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目に見える色について
例えば赤いリンゴですが、実際にはリンゴが赤いのではなく、リンゴに反射した光の波長により、私たちの脳が勝手に赤い色に変換していると聞きました。 だとすると、実際のリンゴの色は赤色ではないのでしょうか? その他にも、今、目に見えている全てのものの色は、実際には別の色という事もあるのでしょうか??
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生物によって、見える波長はさまざまです。 生物によっては人間が見えない紫外域や赤外域までも見えるようなので、人間には赤に見えてもその生物には別の色として見えるはずです。 よって、実際には別の色というより、生物によって見える色が変わるというのが適切と思います。
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それを赤と呼ぶんですが…。 色を感じてるのは脳です。 これは個人差があると言われてますが、貴方の見てる世界を他人が見る事が出来ないので確認は出来ません。 ひょっとすると貴方の見てる赤は私が見てる青かも知れませんが、それでもどちらも「赤」ですから何の矛盾も生じないのです。 りんごは赤い…これは一緒ですから。 他人の視覚と自分の視覚を比較する事が出来ないんです。 それを何色と感じようが赤いリンゴは赤いんです。
お礼
お礼が遅くなりまして申し訳ありません;; ご回答、ありがとうございました。 質問内容に少々言葉が足りなかったかもしれません。。 色のついていない光のある波長を人間は「赤」として捉え、また他の生物は同じ波長を別の色に捉えてる事があると思いますが、受け取り手から見た色ではなく、そのもの自体の色について気になりましたので質問させていただいておりました。 ご回答、どうもありがとうございました。
- foomufoomu
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ヒトの目の網膜の神経は、赤に反応するもの、青に反応するもの、緑に反応するもの(あと暗いところ用に明るさのみに反応するもの)からできています。 http://fnorio.com/0074trichromatism1/trichromatism1.html この区別がそもそもの色の違いなので、脳が区別しているというべきか、網膜が区別しているというべきか、微妙なところです。 話がそれますが、#2にでてきた「青と黒か、白と金か」の真相はこれだそうです。(カメラの誤作動ということのようです) http://portal.nifty.com/kiji/150314192985_1.htm
お礼
お礼が遅くなりまして申し訳ありません;; ご回答、ありがとうございました。 質問内容に少々言葉が足りなかったかもしれませんが、 人間にとっては「赤」でも、他の生物にとってはまた別の色に捕らえてる事があると思いますが、受け取り手から見た色ではなく、そのもの自体の色について気になりましたので質問させていただいておりました。 脳の錯覚は面白いですね。 ご回答、どうもありがとうございました。
- tkmn_001
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色は我々が認識する1つの要素として存在するものですので、 結果は認識者に依存します。 幼少時の教育のように 「りんご」は「赤い」という風な概念(フィルター)は 取り外して、「りんご」は「赤く」見えるという考え方に したほうが良いかと思われます。
お礼
お礼が遅くなりまして申し訳ありません;; ご回答、ありがとうございました。 色のついていない光のある波長を人間は「赤」として捉え、また他の生物は同じ波長を別の色に捉えてる事があると思いますが、受け取り手から見た色ではなく、そのもの自体の色について気になりましたので質問させていただいておりましたが、知る術はなさそうなので、りんごは紅く見える、としておいたほうがよいかも知れませんね。 ご回答、どうもありがとうございました。
- 雪中庵(@psytex)
