- ベストアンサー
色の認識について
色の認識について知りたいことがあります。 いろいろと調べてみて、少し驚いたことがあります。色というものがもともと自然界にあるわけではなくて、人間の脳がそう解釈しているに過ぎないということです。 光にはさまざまな波長があって、人間の網膜が3つの波長しか感じることができず、その3つというのが色の三原色(赤・緑・青)に相当するということです。三原色から他の色を作っていることは当然知っていました。 ただ、「まずはじめに色(三原色)ありき」と思っていたので、「逆なんだ」と少し驚いたのです。 ここでひとつの疑問が湧き起こりました。 たとえば波長400nmの光を網膜が感じたとき、脳が「青に見せよう」という知覚を起こして私たちは「これは青い」と思うわけですよね。ということはその「青」という知覚は、脳によっては全然違うかもしれないのですか? つまり犬が400nmの光を感じたとき、脳の解釈が、人間が知覚する「青」とはまったく違った色の可能性はあるのか? もっと言えば、同じ人間同士でも、同じ400nmの光に対して、「これは青」という言葉は共有しているけれども、その知覚している色は全然違うかもしれないとか?
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。 ご質問の本質は、「色とは何か」というところにいきつくと思います。色の定義は、JIS(日本工業規格)によれば、 「色名または色の三属性で区分または表示できる視知覚の特性」 とされています。一言で言えば、知覚の一つだということで、さらに「知覚とは何か」をつきつめると、ご質問文や他の回答者さんへのお礼にお書きのように、脳(脳だけでなく、目の網膜の視細胞なども)が受けたり感じたりする刺激である、といえると思います。つまり、脳があるから色があるわけで、人間の脳、犬の脳などと異なることによって、感じる色も違う、ということになります。人間以外の動物の色に関する感覚はよく存じませんが、No.2さんのご回答のように、人間ほどさまざまな色を感じないようです。この辺りは私もよく存じません。 それでは、同じ人間同士ならどうか、ということですが、人間の感じる色、というものを、「この色はこれだけの数値」、と、色を数値化して取り扱う、ということが、学術的な研究や工業的な応用のために、すでに行われています。 その方法は、それだけで一冊の分厚い本になるくらいですので、非常に簡単に申しますと、 「光源色」(自分自身が光って色を出すもの) については、 「光源の特性」と「人間の目(脳)の感度」 の二つの要素、 「物体色」(自分自身は光を出さないで、太陽の光や電灯の光などを反射したり透過したりして色を出すもの) については、 「光源の特性」と「物体の光の吸収特性」と「人間の目の感度」 の三つの要素によって、色を数値にする、という方法を取っています。これらのときに、「人間の目(脳)の感度」の部分をどうして数値化しているか、と申しますと、1924年とか1931年などの年に、国際照明委員会(CIE)という国際機関が、何百人かの正常色覚者の測定結果の平均値を求めて、赤・緑・青に対応する目の感度を表す「等色関数」という数値(波長の関数)にする、という方法をとりました。なぜ赤・緑・青の三種類か、の起源は、人間の目の網膜の視細胞のうち、色を知覚する錐状体(すいじょうたい、cone)という視細胞が、赤・緑・青を知覚する三種類あるからです。こうして、実在する人の感度ではありませんが、何人かの感度の平均値をとり、この感度をもつ仮想的な人を想定し、これを「測色標準観測者」と呼び、その値を使っています。 こうして、現在行われている色の数値化法は、何人かの正常色覚者の平均値をもって人間の目(脳)の感度とする方法なので、その方法で「青」と判別された色を、「赤」と感じる人がいたとしても、その人は異常色覚者として除外されることになると思います。典型的な例が交通信号で、赤信号と青信号を取り違えると、大変な事故になってしまいます。 >もっと言えば、同じ人間同士でも、同じ400nmの光に対して、「これは青」という言葉は共有しているけれども、その知覚している色は全然違うかもしれないとか? これに対してできる限り分かりやすく答えたつもりですが、答えになっているでしょうか。なお、現在でも、国際照明委員会はじめ種々の学術機関などが研究を続けていることでしょうし、測色標準観測者の数値も毎年測り直したりしているかもしれません。ご質問のように、同じ400 nmの光に対しても、人によっては微妙に感じ方が違っている場合もあるかもしれません。ただ、その範囲は限られていて、それを最大限に見積もったものが「正常色覚者」と定められていて、それを外れる人は社会生活を送る上で何らかの支障があるはずですので、法令によって何らかの措置がほどこされたりする、ということになるのではないでしょうか。
