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精神存在する為に生き、存在・存続する事が目的?
この世界 存在しない事には始まりません。 まず 存在する事が目的であり 存続する事が目的であり 未来に新たな存在を実現することが目的なのでは? 人間は生きてるだけでは人間とは言えません。心や意識がないと生ける屍です。 人間は人間存在(精神)する為に生きているので 人間存在を可能にしている 人体を殺すことは良くないことです。殺人です。しかし牛や豚を食べることは 人間存在とは関係がないので、生態系の食物連鎖の一部です。 存在存続することが目的であり、価値であり、意味であり、正義であり 存在を求めることが愛です。 そう思いませんか?みなさん?
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「お礼コメント」をありがとうございました。 >>「たまたま気づいたら存在していたので、何か目的を持とう」というのが偽らざるところじゃないですか。 >たまたま気づいたら存在していた。それまでに両親、特に母親が どんなに愛情と苦労で育てたことでしょう。死なないようにミルクを与え、外敵から守り、危 険から守り、「自分は存在している」と気づくまで存在させ続けてくれたんですよ。どんなに大変だったことか。あなたを大人になるまで育てることが目的だったのです。存在性を与え続けてくれたのです。 ⇒こういうすべてが、自分の存在に気づいてから知ったり考えたりしたことでしょう? 存在は因果関係の「因」に関係が深く、「果」とはほとんど無縁でしょう。存在が目的になるのは、せいぜい「万能細胞」やそれに類する事柄ぐらいじゃないでしょうか。 「大人になるまで育てることが目的だった」のでもないでしょう。「存在性を与え続けてくれた」のは確かですが、むしろ「存在は手段」として、例えば、心身とも健全な人間になるとか、立派な業績を挙げるとか、偉い地位につくとか、金持ちになるとか…の「諸々を目的」としているのと違いますか? >人間を殺せば殺人です。しかし豚を殺して食べても罪にはなりません。 >これは誤解しやすい所なのですが。肉を食べるのは良くない、便をするのも良くない、S○Xするのも良くない。良くないのでしょうか? ⇒これらについて私は「良い」とも「良くない」とも言ってません。そもそも、そういう話じゃないでしょう。「哲学する」ことの提案ですよ。 >そりゃ余裕で存在できる我々は >>存在の上に何かを積み重ねることが目的であり >と言えるかもしれませんが 生きるか死ぬかで彷徨い苦しんでる人の多いこと。日本にもいます。その人に「存在することが目的なんだ 一緒にやりましょう」 と言えないでしょうか。我々だって一つ間違えれば交通事故で死にかねません。だから注意して運転しているのです。危険なところに行くとどういう目に遭うかわかりません、だから危険を避けるのです。つまり第一には存在することが目的なのです。 ⇒状況や場合によって「存在することが目的」になる巡りになることはあるでしょうね。でも、それだけです。つまり、普遍的に「存在することが目的」などという「定言」はあり得ないと思いますよ。 >それと「何かを積み重ねること」とおっしゃいますが >知識を積み重ねても、技術を積み重ねても、労働を積み重ねても、愛情を積み重ねても、平和や進歩を積み重ねても これ全て 存在する為に積み重ねている事にお気づきになりますか? ⇒前便の冒頭でおっしゃっていたように「存在しない事には始まない」ことは確かです。だからといって、あらゆる人間的営為が、積み重ねが「存在する為」などとは言えません。それこそ、本末転倒です。「生きるために食べる」のであって、「食べるために生きる」のではないでしょう。それと同じようなことです。 >街がた(間違った)ものを積み重ねたら ひっくり返って存在の危機に瀕するだけです。 ⇒人間、何をやっても、どんな場面でも、紆余曲折・試行錯誤はついて回るでしょう。そして我々は、「失敗から学ぶ」んじゃありませんか。 >私の頭の中では完全に出来上がっています。もう出来上がって、長年経って腐りかかってるくらいです。酩酊状態です。問題はついて来れる人があまりに少ない。とほほ。せっかく考えたのに・・・・・ ⇒この「出来上がっているもの」、これがまさにyuniko99さんの積み重ねたものでしょう? しかし、それはあくまでも、管見であり、一時的であり、暫定であり、反省材料であり、修正を待つべきものでしょう。「これで完全」などあり得ようもありません。 存在論の歴史の通観をお勧めするのも、1つには、まさにこのためです。