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浅田次郎の本「一路」の「小野寺一路」の諱について

本書の最初のページで主人公「小野寺一路」の読み方は本人は「おのでらいちろ」で、おおかたは「おのでらかずみち」と読む。 どちらに読むにせよ諱であるからおおかたの人から一路は次のように叱責される。 「これこれ、親御殿から頂戴した大切な実名を軽々しく名乗ってはならぬぞよ。(略) で、名は何と申す。」 質問です。「頂戴した大切な実名」とは一路のことであり、これは諱でよろしいでしょうか。 では、さらに「で、名は何と申す。」とありますがこれはどういう意味でしょうか。 なぜさらに名を聞いているのでしょか。 例えば伊達(苗字)、藤次郎(字)、正宗(諱)みたいに三構成があり、 「小野寺●●一路」または「小野寺一路●●」があるはずだから●●の名前(字)を教えろということでしょうか。つまり、一路というめったに使用しない実名ではなく通称使う名(字)を教えろという事でしょうか。 面白い本みたいですが最初の部分でつまづいてしまいました。教えてください。

みんなの回答

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9601)
回答No.3

1a0b0c2dさん、こんばんは。 問です。「頂戴した大切な実名」とは一路のことであり、これは諱でよろしいでしょうか? どうやらそのようです。 この場合、主人公の名乗りは「小野寺●●一路」であるはずなので、そうですね。通称を聞いているのだと思います。その家に伝わる先祖伝来の通称があるはずなんですが、諱を使ってしまったのですね。本当はこんなことは他人から教わることではないと思います。 通称を使うのかというと戦国時代に特に活躍した先祖にあやかるためだといわれています。 例えば、本多忠勝は通称を平八郎といいますが、父親も祖父も平八郎を名乗っています。 詳細は下記のURLを参照ください。 本多忠勝 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E5%BF%A0%E5%8B%9D 本多忠高 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E5%BF%A0%E9%AB%98 本多忠豊 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E5%BF%A0%E8%B1%8A

1a0b0c2d
質問者

お礼

ご回答をいただきありがとうございます。 ご回答の通り「小野寺一路」の通称を聞いているのだと思います。 小説の次ページに小野寺家の当主の名は「一路」とした書いてありますから、これは諱ですね。 通常諱は使わない。 例えば西郷隆盛は大人になって隆盛になるまで西郷吉之助でした。 となると、小説の中の質問者の気持ち(年少からの名前つまり通称を教えろ、一路は諱でしょう、通常はつかわないから。)もわかる気がしています。 思うに本小説の主人公は長男で、かぞえ19歳の若さです。 長男であったから当主であり、生まれてから当主の名は「一路」で、内外ともにずっと「一路」で通したという事でしょう。(当主の父親はすでに死んでいた?生きていれば二人とも「一路」を名乗ることになり、支障をきたす。) この時代、世間的には通称があったのでしょう。 藤沢周平「蝉しぐれ」の主人公の名は若い時まで「牧文四郎」であり、後年は「牧助左衛門」と名のっています。文四郎は通称であり、助左衛門は諱でしょう。文四郎の死んだ父も助左衛門でした。 牧家の代々の名、つまり諱は助左衛門という事になると思います。 「一路」の小説には上記「蝉しぐれ」ように文四郎⇒助左衛門ように名前の変更がない。 「一路」で一本化しています。 本小説を読むには一本化しても何ら支障はないので読んでみようと思っています。 ありがとうございました。

  • teppou
  • ベストアンサー率46% (356/766)
回答No.2

 No.1 teppou です。  先ほど書店に立ち寄りまして、「一路」の冒頭の部分を読んでみました。  読んだ感じでは、「一路」は通称のようですね。  主人公は、他人に諱のように受け取られがちな、変わった通称を持つ人という位置づけなのだと思いました。  追加させていただきます。

  • teppou
  • ベストアンサー率46% (356/766)
回答No.1

 >「頂戴した大切な実名」とは一路のことであり、これは諱でよろしいでしょうか。  その小説は読んでいませんが、お考えの通りと思います。  >さらに「で、名は何と申す。」とありますがこれはどういう意味でしょうか。なぜさらに名を聞いているのでしょか。  当時名前と言えば、諱のことではなく、呼び名のことであったようです。  呼び名は、日本では字とは言わず、特にいうときには、仮名(けみょう)と言ったようです。  仮名  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%AE%E5%90%8D_%28%E9%80%9A%E7%A7%B0%29  >例えば伊達(苗字)、藤次郎(字)、正宗(諱)みたいに三構成があり、  特に三段構成であったということではないようです。  手紙の末尾の署名などでは、苗字、仮名、(氏(うじ))、諱と書くこともあったようですが、人の氏名がこのような構成になっていたというわけではないようです。  いわゆる名前は、諱、仮名、受領名、役職名などがあり、通常人に呼び掛けるときには、仮名、受領名(ずりょうめい)、役職名、または居住地名を使ったようで、諱はおろか苗字で呼び掛けることも稀であったようです。  受領名  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%97%E9%A0%98%E5%90%8D  諱は、主君が呼びかけるときか、父親がよほど改まった時に呼び掛けに使うぐらいで、日常使われることはなかったようです。  >つまり、一路というめったに使用しない実名ではなく通称使う名(字)を教えろという事でしょうか。  小説のこの部分は、そう思われます。おそらく仮名を聞いているのでしょう。  あやふやな回答のようですが、わずか百数十年前のことが、実はよく分かっていないのです。  明治維新で世の中がすっかり変わり、江戸時代の日常の様子は、明治の中ごろにはよく分からなくなっていたようです。  長い間(あるいは今でも)江戸時代の研究などは評価されず、明治時代に少数の研究者が残した聞き書きなどが頼り、と言うのが現状です。

1a0b0c2d
質問者

お礼

詳細なご回答をいただき恐縮です。 納得しました。これですんなり本書を読むことができます。 時代物小説で諱とか出て面くらっていました。 感謝します。ありがとうございました。 それにしてもNHK(BS)で放映されるほどのこの小説に、浅田次郎はなぜ諱とか凝った言い回しを、 しかも冒頭のページに記したのか著者に聞いてみたい気がします。 一路だけで通しても主人公の名として十分なインパクトがあるのにと思っています。

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