その他の回答 (6)
ご質問に関しては記号論でいう恣意性という概念がありますが参考になるのではないかと思います。要するに同じものに対して言語が異なれば全く異なる音で表す単語が対応しています。つまり青とブルーは違うものですが、この違いは同じか違うかとは全く関係がないと思います。あるいはY=F(X)とY=G(X)という二つの関数があった場合同じXの値に対して関数に応じて互いに異なるYの値が対応します。この比喩で今二人の人が同じものを見ているときそれぞれの頭の中のイメージは違っているはずですが同じものを認識しています。もっと面白い話があります。エルグレコという画家は異常に細長い顔の肖像を描いたことで有名ですが、ある人がエルグレコのは人の顔を普通の人と違う細長いものだと思っていたに違いないと言ったそうです。ところが相手の人は「でもエルグレコが、自分で見えるように忠実に描いていたらそれは細長くない普通の顔になったと思うよ」と答えたので、はじめの男はなるほどとギャクフンとなったという話です。
お礼
回答ありがとうございます。 記号論などというと哲学の領域に入っている感じですね。私が言いたいのは確かにそういうことかもしれません。
- sanori
- ベストアンサー率48% (5664/11798)
私も若かりし頃、同じ疑問を抱えていました。 その後、ディスプレイの仕事の関係で色彩科学を扱いました。 三原色というのは、色を感じる錐体細胞が網膜に3種類あることに起因します。 ですから、同じ錐体細胞を持っている人や動物であれば、基本的には同じような色覚になるはずであると思われます。 しかし、個人差はあるかもしれませんね。 3kgぐらいの荷物を持ったとき、大人にとっては軽いけれども、子供にとっては重い。 同じ明るさの光なのに、黒い瞳の人よりも青い瞳の人のほうがまぶしく感じる。 そういうことが、色覚に関してもある可能性はあるでしょう。 波長450nm(※)の光を見たとき、自分ひとりで「青」と定めているわけではなく、その同じ光を一緒に見ているの人達との間で「青い」という合意をし、それがその人にとっての「青」の概念や定義になっているはずです。 (※: 400nmは青ではなく紫です。) 色弱については、下記リンクの説明に任せることとします。 http://www.skk-health.net/me/13/index.html#CHAP2 混色の概念も必須です。 400nmの光は「紫」に見えます。 ところが、450nm(青)と610nm(赤)の2つの光が混ざると、それも「紫」に見えます。 これは、緑と赤を混ぜて黄色(=緑の波長と赤の波長の間)をつくるのとは根本的に異なります。 ですから、紫色やえんじ色の洋服を買うときには注意をしなくてはいけません。 それは私の経験からです。 えんじ色のジャンパーを購入したときのこと。 デパートの中にある、その洋服屋さんの照明は蛍光灯でした。 外に出て袋を開けてみたら、日光の下では、全く違う色に見えるのです。 私が気に入って選んだはずの色ではありませんでした・・・。 さらには、「白」についても言及しておきます。 太陽光や明るい白熱電球のような連続スペクトルは「白」に見えます。 一方、蛍光灯や液晶のバックライトによく用いられている3波長管は、連続スペクトルではなく、赤、緑、青の三原色に対応するピークからなる、飛び飛びのスペクトルになっています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Leuchtstoff_spektrum.jpg つまり、太陽光と蛍光灯とは同じ「白」であると、人間が錯覚させられていることになります。 個人差だけではなく、環境要因もあります。 人間は、周囲の色や明るさによって、「白」という色の感じ方を補正しています。 異なる波長構成であるにもかかわらず、たとえば晴天の下と屋内とで、同じ「白」に見えます。 ビデオカメラで撮影するとき、ホワイトバランスの調整が必要になるのは、そのためです。 一部の液晶ディスプレイの機種の調整項目で「色温度」というのがある場合がありますが、要はホワイトバランスのことです。 周囲の照明環境に沿ってディスプレイのホワイトバランスを調整すると、違和感が小さくなります。 なお、#5さんが、CIEの「等色関数」に言及されていますが、 等色関数は、RGB表色系ではなく、XYZ表色系です。 ただし、XYZをRGBに変換する式はあります。 ちなみに、XYZはCIEの国際規格になっていますが、RGBのほうは、たしか、国際規格になっていなかったと思います。 なんででしょうね。 以下、ご参考。ご興味ありましたら。 1. http://www.cvrl.org/index.htm の中の "Colour Matching Functions" (XYZとRGBの両方の表が載っています。) 2. (pdfファイルです。) http://www.yokogawa.co.jp/tm/Bu/3298F/3298_ppt1.pdf