過去、どんな高名な哲人の業績でも「これで完全」などありませんよ。すべて、より高みを望むべくもの、批判や検討に晒されるもの、場合によっては非難の対象にさえなるものです。個人的知的営為の所産は、すべからくそういう宿命を負います。 ということで、yuniko99さんの存在論が批判されたり、こき下ろされたりしても何の不思議はありません。少なくともそう考えるべきだと思います。そして、より精緻に磨き上げるためのよすがとすべきでしょう。それを、「誰も分かってくれない」など、おこがましいですよ。「どこがどう間違っているんだろう」と考えるべきでしょう。もっと謙虚になるべきだと思います。 ただ、補足しておきたいことがあります。個人的には、私はyuniko99さんのことを好きですし、ある意味、敬服しています。ですから、誓って言えます。「意地悪や悪意で申しているところは、1つもありません。」 以上、再伸まで。
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- 雪中庵(@psytex)
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「存在を認識する」というのは、存在が目の中に飛び込んで くる訳ではない。 網膜上の光量子相互作用パターンに対して、過去の五感の 相関した経験の蓄積に基づいて、「そこに行けば何が起きる か(より生理的な作用)」を予測する事で、空間的広がりは 生じている。 つまり、「存在」自体に、生理的な感受=欲求は潜在化して いると言える。 根源的には欲求の充足が目的であり、その「人生を通算した 最大化」のために環境認識を深め、「社会性の発達」のため に他への愛は広がる。
お礼
>根源的には欲求の充足が目的であり 欲求の充足が目的なんですか?そこは僕の考えと違いますねえ。 欲求と言うのは本能的なものから来ていて 過去からのものです。 現代にどう活かしていくか が問題だと思います。 >「存在」自体に、生理的な感受=欲求は潜在化していると言える これも僕とは違いますねえ。欲求による存在もあれば 欲求と関係のない存在もある。 僕の場合は存在するかしないかが全てですからねえ。 どうもありがとうございます。
- urigadai2013
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こんなことを言うと腹を立てるかもしれないけど、哲学を知らない、常識も知らない、精神の狂った人間のただの「たわごと」だネ。 「この世界、存在しない事には始まりません」というけれども、存在したって何も始まらないョ。 存在するだけではどうしようもないだろ? どうしようもないという点では、あなたの「存在性思想」もどうしようもないし、何も始まらない。 始まるためには、何より実践・実行が必要だ。 口で始まります、と言っても、何も始まらない。 「存在することが目的であり、存続することが目的であり」というは、何も無くても、裸一貫でも存続する、生き延びれば、それで目的は達した、ということだな? だったら、原始状態に戻っても何ら差支えないわけだ。 存続する、生き延びればいいんだから。 「未来に新たな存在を実現することが目的」ならば、今の私たちが生きているのは未来の新たな存在のための道具に過ぎない、ということだな? 私たちは新たな存在のための「タネ馬」か? オレは新たな存在のための「タネ馬」になるなんてまっぴらごめんだ。 「人間は生きているだけでは人間とは言えません」て、あんたはたった今、「存在することが目的であり・・・・」と言ったばかりじゃないか、存在することが目的なら、生きていなくたっていいだろ? 屍だって、存在することは存在するんだから。 屍は存続するョ。ミイラになれば。 「心や意識がないと生ける屍です」って、その心や意識はどこにあるんだ? 脳の中か? でも、脳を解剖しても、心とか意識は見つからないぞ。 ましてや、他人の心や意識なんて、私からは見えない。 見えなかったら、存在しないかもしれないじゃないか? 私にはあんたが、生ける屍に見える。 「人間は人間存在(精神)するために生きているので・・・・・」と言っているが、人間が人間するって、どういうこっちゃ? 動物も動物するぞ、人間だけが人間するわけじゃない。 動物が動物するのは、動物が動物に等しい、同一だと言っている。 人間がが人間する、というのも、人間が人間に等しい、同一だと言っている。 そんなの当たり前じゃないか? 人間が人間しなかったら、おかしい。 「人間存在を可能にしている人体を殺すことは良くないことです」と言っているが、「人体」は殺せない、壊すことならできる。 