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「色」というものは、物理的には単なる光の連続的な波長の 変化であり、「赤は青の反対」とか、「光の三原色」などと いったものは、受け取り手の側の構造に由来する幻想に過ぎ ません。 人間の脳には、五感の相関した経験の蓄積において、次にその 1つの感覚を同じパターンで刺激された時に、五感の総合した イメージを励起させるという働きがあります。 色は、その最も分かりやすい例でしょう。 物理的には、「色」とは電磁波の可視領域の、連続的な波長の 変化に過ぎません。 「赤は青の反対」などという根拠は、どこにもありません。 その「波長の連続的変化」という一次元に、五感の相関した経験 の蓄積において、特定の波長に対して条件反射的に(その波長に 伴う経験の)多元的印象が直感的に付加される事で、“多彩”さは 生じているのです。 赤の印象を分析すると、火や血、肉、花などの異なる原因による 長波長を伴う現象の経験(温かい、危険、食欲など)が、青には、 水や空といった短波長を伴う現象の経験(冷たい、爽やかなど)が 潜在している事が分かるでしょう。
お礼
お礼が遅くなりまして申し訳ありません;; ご回答、ありがとうございました。 「受け取り手の側の構造に由来する幻想に過ぎない」というところは私もそのように思ってまして、人間なら「赤」、他の生物だったら別の色、と受け取り手によって変化するのかと思いますが、「そのもの自体(たとえばりんご)」にも、もともとの色があるのでは?と思ったので今回質問させていただきました。 (本当の色は透明、など。知る術はないと思いますが、、) ご回答、ありがとうございました。
- tadys
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赤色を見たときにその色を全員が赤と呼んでいるのであれば脳の中でどのように感じているかは関係有りません。 言葉にするときは全員が赤なのですから問題は有りません。 アメリカ人が赤色を見たときには red と言いますが別の色なのでしょうか。 翻訳すればred→赤ですから、これも問題ないですね。 人間の色覚は赤、青、緑からなると言われていますが、これからずれている人も少なからずいます。 こちらを参考に http://spotlight-media.jp/article/129229046725175174
お礼
お礼が遅くなりまして申し訳ありません;; ご回答、ありがとうございました。 質問内容に少々言葉が足りなかったかもしれません。。 人間にとっては「赤」でも、他の生物にとってはまた別の色に捕らえてる事があると思いますが、受け取り手から見た色ではなく、そのもの自体の色について気になりましたので質問させていただいておりました。 ご回答、どうもありがとうございました。
- shintaro-2
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>例えば赤いリンゴですが、実際にはリンゴが赤いのではなく、リンゴに反射した光の波長により、私たちの脳が勝手に赤い色に変換していると聞きました。 その伝聞は正しくはありません。 リンゴについては脳が色を変換しているのではありません。 「赤と認識している」というのが妥当な線でしょう。 グレーについては脳が勝手に白にしたり黒にしたりする場合があります。 >だとすると、実際のリンゴの色は赤色ではないのでしょうか? 色の定義次第です。 白い可視光の下で見るのであれば、 赤いリンゴは赤ですし、 青リンゴは薄緑です。 青い光の下で見れば、赤いリンゴは黒かもしれません。 赤い光の下で見れば、赤いリンゴは白かもしれません。 >その他にも、今、目に見えている全てのものの色は、実際には別の色という事もあるのでしょうか?? 白い光の下で見ているのであれば、別の色ということはないでしょう。 ただ既に回答にありますように、色の認識は人によって異なります。 例えば、太陽光をプリズムで色分解して虹を見た場合に、 7色ではなく、5-8ぐらいにばらつきます(そもそも色の境界を明確に定義できませんが)。
お礼
お礼が遅くなりまして申し訳ありません;; ご回答、ありがとうございました。 質問内容に少々言葉が足りなかったかもしれません。。 人間にとっては「赤」でも、他の生物にとってはまた別の色に捕らえてる事があると思いますが、受け取り手から見た色ではなく、そのもの自体の色について気になりましたので質問させていただいておりました。 ご回答、どうもありがとうございました。
