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哲学で分かりやすく書くとは どういうことか?

 1. ひとつの命題(判断)を打ち出すには いろんな条件を考慮しなければならず また同じ条件においても人によって場合が違うことがあるのだから 文は一文が長く成らざるを得ない。  ――それを分かりやすく書けというのは 具体的にどういうことか?  2. 哲学は 一般に妥当だと考えられる内容の認識を推し出すのだが それを自然科学とは違って 人それぞれの志向性や価値観やあるいは境地にもとづいて表現することになる。つまりは それぞれに固有の文体がある。はずだ。  ――それを分かりやすくせよというのは じっさいにどういう内容(またはかたち)を言おうとしているのか?  3. 特に新知見を出す場合 これは とうぜんの如く・必然的に あたらしい概念を用いて表現することが多い。  ――従って始めはわかりにくくなるのは やむを得ないのではないか?

みんなの回答

回答No.5

自己陶酔して造語を用いているのは哲学とは言わない。 昨今のラノベと何ら大差ない。自分に酔いたいだけであれば、 オフライン環境でいいはずだ。 実際、質問者は他人に理解や共感を求めていないでしょう。 そのへんは、カルトと似たようなモノかと思いますよ。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  あなたの回答が成っていないことを証明します。  ★ 自己陶酔して造語を用いているのは哲学とは言わない。  ☆ (1) 《造語を用いる》ことに問題はない。  (2) とすると 《自己陶酔して》造語を用いることが まづいのではないかという意味らしい。  (3) とすると 自己陶酔でないためには 相手に では具体的にどういうところが自己陶酔なのかを分からせなければならない。その説明が あなたの文章にはない。  ★ 昨今のラノベと何ら大差ない。  ☆ (4) ラノベのどういうところでしょう?  (5) つまり 回答を寄せるときにそんなに:  ★ 自分に酔いたいだけであれば、オフライン環境でいいはずだ。  ★ 実際、質問者は他人に理解や共感を求めていないでしょう。  ☆ (6) どのような例示や検証によって そう考えますか?  その説明がなければ あなたはただ おまえのかあちゃん 出べそと叫んでいるに過ぎません。  (7) だから このあなたの回答において:  ★ そのへんは、カルトと似たようなモノかと思いますよ。  

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回答No.4

1.言葉の上手でない子供にも分かるように、日常的  言語だけを用いて記述する。 2.予備知識のない人間にも分かるように、予備知識  の必要のない内容を記述する。 3.上記のような人間によって誤解されないように、  正確な言語や詳細な予備知識を要求する記述をする。  (間違って「分かられる」より分かりやすい)

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 1.言葉の上手でない子供にも分かるように、日常的  言語だけを用いて記述する。  ☆ 《子ども》でなく《おとな》であっても 日常の言葉《だけ》で書くのは 無理。だと思います。  ★ 2.予備知識のない人間にも分かるように、予備知識  の必要のない内容を記述する。  ☆ それは 予備の知識をきちんと説明すればよいのでは? と考えますが。  ★ 3.上記のような人間によって誤解されないように、  正確な言語や詳細な予備知識を要求する記述をする。  (間違って「分かられる」より分かりやすい)  ☆ ん? これは 《新知見》の場合に限って当てはまる対処法でしょうか?  要するにその場合には 《1》や《2》の場合とは違って 専門的な言葉をきちんと定義しつつ用いて表現し説明せよ。ということなのでしょうか?

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  • raiden787
  • ベストアンサー率37% (179/473)
回答No.3