「人体」というのは物体だろ? 私たちは人を殺すのに、「人体を殺す」という言い方をするか? 人間を殺す、だろう? そして人を殺すことが良くないのなら、牛や豚を殺して食べることも良くない。 「牛や豚を食べることは人間存在とは関係ない」というけれど、人間は牛や豚を食べるじゃないか、関係ないとは言えない。 「生態系の食物連鎖の一環」だから、食べることは良いのか? そんなことを言ったら、牛や豚は人間に抗議するぞ! 「私たちは、人間に食べられるために生きているのではありません」、と。 「存在・存続することが目的」ではない、存在・存続することは目的のための条件だ。 目的は、存在・存続することとは、別のところにある。 ただ、存在・存続すれば良いというものではない。 存在する、存続することには、いかなる価値もない、意味もない、正義もない、価値とか意味とか正義は存在・存続とは別のところにある。 たとえば国家とか、共同体とか。 「存在を求めることが愛です」というが、存在なんか求めても、存在を求めることはできないんだから、それを愛することはできない。 国家とか、共同体を求めるんなら、それを愛することはできるけど。 存在を愛せよ、と言われても、そんな抽象的なものを求めても、愛することはできない。
お礼
5点 文字は書けたが 意味は全然わかってない。 どうもあり。
- a_hona
- ベストアンサー率21% (95/444)
しかし、死ねば存在は無くなるわけだが、それに対する回答は持ち合わせているのだろうか? 私は、生きるのは、何故生きるのかという問いに対する答え、目的のための手段であると考える。 存在する事についても、何故存在するのかという問いに対する答え、目的のための方法であると考える。 つまり、存在する事について、何か意味があるのではないかと考える。 (いや、意味などないと考える人もいるだろうが。) であるから、存在するために存在するという様な言い方はしっくりこない。 なにか、自己実現や、イデアの体現などという目的があると言った方がわかりやすいが、どうやらそれとも違うようだ。 私は生まれ、生きている間に目的を達成し、そして死ぬものと思う。その目的とは何か、まだ言い表す事はできないが、何か成就すべき事柄がある気がする。
お礼
どうか考えて下さい。素晴らしい答えをお待ちしております。 どうもありがとうございます。
天寿を全うさせて。
お礼
安心して下さい。この世の中には存在させようとする力や性質が溢れていますから 不条理や戦争や事故、災害に遭わなければ天寿は全うできます 人間年を取るほど死にたくなくなりますから 神は自らを助ける者を助く。人事を尽くし天命を待てば大丈夫です。 どうもありがとうございます。
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お礼
>存在は因果関係の「因」に関係が深く、「果」とはほとんど無縁でしょう そうですかね 因も存在なら 果も存在 因の存在の持つ性質がフィードバックして 果の存在を実現するのだと思っています。 存在性はその存在が持っているものも在れば その存在の環境や関係するものが持っている場合もあります。 なんだか分からないと思いますが。他所ではもう理解が先に進んでいるのです よく読んで頂けませんか? 存在とは(個性ある)性質を持ったエネルギー・物質。 その エネルギー(物質など)と性質 と 存在性の性質も 同じ性質です。 どこが分からないのでしょうか?それがわからない。 豚肉を食べるというのは 身体(人体)と精神は別物だということです 人間の身体は動物なのです。動物の部分は動物の法則に従うしかないのです 便をすまいと思っても 出るものは出るのです。食うまいと思っても 食わなければ死ぬのです。 セックスをしなければ人間は絶えるのです。 それと精神は違います。精神は学習、思考、想像、創造等で発達進化します 人間が動物の真似をして生きてきましたが 動物の真似をしなければならないわけではない もっといいやり方があれば、その様な人間になればいいのです。 存在性は 存在に必要または有効な性質です 無駄な性質もあれば有害な性質もあります それは特に人間は自由もあり病気もあり犯罪もあります。 動物にも病気はありますが 犯罪はないのでは? 確かに私の考えも修正に修正を重ねています。 もちろん仮説であり 一つの考え方に過ぎません 何と言ったらいいか 早く世界に届けてあげなければ 犠牲者は日々増えていくことでしょう。 嗚呼 どうもありがとうございます。レボルーション(ビートルズ)ですかねえ?