>実際にはリンゴが赤いのではなく、リンゴに反射した光の波長により、 >私たちの脳が勝手に赤い色に変換していると聞きました。 いろんな波長が含まれている光がリンゴに当たると、赤い色の波長の光だけが多く反射されて眼に届きます。そういう現象を日本語では「リンゴが赤い」と言うのです。 ですからリンゴは赤いのです。
お礼
お礼が遅くなりまして申し訳ありません;; ご回答、ありがとうございました。 質問内容に少々言葉が足りなかったかもしれません。。 色のついていない光のある波長を人間は「赤」として捉え、また他の生物は同じ波長を別の色に捉えてる事があると思いますが、受け取り手から見た色ではなく、そのもの自体の色について気になりましたので質問させていただいておりました。 ご回答、どうもありがとうございました。
- ShirokumaX
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いきなりですが、宇宙って膨張しているのはご存じですか? 遠い星ほど地球から早く遠ざかります。ですのでその星が発している光の色にも影響を受けます。光の速さは変わらないので周波数が変わる=色が変わる、のです。周波数が長くなり、赤色方向への変化をします。これを「赤方偏移」と言います。 ですので、その星までの距離とその星から観測される光の色を分析すれば、その星が本当に発しているであろう色を推測することが出来ます。が、それを証明する方法はあるでしょうか? 電子顕微鏡は、ウィルスのようなごく微細なものでも拡大して見ることができます。ですが電子顕微鏡で見るためには金属コーティングを施して、さらにたいていのものなら焼け焦げてしまうような強烈な光を当てなければいけません。もちろん、それで見た結果から本来の姿を想像することは出来ます。ですが、それを証明する方法はあるでしょうか? S.ホーキング博士によると、ビッグバンから一定の時間が経過するまでは、虚数で時間が流れたと考える方が物理的な整合性がとれるそうです。しかし、それを証明する方法はあるでしょうか?そもそも、虚数時間を計れるストップウォッチは作れるでしょうか? 関係ない事柄を並べたようですが、結局自然科学も「人間にはこう見える」という大前提をつけての学問に他ならないということです。「人間にはこう見える」のレベルで赤いならそれは赤いのです。赤以外の観測結果を得ることになる観測方法もあるかも知れませんが、それも結局はその観測方法を使えば人間には何色に見える、というレベルで拡張したに過ぎません。 物理学の問題というよりはむしろ哲学の問題になってきますが、何かを無理矢理「この立場から見たらこう見えるというのが学問だ」と決めてやらないと、そこから先が何も進まないのです。西洋の学問ではそれは人間ということになります。なぜかと言うと人間が一番神に近いから。あくまでも西洋文化の中ではですよ。 これは文化圏によっても影響を受けます。日本人には「薄い●●っぽい色」が西洋人にかかると全部「白」になってしまったりします。日本人は「白」のバリエーションの豊富さにかけては世界一ともいわれています。 物理学でも、対象を加工しまくらないと人間には観測不能なことが多々あり、それで得られた結果を言語で処理するという加工をさらに施して「知識」が出来上がります。本当にそれで正しいのか、とどこまでも問われたら、どこかで「これこれだから正しいんだ」という説明が不可能なところまで行きます。そういう意味では信仰と変わらないと言っても言い過ぎではありません。ただ信仰とは違うのは、別の人が同じことをやれば同じ結果が得られるという点にあります。 PCのモニタ上で黄色く見える部分は、拡大すると赤と緑が光っている状態です。ではそれは赤と緑という光というのが正しいのか、人間が見て黄色なんだから黄色い光なのか、定義の仕様によってどうにでも変わります。 そもそも観測している私すら疑ってしまったのがデカルトですね。「方法論的懐疑」というやつです。考えに考えた結果、デカルトは考えているものが何かここにいることだけは確かだろうという結論に至ります。そこで彼は言いました。"Cogito ergo sum."我思う、故に我あり。 ですがそんな自分なんてものは存在しないんだ!と言い切ってしまったのが東洋の仏陀です。般若心経なんか読んでも、ひたすら「空」だ、存在しないんだと書いてあります。じゃあ人間には何もできなくなっちゃうじゃないか、そう誰しも思うんでしょうね。