を読めばいいと思いますよ。
- prumin
- ベストアンサー率71% (66/92)
まず第一に、「必然によって生まれる確率」は100%です。 それが必然という言葉の意味ですから。 それはさておき、そもそも過去、つまり歴史的事実に対して確率論を持ち込むことはできません。 確率とはあくまで未来を推測するための方便であって、過去を直接議論するためのものではないからです。 簡単な例を挙げましょう。今からさいころを10回振って、すべて6になる確率はほとんど0です(10のマイナス7乗以下の確率)。 ところで私は先ほど10回さいころを振って、"1464546512" という結果が出ました。 もう一度さいころを10回振って "1464546512" が出る確率はほとんど0(10のマイナス7乗以下の確率)です。 では先ほど "1464546512" という結果がでたのは特別で不思議なことだと思いますか?何か秘密があると思いますか? 少なくとも、さいころを 10 回振れば、10のマイナス7乗以下の確率の出来事が「必ず」起こります。 同じように、「この」宇宙と同様の物理法則をもった宇宙が存在するならば、そこには必ず確率0%の出来事が起こります。 ですから我々生物がここにいることは、確率0%だからといって驚く必要はありません。
- debukuro
- ベストアンサー率19% (3634/18947)
宇宙のボイドに少しの不純物を含んだ珪素の塊があります これは絶対0度に近い環境におかれています ここに飛ぶ込んだニュートリノがたまたまその中の電子の一個を弾き飛ばします 絶対0度に近いので電子の動きは止まりません もしこのような天体があったとしたらこれはなんと呼べばいいのでしょうか? 宇宙は広い 私たちが考えている物とは違った形態の生物もありうると思います だからコンピューターが自然に出来る可能性は0ではないと思います