- ベストアンサー
特攻攻撃の戦果
第二次世界大戦の日本の 特攻攻撃の戦果を教えてください。 できれば アメリカの艦艇の月別総質量も知りたいです。 よろしくお願いします。
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
みんなが選んだベストアンサー
こういうページがありました。 http://www.geocities.jp/torikai007/1945/kamikaze-statistic.html これを見て分かるように、出撃した英霊には失礼なのですが、アメリカにとって意味あるほどの損害は与えられていないのが現実です。特に大型艦を沈めることはできませんでした。 理由は簡単で、重巡洋艦(だいたい1万トン)以上の艦船は喫水線下に穴を開けないと致命的なダメージを与えることはできないのです。戦艦大和も結局沈んだ原因は右舷に集中して当てられた魚雷によるものでした。 またアメリカ軍のダメージコントロール能力は世界トップクラスで、特に神風特別攻撃隊が登場したフィリピン作戦以降の主力正規空母であったエセックス級はそれまでの戦訓を取り入れてダメージコントロール能力を高めていましたから、空母でありながら極めて高い生存性を持っていたのです。 でもね、表で見ると「この程度」と思うかもしれませんが、南太平洋海戦で戦術的に勝利をした以降は、アメリカ軍の能力の向上とVT信管の登場と日本軍ベテランパイロットの消耗によって、アメリカ軍の袖に切りつけることさえできなくなっていたのです。
その他の回答 (7)
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
ちなみに、航空特攻を「神風特別攻撃隊」というのは厳密には間違いです。海軍が組織したものだけを言い、陸軍の特攻隊はそうは言われていませんでした。読み方も「しんぷうとくべつこうげきたい」です。 もちろん航空特攻に限ったことではなく、先日池上彰の番組で紹介されたようにベニヤボートで突っ込むもの(震洋)や、海底に待機して上陸用舟艇に爆薬を押し当てるもの(伏龍)、人間魚雷(回天)、爆薬を抱えて戦車に突っ込むものなど人命を無視した攻撃が構想、あるいは実行されていました。末期の日本軍には米軍に対抗する手段が殆どなかったからです。
- mm058114
- ベストアンサー率30% (102/337)
再度投稿します。 戦争末期の航空機特別攻撃隊は、 1コ中隊9機の内1機命中の戦果を期待、目標としていました。 しかし、空母、戦艦は、水線下に打撃を与えないと撃沈できない事は、、 航空機では、不可能である事は分かっており、 個艦の防空能力も高いので、撃破の可能性が高い事は分かっていた。 目標は、個艦の防空能力が低く、今後の日本への攻撃障害となる、 運送艦、輸送艦、タンカー等への攻撃を期待していた。 第2目標は、駆逐艦等の小型艦であったが、実際の特攻機は、 敵戦闘機の襲撃を受け、手近かの艦船、対空機銃の飛んでくる方向に向かって行き、 目視ができる大型艦の空母、戦艦へ向かって行った。 また、搭乗員の意識の中に、補助艦艇と心中するよりは、 主力艦たる、大型艦の空母、戦艦へ向かって行った事が想像できる。 長くなりましたが、本題。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%94%BB%E6%92%83%E9%9A%8A 『特別攻撃隊』の下の方に、戦果日時、艦名、特攻機数、%等出てますから、読んで集計してみて下さい。 本題から外れますが、『特別攻撃隊』は、対艦攻撃だけではありません。 陸軍飛行第244戦隊なんかは、B29対する体当たりの『特別攻撃隊中隊』を編成して、 戦果をあげています。
- mm058114
- ベストアンサー率30% (102/337)
