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蜀漢の費禕と姜維の関係について
- 蜀漢の費禕と姜維の関係について考えます。費禕は小粒な存在ですが、姜維との地位の差はそれほど大きくなかったようです。姜維は戦争において優れた能力を持っていましたが、蜀漢が衰退し不満が鬱積する中、どのような対応がベストだったのでしょうか。
- 費禕と姜維の立場に立った場合、戦争のうまさを持つ姜維とどのように付き合うべきだったのか考えます。蜀漢が衰退している中で、姜維など兵を出兵させたがる将軍にどのように対応するべきだったのか、また人材の欠如や守りに偏った状況についても考えます。
- 本記事では、蜀漢の費禕と姜維の関係について考察します。費禕は小粒な存在ながら、姜維との地位の差はそれほど大きくありませんでした。姜維は戦争において優れた能力を持っていたため、蜀漢の衰退と不満の中でどのような対応がベストだったのかを考えます。
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こんばんは。 >蜀の場合は、孔明の神話が強く、頭の人で劉備の時以来人材が出ない状況をうけついで、小粒な費禕に回ったのだと思います。 その建国 ( まあ pkuobe さんの御指摘通り、その実態は軍閥であったと私も理解しておりますが ) 以来常に蜀に付き纏った宿痾は、人材の少なさと層の薄さにあったのでしょう。 極端に言えば武は関羽・張飛他の五虎将軍以外になく、知は孔明以外になかったといって差し支えない、ことに五虎将軍が次々とこの世を去って以降、蜀に於ける人材の払底は目を覆うばかりです。 この点は大国魏はおろか呉にさえも遠く及ばない、無論孔明は熟知しておりまして本来であれば後継者を育てねばならなかった、ただ蜀の運命が彼の双肩にのし掛かっていた事から、権限の委譲が殆ど為されませんでしたねぇ。 何しろ北伐・南征の司令官であり、同時に立法・行政・司法 ー 現在でいう三権の長を全て兼務していた訳で、人材を育成する暇も無かったのでしょう。 さてそんな孔明が身罷った後、先の御回答に名前が挙がっている蒋琬がその後継者と言ってよいのでしょうが、飽く迄も文官のトップに過ぎない、しかも早世してしまいました。 その後任を費禕が担った訳ですが、この人は自らを含む蜀の文武の高官の能力を冷静に観察しておりますねぇ、姜維の能力も少しも買っておりません。 つまり現在の蜀は魏呉に対抗出来る国力じゃない特に人材がいないと・・、自らの世代を繋ぎと認識していたのでしょう、依って守勢を保って時間を稼ぎ、孔明の如く偉材・大器の出現を次世代に託していたのだと思います。 >本当はどんな形がベストだったのでしょう?姜維など出兵したがる軍への対応やあるいは人材の欠如、守り一辺倒など。 孔明は案外と部下の能力を見抜く目がありませんでした、この点は彼が有した数少ない欠点であろうと思います。 街亭に於いて斬らざるを得なかった馬謖といい或いは御指摘の姜維にしてもそう、正直大した人材じゃない。 特に姜維の抜擢に関しては、蜀の内部に於いても 「 正気か? 」 といった声が囁かれていたと聞き及びますが、彼の最大の欠点は孔明の真似にあったのでしょう、武に於ける孔明の後継者という自負が強過ぎたのだと思います。 何せ向こう受けを狙っちゃう、嵌ると稀に大戦果も上げるのですが、反対に負けるとそりゃもう無残でして、消耗戦で行けば小国の蜀は圧倒的に不利ですからねぇ、他に取るべき作戦があったろうと・・。 >もし費禕の立場みたいなものに立って、姜維などとおさえつつ、ベストって何だったのでしょう?守り一辺倒でもないようにもなく。戦争のうまい将軍の姜維とどうつきあうべきだったのでしょう? 先に述べた通り、好戦的な姜維の存在は有害ですらあったのかも知れません、私としては守勢を取りつつ望みを次世代に託す費禕の在り方こそ、当時の蜀に残された唯一の道であったろうと思いますが・・。 ・・とはいえただただ天才の出現をひたすら待つというのも、雲を掴むような話でして、蜀の滅亡は歴史の必然であったのでしょう。
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- eroero4649
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魏に降伏するか、魏と同盟を結んで呉を攻撃して荊州を奪還するかだったでしょうね。 そもそも孔明が唱えた天下三分の計は、蜀が益州と荊州を確保することがその根幹でした。益州ってのは山奥で攻め込みづらいのは事実ですが、そのせいもあって人的資源が貧弱だったのです。当時においては人口=国力です。田んぼを耕すにも人手を使うしかないので、人口が多ければそれだけ生産力が高く、もちろん兵力もそれだけ動員できることになります。 孔明の戦略としては、防御に適した益州を利用し、国力は荊州に頼るというものでした。しかしご存じのとおり関羽がやらかしてしまって蜀は荊州の拠点を失ってしまいます。相手が山の出口を塞いでしまったので、当時の軍事テクノロジーでは蜀側から荊州の奪還はほぼ不可能といっていい状況になりました。 だからその後の孔明は南蛮征伐に出たりしたわけですが、主な目的はある種の「人狩り」です。