1. ひとつの命題(判断)を打ち出すには いろんな条件を考慮しなければならず また同じ条件においても人によって場合が違うことがあるのだから 文は一文が長く成らざるを得ない。  ――それを分かりやすく書けというのは 具体的にどういうことか? 書き方の工夫というものがあります。 言葉のリズムが良かったり、一文が長い場合でも意味的な区切りと文章的区切りを一致させれば比較的読みやすく分かり易いですし、それが難しいなら一文を短くして短文の連続で書くと良い場合もある。 同じ言葉でも難しい専門用語を使ったほうが分かり易い場合もあるし、平易な表現を使うべき場合もある。時には直接的に言うよりあえて回りくどい言い方のほうが誤解されにくい場合もある。 深く考えずにだらだらと接続詞や修飾表現を連打すれば読みづらいし分かりにくい。 ここらへんは内容とは別の国語力や文章表現のセンスとノウハウですね。  2. 哲学は 一般に妥当だと考えられる内容の認識を推し出すのだが それを自然科学とは違って 人それぞれの志向性や価値観やあるいは境地にもとづいて表現することになる。つまりは それぞれに固有の文体がある。はずだ。  ――それを分かりやすくせよというのは じっさいにどういう内容(またはかたち)を言おうとしているのか? 他人に読ませて理解を求める以上は他人から見て理解できるかどうかを考えるべきかと。 分かりづらいから分かりづらいんだ、で思考停止せず、分かりづらいからこそ少しでも分かり易いように工夫するべきではないでしょうか。 内容のせいではなく文章力のなさのせいで理解してもらえないのはつまらないと思います。  3. 特に新知見を出す場合 これは とうぜんの如く・必然的に あたらしい概念を用いて表現することが多い。  ――従って始めはわかりにくくなるのは やむを得ないのではないか? 新知見を概念で表現する、という考えが間違っていると思います。 新知見だろうと概念だろうとそれを他人に対して説明する場合、それらを表現するのは言葉であり文章です。 例えば民主主義という概念がない世界で民主主義という政治体系を説明するときに概念自体でいきなり説明するなんてテレパシー能力でもない限り不可能です。 まずその世界の人々が理解可能な言葉や文章表現で民主主義という概念をどう表現するか、がポイントになります。 色々書きましたが、あえて誰にも理解不能ならそれでも良い、と割り切るのも自由です。 どちらでもいいです。 別に質問者さんの言いたいことが誰にも理解できなかったとしても誰も困らないのですから。

bragelonne
質問者

お礼

 らいでん787さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。  1.  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~  ( a ) 同じ言葉でも難しい専門用語を使ったほうが分かり易い場合もあるし、平易な表現を使うべき場合もある。  ( b ) 時には直接的に言うよりあえて回りくどい言い方のほうが誤解されにくい場合もある。  ( c ) 深く考えずにだらだらと接続詞や修飾表現を連打すれば読みづらいし分かりにくい。  ( d ) ここらへんは内容とは別の国語力や文章表現のセンスとノウハウですね。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ここは そっくりそのまま我が意を得たり。と思います。  でも  ★( e ) 書き方の工夫というものがあります。  ☆ ということですね。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~  ( f ) 言葉のリズムが良かったり、  ( g ) 一文が長い場合でも意味的な区切りと文章的区切りを一致させれば比較的読みやすく分かり易いですし、  ( h ) それが難しいなら一文を短くして短文の連続で書くと良い場合もある。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ( f )は 文句無しにそうですね。  ( g ): 《文章》というのは 《文》のまとまった集まりではないのでしょうか。  ( h )というのは ( d )の場合につうじていて よしあしが分かれるようには思います。  2.  ★ 他人に読ませて理解を求める以上は他人から見て理解できるかどうかを考えるべきかと。  ☆ これは 否定はしませんし文句も言いませんが たぶんまだ一般論なのではないかとは思っているのですが。  3.  ★ 新知見だろうと概念だろうとそれを他人に対して説明する場合、それらを表現するのは言葉であり文章です。  ☆ それは そうでしょうね。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  例えば民主主義という概念がない世界で民主主義という政治体系を説明するときに概念自体でいきなり説明するなんてテレパシー能力でもない限り不可能です。  まずその世界の人々が理解可能な言葉や文章表現で民主主義という概念をどう表現するか、がポイントになります。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ということは でもそれは 哲学のふつうの務めのことでは必ずしもなく 普及のときの問題ではないでしょうか。  あるいはつまり そういう場合には その人たちをにじっさいに民主制の社会に住んでもらって いろいろと説明していけばよい。とは思います。そういう場合というのは 哲学を打ち出すという場合の文章力とは 少し問題が違うように思いました。  幅広い問題であるようですので 軽くやり取りすれば済むとは思えないように思いました。  ぼちぼちまいりましょうか。