特攻って、イコール戦争末期の体当たりだけを指しませんよ。 多分、その戦争末期の字を望まれているのだと推測します。 特攻とは、特別攻撃隊の事です。 特殊攻撃の略称のときもあります。 真珠湾攻撃の5隻甲標的も、秘匿名の特殊潜行艇で、特別攻撃隊と呼ばれていました。 また、その母艦の潜水艦群も第6艦隊の軍隊区分で特別攻撃隊と呼称されています。 甲標的の1隻は、雷撃に成功した可能性が高いと言われています。 そして、シドニー、マダガスカル、ガダルカナル攻撃も、特別攻撃隊です。 シドニー、マダガスカルでは帰還者がない為、正確な所は不明ですが、 マダガスカルでは、戦艦1隻大破、タンカー1隻撃沈と言われています。 ガダルカナルでは、輸送艦2隻ないし3隻の撃破。 そして、昭和20年のは、蛟龍、海龍に繋がって行く。 特殊潜行艇は、体当たり兵器と誤解されているが、 終戦時まで、完全志願制で、1%でも帰還を期待できる作戦のみ投入された。 回天の様な命と引換兵器ではありません。 回天が特別攻撃隊の名の元、昭和19年にウルシー攻撃で給油感1隻撃沈。 その後、ニューギニア、マリアナ、パラオ、沖縄にかけて出撃しているが、 総数148基出撃、総戦果は大小艦艇で撃沈3、大破1、小破3が認められている。 また、同じく真珠湾攻撃の雷撃の97艦攻も、飛行部隊内では雷撃隊と呼称されていましたが、作戦計画書では、特別攻撃隊です。 40機出撃、36本命中(日本側判定、アメリカ側は23本)。 水平爆撃の97艦攻と、急降下爆撃の99艦爆と強力して、戦艦4隻を撃沈、戦艦1隻撃破している。 以上、他の方が、戦争末期の航空機特別攻撃隊を語っておられるので、 違う事を題材にしました。
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
成果についてははっきりしたデータが有るわけではないし、大本営は大きく取り上げた可能性が高いですから、鵜呑みにはできません。ただ、こんな作戦を始めた頃には訓練期間の短縮と燃料の不足によりまともに戦えないパイロットが乗り込んでいましたから、これくらいしかできないのが現実だったでしょう。ベテランは「本土決戦」に備えて温存されていましたので、生き残った人が多いそうです。 日本は医師並みに養成に手間とカネがかかるパイロットを使い捨てのようにしていたのが最大の問題で、アメリカでは防弾構造の充実と回収部隊の活躍で撃墜されても生き残った人が多く、戦争末期にはパイロットの技量で到底太刀打ち出来ないようになっていました。
- matsu_kiyo
- ベストアンサー率42% (683/1590)
御二方は、物理的戦果を求めようとしていますが、当方は「精神的戦果」を上げたいと思います。「天皇陛下万歳」とか言って突撃したというのはおそらく後付で、国体維持だけではなく、家族や恋人のことを思って特攻されている方がほとんどではないかと思います(家族・民族を守ることが国を守ることにもつながる)。 そう考えると、なぜ、アメリカが占領政策として、WGIP(要するに日本は悪い国だった、と洗脳するかのような教育/プロパガンダ)に至ったのか…つまり、「日本は怒らせると何をしてくるかわからない民族だ」ということを骨身にしみたからこそ、ほかの国とは全く違う占領政策に乗り出したわけです。生身の人間が、爆弾を抱えて突撃する、特攻攻撃自体が理解できない戦法だったともいえます。 回答: 艦艇の実際の被害等は、とどめになったかどうかを含めて、かなりあいまいで、記録フィルムや文書も乏しいので難しいとみる(それこそ、アメリカ公文書館にこもりっきりで当時の資料を発掘しないとわからない)。当方的には、物理的損失よりも、アメリカ人に与えた精神的戦果を唱えたい。
- whaihansei
- ベストアンサー率23% (227/983)
シニア男性です。 これは誰にも分からないと思います。 当然日本側は分からない。 生還しないから。 当時の「大本営発表」に特攻の戦果があるのでしょうが これを信じるわけにはいきません。 分かるのは「米軍」で、被害記録はあると思いますが、 それが特攻かどうかは分からないでしょう。 最初の特攻が昭和19年(1944年)10月25日 なので、これ以降翌年の8月15日までの「日本航空機 の攻撃による艦艇被害」記録を調べれば分かるのでしょう。 (戦果に関するデータは色々あるようですが、慎重に出典を 確認することが必要です。論理的に正しさ、偽り度は分かろう。) 以下に参考になる記事、情報を示します。 http://mainichi.jp/feature/news/20141024mog00m040005000c.html (ここにある命中率9分の1も、海軍の「目標値」のようで、どこまで 妥当かの評価は極めて難しい。)
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1963/11745)
日米双方で主張に隔たりがありますね… ただ実際には戦艦や空母クラスは10隻ぐらい沈めてるようです