人狩りといっても殺すとかではなく、連れてきて蜀の領内に移住させて生産人口を増やそうっていう考えなんですね。 そしてただ守っているだけでは彼我の国力の差がどんどんついていきますから、孔明は毎年のように北伐を始めるわけです。しかし軍事行動をすればするほど国力は疲弊し、しかも実質的な領土はほとんど増えませんでした。その辺りの事情は司馬懿も喝破していて、マンガや小説の司馬懿は孔明の鬼謀を恐れてひたすらに守る人みたいに描かれていますが、実際は「出てくるモグラをピコピコハンマーで叩いていれば無問題」だったし、あえてリスクを踏むことはなかったのです。北伐が続けばいずれ国内経済が疲弊して破綻することは分かっていましたからね。 近年の研究では、孔明の功績は軍師としての鬼謀ではなくあのド貧乏な蜀を毎年のように軍事行動をしながら国内経済を破綻させなかった首相としての力量であったという説が有力になってきているそうです。それを裏付けるように、孔明が亡くなると蜀の経済はあっという間に破綻します。彼の後継者たる力量を持った経済担当大臣がいなかったということですね。 そうすると、蜀としては生産拠点としての荊州が喉から手が出るほど欲しいわけですが、単独での奪還は実質的に不可能です。そうすると魏と組んで呉を共同攻撃すれば呉は荊州に兵力を避けなくなりますから奪還は可能です。 しかし、それは無理だったでしょう。理由は簡単で、魏が応じるはずがないからです。ただ単に敵国である蜀が有利になるような同盟を魏が応じるはずがありません。魏とすれば既に単独で中原は納めているわけですから、当時は貧しくて人口も少ない益州や長江以南を「中華統一」以外に必要とする理由はなかったんですね。現状維持で魏は充分勝ち組だったのです。 結局のところ、それは第二次大戦でいえば「1944年の状態からどうすれば枢軸側は戦争に勝利できたでしょうか」というくらいの無理ゲーだったといえるのではないでしょうか。
- Willyt
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費禕は三国志演義では史実とは異なって低い評価しか受けていない気の毒な人物です。彼は命をを受けて呉に正使として赴き、立派にその職責を果たしたことで相手の呉からさえ高く評価された人物だと伝えられています。孔明なき後は守りを固くして北伐は中止し、内政を固めるというのは妥当な政策だと思われます。しかし所詮は魏の国力は遙かに蜀を凌駕しており、孔明のような文武の能力に長けたスーパーマンですら手こずったくらいなので滅びる運命にあったのでしょうが、守りを固めて魏の内紛を待つというのが正しい政策だった可能性があります。姜維は武には長けていても内政には疎いので孔明の果たした役目を引き継ぐのは到底無理だったことでしょう。
お礼
三国志演義の評価って結構イメージに大きく響きますね。費禕に関する説明ありがとうございます。 ご説明いただきありがとうございます。
- ithi
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pkuobe99さん、こんばんは。 孔明の死後、ポスト孔明は実は費禕だけが蜀の柱ではありません。蒋琬や董允という人が代表としていました。特に蒋琬は実質的な後継者でした。この時代には蒋琬自身は北伐という積極策は賛成でしたが、朝廷内では早くも強い反対が唱えられていました。姜維の地位はまだ高くなく、それほどの権力を握ってはいませんでした。ただ、費禕の時代になると、彼自身ももうこの時から北伐をやめ、守備一辺倒にしようという考えもあったことは事実です。なんせ、剣閣という要害があり、守備には適していましたから…それに朝廷内に厭戦気分や財政のひっ迫などが挙げられると思います。ちなみに姜維はこのころ蜀におけるNO2の地位を占めていました。 むしろ、北伐の強い反対は次第に強まってきて費禕の死後、表面化していきます。 ちなみに魏と蜀との間の国力はこの多年にわたる消耗戦ともいうべき戦争でも着実に開いていましたから、この北伐を続けなければ、いつか魏に滅ぼされていしまうというのは自明の理でした。 以上のことを考えると、彼に指示を送ったりするなら2年に一回か3年に一回の北伐を行い、それ以外は守備に徹するというのがベストかなと思います。ただ、2,3の姜維自身の性格からくる失敗をしているので、彼もかなり能力的に限界に近い状態でしょう。 詳細は下記のURLを参照ください。 姜維 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%9C%E7%B6%AD 蒋琬 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%8B%E3%82%A8%E3%83%B3 費禕 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%BB%E3%82%A4
お礼
まとめた流れの解説や姜維の地位の変動など説明ありがとうございます。 蒋琬や董允って重要でしたね。守備に適していたというのは一つの条件ですね。 詳しく知れてありがたいです。 ご回答ありがとうございます。
お礼
それはわかります。あんだけ北伐して、経済を維持しているわけです。 それはすごいです。 経済の維持もいろいろ工夫してたんですね。 ご回答ありがとうございます。