お礼
回答ありがとうございます。 >同じ光を一緒に見ているの人達との間で「青い」という合意をし、それがその人にとっての「青」の概念や定義になっているはずです。 「その人にとっての」というのがやはりミソだと思うんですよね。たとえばその人と脳を交換したら「あんたが青と言ってたのは赤じゃん!」ということがありそうな気がして・・。 液晶ディスプレイなどは人間の目の見え方を大前提として作られていると思うので、私の疑問はその前段階というか・・、スミマセンちょっと質問が哲学領域に入ってたかもしれません。今反省し始めています・・。
- NAZ0001
- ベストアンサー率29% (508/1743)
自分が見ている赤が、実は緑色で。他の人は、緑色のことを赤と呼んでいるのかもしれない。 …として、何の問題が?。
お礼
けっこう大きな問題だと思いますよ。No.1さんの回答へのお礼に書いたような現象が、実際に起こってるかもしれないという事です。私たちの感覚や個性、それに起因する差別なんかも、実はまったくの誤解によるものかもしれないということです。
- maxmixmax
- ベストアンサー率10% (91/908)
私も同じ事を考えた事があります。 よく美術の教科書などに色相環が書かれてありますが、 人によっては赤がてっぺんだったり、青がてっぺんだったり するんだろうなぁと。 あとは、色弱・色盲の人の認識する色は 当然健常な人と異なりますよね。 私も検査でしか引っかからないぐらいの弱い色弱ですが、 どう見え方が違うのかいつも不思議に思います。
お礼
回答ありがとうございます。色弱・色盲とは関係なく、みんな見え方が違う可能性があると思うと不思議ですよね。
- n2succy
- ベストアンサー率44% (13/29)
※たぶんです。 人間にも個人差があるので同じ光をみても各々が感じ取る「色」は違うと思います。だからこそ「十人十色」とかいうのではないでしょうか。 しかし同じヒトですから見えている色は同じようなものだと思われます。 ちなみに犬は(どっかで聞いたけど)全て白黒にしか見えないそうですよ。
お礼
回答ありがとうございます。確かに「十人十色」というのは深い意味にもとれそうですね。 ちょっと調べたんですけど人間以外の動物では違っていて当然かもしれないですね、脳というより、網膜の構造が違うわけですから・・。
- NeroAngelo
- ベストアンサー率32% (57/174)
学生時代に同じ事を考えていました 結果、みんなそれがどんな色に見えてようが「青」として認識しているわけですから試しようがないというか・・・
お礼
さっそくの回答ありがとうございます。確かに試しようがないですよね。ただ、「私は青が好き」、「A君は赤が好き」という場合、もしかしたら2人は同じ色をそれぞれ知覚していて、別々の色を好きと言ってるかもしれないと思ったらおもしろいなと思いました。 A君にとっては血の色も夕焼けの色も「私にとっての青」に見えて、そのうえで赤が好きというのなら2人は同じ知覚を好んでいることになりますよね。 そう考えると、実は全人類が好む色はたった1つで皆おなじで、脳の解釈がそれぞれ違うから個性があるだけかもしれない。これを拡大解釈すると、嗅覚も味覚も触覚も感覚も性格も、実は共感できる要素は全員同じで、脳の解釈がそれを許していないだけなのかなとか。
お礼
回答ありがとうございます。 人間の目の感度をちゃんと数値化できれば私の疑問は全て解決なのですが、どうもその数値(等色関数)は「青は青」と脳が解釈するのが大前提にあって、そのズレを平均化しているもののようです。(違っていたらスミマセン)(このページで調べました) http://www.asahi-net.or.jp/~xn6t-ogr/colors/colornotes.html 私もはじめは、色というのは数値化できるような客観的なもので、その情報を脳が受け取っているようなイメージを持っていたので、「逆か!」と少し驚いたわけです。 >その方法で「青」と判別された色を、「赤」と感じる人がいたとしても、その人は異常色覚者として除外されることになると思います 私が思うのは「赤」と感じても、その人はすでに「青」と認識しているかもしれないということです。こういう現象を今の科学では否定できないのかなと疑問をもったのです。