>裏的で戦闘的、方向感もなく
幕末の人物でそういう人を挙げるなら、土佐藩主であった山内容堂でしょうねえ。だって、「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」といわれるほどどっちつかずで何がやりたかったのかサッパリ分からない。西郷隆盛をして「単純な佐幕派のほうがはるかに始末がいい」といわしめました。おまけに土佐人にふさわしく酒乱。明治になってからだったかな、「俺ァこの国で初めての身上を潰したお殿様になるんだ」といって放蕩してたってんだからまあはっきりいってたいした人物ではありません。酒がたたって46歳で脳溢血で死んだといいますが、早く死んでくれて周囲も正直ホッとしたのではないでしょうか。
あとは他の方も挙げていますが、同じく土佐人の岡田以蔵なんかも方向感もないまま戦闘的に生きた人ですね。ていか、命じられれば相手が誰だろうと構わず殺したのですから、カッコ良くいえばゴルゴ13。はっきりいやあ始末に負えないテロリスト。これはまあ小物といっていいでしょうね。
昭和初期頃でいうならば、二二六事件の青年将校団なんかはそれに近かったんじゃないかなあ。貧困にあえぐ東北などの救済を訴えるのは悪くないんだけど、なにしろ軍人だから具体的なビジョンは何もありません。結局貧困を救済するということであれば経済環境を良くするということですが、くどいけど軍人だからそんなのどうすりゃいいのか分からんわけです。で、彼らが主張したのが「天皇のご親政にすれば万事解決するだろう」でしたから、これは具体性が皆無と批判されてもしょうがないですよね。
戦国時代なら、うーん、誰だろう。基本的に戦国時代ってのは最もシビアな時代でしたから、後先考えずに戦ってる人なんて家臣がついていけませんから容赦なく淘汰されるんです。
あ、それに近い人がいましたわ。上杉謙信公です。関東に進出したかったのか、信州を抑えたかったのか、京都を目指したのか、戦略性はまったくありません。しかし戦場に出ればバカみたいに強く、基本的に野戦は無敵の無双状態です。だから家臣も「やってられない!」って何度も反乱を起こすのですが、なにせ相手は無敵の毘沙門天の化身ですから絶対に勝てない。当時の新潟人は「ブラック君主の元で死ぬほどこき使われるか、反乱を起こして鎮圧されるか」の二択だったのです・笑。
>強い理念、原理的な主張をもっているという人
幕末なら吉田松陰先生と高杉晋作でしょうなあ。とにかく「狂信」という言葉がピッタリなのが吉田松陰です。「みんな狂え。俺も狂う」っていうのを良くも悪くも実践しました。だいたいこういう人は口だけ番長なのが世間のお約束なのですが、この人は異常なまでに行動力が旺盛。「アメリカに行きたい」と思ったらあの黒船に密航しようとして黒船に乗りつけて、受け入れたら国際問題になるので見て見ぬふりをするからやめなさいと諭すアメリカ側に「我、アメリカに渡らんと欲す!」と号泣して拳を叩いて絶叫したというのですから、頭が良くて体の大きい駄々っ子です・笑。
その松下村塾の門下生であった高杉晋作はそのパシリだった伊藤博文をして「牛みたいな人」。牛ってのは急に動くのをやめると叩こうが引っ張ろうが絶対に動かないし、一度動き出すと止めようとしても止まらないんです。まさにそんな感じ。功山寺でクーデターを起こしたときは周囲から「絶対無理」と強く反対されて、普通は絶対成功しない無謀なクーデターを勢いで成功させちゃったのだからそれはそれは凄まじい信念(エネルギー)だったといえるでしょうね。だって周囲が「絶対無理だから!」って必死に止めるのさえ土石流のように押し流しちゃったんだもん。
昭和初期くらいなら、五一五事件の首謀者たちかなあ。良くも悪くも動機は純粋だったので、日本中が感動して膨大な減刑嘆願書が寄せられ、裁判では夫人がいきなり立ち上がり「裁判長、どうかご寛大な判決を!」といったそうですからね。いってみれば彼らの行動を国民が「義挙」として感情的に支持したために後に二二六事件で青年将校たちが決起することにもなったのです。でも彼らがやったことは首相らを暗殺したのですから、要はテロなんですよね。
戦国時代は超現実主義の時代だったので、理念なんかに囚われていたら容赦なく家臣たちがよその戦国大名についてしまうので、理念じゃメシは食えない時代です。
ただ、若いときの徳川家康は「欣求浄土厭離穢土(この汚れた世の中を離れて悩みのない世界に行きたい」って旗印を掲げたくらいですから、悩める文学青年だったといえるでしょうね。
ああそうだ、あえていやあその若き日の家康も悩まされた一向一揆でしょうね。彼らが求めることは「フリーダム!自由を我らに!」でした。実質的に一向宗門徒に支配されていた能登の辺りは特に君主を置かない自治が実現されていました。