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noname#211437
noname#211437
回答No.2

回答になるかどうか分かりませんが、 質問者様の哲学に関する質問に興味が出てきたので、 とくかく意見しておきます。 >1. ひとつの命題(判断)を打ち出すには いろんな条件を >考慮しなければならず また同じ条件においても人によって場合が >違うことがあるのだから 文は一文が長く成らざるを得ない。 >――それを分かりやすく書けというのは 具体的にどういうことか? いくつかの選択肢を提示して、哲学に関する専門用語などを出来るだけ 使わずに、多くの聴衆に誰が見ても分かりやすく書くというのが 重要ではないでしょうか。 >2. 哲学は 一般に妥当だと考えられる内容の認識を推し出すのだが >それを自然科学とは違って 人それぞれの志向性や価値観や >あるいは境地にもとづいて表現することになる。 >つまりは それぞれに固有の文体がある。はずだ。 >――それを分かりやすくせよというのは じっさいに >どういう内容(またはかたち)を言おうとしているのか? 要点だけを述べれば良いのではないでしょうか。 例えば座右の銘のような感じで表現すれば良いのではないでしょうか。 >3. 特に新知見を出す場合 これは とうぜんの如く・必然的に >あたらしい概念を用いて表現することが多い。 >――従って始めはわかりにくくなるのは やむを得ないのではないか? はい、やはり哲学に関する専門用語をあまり使わずに 例えを用いて表現するしかないと思われます。 普通の一般論での表現でもよろしいのではないでしょうか。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ いくつかの選択肢を提示して、  ☆ それは 必要に応じてそのとおりでしょうね。  ★ 哲学に関する専門用語などを出来るだけ使わずに、  ☆ これは 一般にあまり知られていない用語は控えよということでしょうか?  おそらく すでによく用いられている術語なら よいのでしょうから。  ★ 多くの聴衆に誰が見ても分かりやすく書くというのが 重要ではないでしょうか。  ☆ ここは まだ定かではないと思います。  《誰が見ても分かりやすい》というのは ふだん哲学にたずさわっていない人をふくめてはいないのでしょう?  だとすれば ある程度専門的になるのも仕方がない。のではないでしょうか?  ★ 要点だけを述べれば良いのではないでしょうか。 / 例えば座右の銘のような感じで表現すれば良いのではないでしょうか。  ☆ これは わたしから見れば まさにそういう文体の人がそのようにすればよい。と思うところです。  そうは思っていない生活態度を築いている人なら その別の文体で書くでしょうね。  文体が人それぞれだから 読み取りづらいとは ならないはずです。  要点の箇条書きのばあいのほうが かえって細かい内実などについては 何を言おうとしているかが分かりづらくなる場合もあるのではないでしょうか?  ★ 例えを用いて表現するしかないと思われます。  ☆ それでよい場合もあれば まだ不確かなままに終わる場合もあると考えます。  ★ 普通の一般論での表現でもよろしいのではないでしょうか。  ☆ 哲学の文章とビジネスでの文章とでは 違いが出て来るでしょうし あるいは文学とも哲学は違うし 自然科学ともやはり違う。と考えますので 一概に《普通の一般論での表現》と言われてもなかなか飲み込みづらいとは思うのですが。    けっきょく――わたしが頑固だからでしょうか―― しっくりと受け容れることのできたご見解とまでは行かなかったのですが まづはありがとうございます。

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  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.1

そもそも、なぜこの質問は1.2.3.の3つに分離しているのか(なぜこの3分割であり、2分割でも4分割でもないのか、3つで必要十分なのか)、 という「論理構造の説明」すら欠けていることを指摘されているのかと思います。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 3つで必要十分なのか  ☆ 問いのために三つの項目を出したなら それが《必要十分》なものと見なしているとあなたは見なすのですか?  その必然性はありません。よ。    例示という場合があります。

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