脱構築・ディ・コンストラクションを知りたかったら、デリダなどの哲学を読むしかないですね。
読まないで、外野から叫んでいてもしようがないですから。
「脱構築って何だよ」という前に何よりも、読むのが先。
でもデリダって難しいから、それを読んで理解するのは大変。
だからあなたのようにデリダって、なんだよ、と誹謗中傷したくなる、その気持ちはよく分かります。
脱構築の原型はハイデガーの「解体・構築の哲学」にあります。
それを縮めて、「脱構築」とデリダが言ったんです。
ハイデガーは「存在と時間」を著わしたとき、自分はギリシャ以来の存在論を解体し、新たに存在論を構築するんだと言いました。
自分の存在論は解体・構築の哲学なんだ、と。
デリダはフッサールの時間論を批判した「声と現象」や、ソシュールを批判した「グラマトロジー・根源のかなたへ」で、フッサールの自我は時間の中から形成される、という考えとソシュールの言語は音声が先、文字は後という思想を批判した時に、自分の哲学を「脱構築」の哲学だと言いました。
「脱構築」とは哲学なら哲学の肝心要の原理をひっくり返すことで、その哲学説を葬るやり方のことです。
フッサールは自我が存在すると言い、それがフッサールの中心思想でしたが、それをデリダは批判することで、フッサールの哲学を根底からひっくり返したんです。
また、言語学者のソシュールにも、言語は音声を表記したものが文字だという強い先入観がありましたが、それをひっくり返すことで、ソシュールを批判しました。
このようなデリダの、裏から手をまわして哲学をひっくり返すやり方を「脱構築」と言いましたが、あまりに露骨にそれをやったものだから、みんなから批判され、反発を食って、フランスにいられなくなり、アメリカに脱出しました。
そしてデリダは、「脱構築」の手法を文学に適用し、文学の批評理論に使い始めて、アメリカで「脱構築批評」として一世を風靡することになりました。
デリダが「脱構築」を言い出した背景にはデリダがフランスの植民地アルジェリアで生まれたアウトサイダーであったことと、ユダヤ人であったことが、二重の意味でフランスで嫌われる元になったと思います。
私も昔はデリダの初期の著作はよく読みましたが、中期の「散種」とか、「絵画における真理」とかいう著作から、何を言っているのか分からなくなり、だんだん読むのをやめました。
ホント、デリダって難しい。
ドゥルーズも負けず劣らず難しいですけどね。
お礼
私の考え: 結論から言ってしまうと、デリダの脱構築はヘーゲルの弁証法を超えるものではないと結論します。 デリダの脱構築はアンチテーゼで止まっていて、ジンテーゼに至るものではない。 それゆえ弁証法を超えるものではなく、弁証法の下位概念に過ぎない。 仮に人間が脱構築で生きていったとしたらその人間の人生はどうなるでしょうか。 これを考えただけでも答えははっきりしています。 私はヘーゲルの弁証法を超える哲学は存在しないと考えています。