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仏教とキリスト教の関係性について考察する
- 仏教について学んだ結果、他者との関係性の重要性を理解した。
- 他者と協働することでより大きな成果を得ることができる。
- 自由と平等は異なる概念であり、それぞれの意味を考える必要がある。
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質問者が選んだベストアンサー
我欲や物欲を去れば、他者との対立はなくなり、 一個の社会生命としての最大限の生命性の発揮= 最大限の協力が最高の喜びとなる。 対立がなくなれば、自由は協調のための自由になり、 平等は自己の貢献の可能性を最大限に発揮する平等 となる。
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- kohichiro
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くりなるさんはいつも極端に圧縮した言辞で進められますから、私などついていけないことが多いです。なので、間違っているかもですが、仏教にせよキリスト教にせよ人心を穏やかにするということをまず優先して布教されたはずですから、どうしたら人心が穏やかになるかということは徹底して考えられたと思います。仏教は分かりやすい論理(まあ、哲学です)で庶民が苦しみから逃れる方法を優先し、キリスト教などは神という絶対権力を奇跡などで示すことで人々を納得させたのでしょう。 >「他者と協働するほうが、より(大きな)「成果」を得られる」 これはキリスト教では珍しい論理的な教えですが、そもそも心穏やかでなければ他者など信じられないし、協働なども実現しないでしょう。自由と平等はおおむね矛盾する概念ですが、ひとが自由になるという気分を手土産にして心を穏やかにさせ、強者優越者をなだめて弱者と妥協させて平等へ道をつけたということではないでしょうか。それぞれ後世の政治家や布教者たちの手仕事だったと思います。 >、「平等」は「神の国の事」?・・・(やがて、東方に伝わって?)出たり、入ったり?。 このあたりはさすがに私の手には負えません。
お礼
kohichiro様、ご回答ありがとうございます。 >「仏教にせよキリスト教にせよ人心を穏やかにするということをまず優先して布教されたはずですから、どうしたら人心が穏やかになるかということは徹底して考えられたと思います。仏教は分かりやすい論理(まあ、哲学です)で庶民が苦しみから逃れる方法を優先し、キリスト教などは神という絶対権力を奇跡などで示すことで人々を納得させたのでしょう。」 んー、やはり、「平等」を「キリスト教」に求めたのは、短絡的だったでしょうか。 >>「他者と協働するほうが、より(大きな)「成果」を得られる」 >「これはキリスト教では珍しい論理的な教えですが、そもそも心穏やかでなければ他者など信じられないし、協働なども実現しないでしょう。自由と平等はおおむね矛盾する概念ですが、ひとが自由になるという気分を手土産にして心を穏やかにさせ、強者優越者をなだめて弱者と妥協させて平等へ道をつけたということではないでしょうか。それぞれ後世の政治家や布教者たちの手仕事だったと思います。」 ・・・穏やかなのは(勿論)結構ですが、「市民革命」も、同じ様に説明が可能でしょうか? >>、「平等」は「神の国の事」?・・・(やがて、東方に伝わって?)出たり、入ったり?。 このあたりはさすがに私の手には負えません。」 ・・・聞くところによると、「どんなに手厚い信仰者も、現世においては「無」に同じ(テロに倒れようが、野垂れ死にしようが、「信仰」の問題とは無関係)」 つまり、話は「あの世に行ってから」らしいのよ。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
仏教は、ヒンズー教に対するアンチテーゼとして 産まれたものです。 従って、仏教における平等は、ヒンズー教の身分差別を否定する 平等です。 自由は、我欲からの自由です。 我欲があらゆる煩悩の原因だから、我欲さえ無くせ ば悟りを得られる、ということです。 これに対し、キリスト教の平等は、偉大なる神の 前では人間は総て等しい、という意味の平等です。 神は人間の差異などに関係なく、平等に扱います よ、ということです。 自由は、国家権力からの自由を意味します。 国家権力ではなく、神に従え、ということです。 これらの平等、自由概念が、近代的憲法の 平等、自由の概念の基礎になっているわけです。
お礼
hekiyu様、ご回答ありがとうございます。 >「仏教は、ヒンズー教に対するアンチテーゼとして 産まれたものです。 従って、仏教における平等は、ヒンズー教の身分差別を否定する 平等です。 自由は、我欲からの自由です。 我欲があらゆる煩悩の原因だから、我欲さえ無くせ ば悟りを得られる、ということです。」 「アンチテーゼ」と言われたのは、 「仏教における平等」ということを、ご説明されるため? >「これに対し、キリスト教の平等は、偉大なる神の 前では人間は総て等しい、という意味の平等です。 神は人間の差異などに関係なく、平等に扱います よ、ということです。」 はい。 >「自由は、国家権力からの自由を意味します。 国家権力ではなく、神に従え、ということです。」 ・・・まあ、「「信教の自由」には、限界がある」 「神に従うのは、自由」でしょうけれども、 (というか、「国家権力に従う」とは、そもそも、どういうことか) >「これらの平等、自由概念が、近代的憲法の 平等、自由の概念の基礎になっているわけです。」 そうでしょうか。もっと、「合理的」なもののように思われるのですけれど、 というのは、、、 「主張してみて。認められるか、否か」 まあ、場合によっては「そんなアコギな主張をして・・・」といったことも?
- 3322112233
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キリストは他の人の為につかえた。
お礼
3322112233様、ご回答ありがとうございます。 (就職活動において、「相思相愛」ならベスト、とか。 「他社なら、厚遇されるだろう?という人材が、なんで我社に、そんなに拘りを?」とか。) ・・・そうですねえ。 「手本を示した」? 「コピー」とは?? (かつて、「就職に勝利する本」といったものが、流行ったりしました)
- qwe2010
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キリスト教は、神が頂点にいて、その教えが絶対です。 それが間違っていたとしてもです。 つまり、自由と、平等ではありません。 日本の神道は、神と共に暮らしていく、とゆう考えで、自由と平等と助け合う考えがあります。
お礼
qwe2010様、ご回答ありがとうございます。 ・・・そうなんですか。 >「日本の神道は、神と共に暮らしていく、とゆう考えで、自由と平等と助け合う考えがあります。」 (キリスト教も勿論ですが)「神道」も、宗教でしょうけれど、 「神と、助け合う」?・・・信教の自由を、侵害しないでね。
お礼
psytex様、ご回答ありがとうございます。 仏教的の「執着(迷妄?)から、離れる」といった考え方が、ヒントになるのでは?、ということは、小生も思います。 >「一個の社会生命としての最大限の生命性の発揮= 最大限の協力が最高の喜びとなる。」 「他者の尊重」ですね。 エンパワーメント、インフォームドコンセント、 そしてやはり「人権を侵害しないように心掛けたいものですね」