たったひとつ確かなものとして般若心経には呪文が出てきます「ガテー・ガテー・パーラガテー・パーラソーガテー・ボーディ・スヴァーハー」これだけは間違いないんだそうです。お気づきかも知れませんが、お寺に行ったら置いてある般若心経の中の「羯帝羯帝波羅羯帝波羅僧羯帝菩提僧莎訶」というのはこの呪文を漢字で書いたものです。 観測する「私」というのもよく考えたらちっとも確かではありません。その証拠に「私」という言葉を定義できますか?話者を指す単数の代名詞であるとか、使い方を説明することは簡単です。ですがこれこれこういうものが「私」と具体的に指し示すことは出来るでしょうか? 発達心理学的には「私」は「私でないものでないもの」という形で認識されるしかないと私は考えていますが、これだって具体的な定義ではありません。 そういう案外いい加減な観測点を絶対にしているのが現代の自然科学ですので、私が見て赤いならリンゴは赤いのです。ほか何人かに聞いてみて「赤い」という答えが返ってくるようならおそらく色覚異常の可能性も排除できますので、それを赤いとするしかしょうがないのです。
お礼
お礼が遅くなりまして申し訳ありません;; ご回答、ありがとうございました。 質問内容に少々言葉が足りなかったかもしれません。。 人間にとっては「赤」でも、他の生物にとってはまた別の色に捕らえてる事があると思いますが、受け取り手から見た色ではなく、そのもの自体の色について気になりましたので質問させていただいておりました。 細かく詳しくご説明くださいまして、どうもありがとうございました。 「私」とはなんなのか・・は、ちょっと興味を持ちましたので、改めて調べてみたいと思います。
あります。有名なところではモルフォチョウというチョウの羽がそうです。 http://www.geocities.jp/raytyou/b6.html 上記のページを見て頂ければわかりますが、このチョウは金属光沢のある青色に見えます。ですが、このチョウの本当の色は茶色なんです。その昔、研究者がこのチョウの色で染料を作ろうとしたところ、どう頑張っても茶色の色素しかできないことから発見されました。 これは本来の色ではなく「表面の形」によって光が反射される、「構造色」という現象です。
お礼
お礼が遅くなりまして申し訳ありません;; ご回答、ありがとうございました。 リンク先を見ましたが、すごく不思議ですね~! 色についてはいろいろと奥が深いですね。 ご回答、どうもありがとうございました。
>実際のリンゴの色は赤色ではないのでしょうか? その光の波長に「赤」という名前がついたのだから、 その波長を返してきている物体は「赤」です。りんごかどうかはあまり関係なく。 >実際には別の色 大まかな色については大体の場合、共通認識でいると思いますが 例えば男性と女性では知覚できる色の範囲が違う(女性の方が圧倒的にいろんな色が見える)など差はあります。 また、国別でも結構違うようですよ。 用意した色サンプルが海外では役に立たない話などをたまに聞きますから。 あと最近流行った「黒と青のドレス」か「白と金色のドレス」かの まるでトリックアートのような写真もありますね。 http://grapee.jp/32137(どうやっても私には青茶にしかみえないんだけど) …まあ、所詮全ては脳の錯覚なんでしょうねえ。 確かなものなどこの世にはないんでしょうね。
お礼
お礼が遅くなりまして申し訳ありません;; ご回答、ありがとうございました。 質問内容に少々言葉が足りなかったかもしれません。。 色のついていない光のある波長を人間は「赤」として捉え、また他の生物は同じ波長を別の色に捉えてる事があると思いますが、受け取り手から見た色ではなく、そのもの自体の色について気になりましたので質問させていただいておりました。 黒と青のドレスも不思議でしたが、色に限らずいろんなところに脳の錯覚の影響がありそうですね。 ご回答、どうもありがとうございました。
お礼
お礼が遅くなりまして申し訳ありません;; ご回答、ありがとうございました。 人間にとっては「赤」でも、他の生物にとってはまた別の色に捕らえてる事があると思いますが、受け取り手から見た色ではなく、そのもの自体の色について気になりましたので質問させていただいておりました。 でも、知る術は無いと思いますので、生物によって見える色が変わるとしておいた方がいいかも知れませんね。 ご回答、どうもありがとうございました。