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「権利」という言葉の使い方について質問

C「○○人って几帳面だよね」 A「俺の知ってる○○人はずぼらだ、Cの言ってることは特殊なケースだ」 B「それもAの狭い交友関係から言ってるだけだろ、おまえの言うことも一般的ではないよ」 と、話している人が居ました。 そこへD「Bの言っていることはややこしすぎる。それを言うなら A自身の個人の経験でしかないという意味でCと権利上同等に特殊だと言えば言いんだ」 「権利」という言葉の使い方がまちがっているように思ったので 「権利という言葉は人間に使うもので、考え方の権利上なんて 言い方はありえないのではないか」と問いただした所 「概念や一つの命題・思想・提案に権利という言葉を用いるケースはざらにある。政治思想や哲学書には多い表現だ。」 と言うのです。 この人の言っていることは本当なのでしょうか。 今までこんなことを言う人は初めて見たので、キツネにつままれた気分です。

みんなの回答

  • mydummy
  • ベストアンサー率59% (55/92)
回答No.3

権利はほとんどの場合は法の概念(人間に使うというより法律上の概念)ですが、様相論理学の義務論理で権利という言葉を取り扱うことがあるようです。 成人は酒を飲む権利がある≡成人は酒を飲んではならないという義務はない の類の話の一般化ですね。 http://bunjin6.hus.osaka-u.ac.jp/~satoshi/anthrop/class/rules_and_ethics/alt-intro.html ある程度厳密に定義されているのは以上の2分野でしょう。 思想については、ソーカル事件とは言いませんが他の学術分野の単語を適当に使いまわしますので、権利という言葉も適当に引っ張りまわされてるかと。特にポストコロニアリズムと呼ばれる思想ではしょちゅう引っ張りまわしていると思います。一般的概念や他の専門分野の言葉を特定の論理上の概念として特殊化して使う場合カギカッコなどでくくる人が多いですが、やらない人もいるので注意が必要です。 「権利上同等に特殊」という用法があるかどうかはよく知りません。言いたいことはわかりますが。論理学における有名な自己言及のパラドックス 「クレタ人が『クレタ人はうそつきである』と言った」 も「すべてのクレタ人が」か「あるクレタ人が」と述語論理にしてしまうとまた違ってくるので、そのへん様相論理と絡んでくるかもしれませんね。

参考URL:
http://ysserve.int-univ.com/Lecture/SymbolLogic/node24.html
zhufang
質問者

お礼

>B「それもAの狭い交友関係から言ってるだけだろ、おまえの言うことも一般的ではないよ」 >A自身の個人の経験でしかないという意味でCと権利上同等に特殊 ざらには無い、ということなら、このふたつを比べると、「権利上特殊」 なんて言うよりBの言うことのほうがわかりやすいということですね。 そもそも哲学書に書いてあるような言い回しを日常会話で使い,それを 分かりやすい表現のつもりでいることにも疑問でしたが、おかげさまで すっきりいたしました。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.2

「考え」や「言葉」にも権利があるんです。 例えば、「言論の自由」というのは、「中世のヨーロッパで神「キリスト教」を信じていない」と口に出すと魔女裁判にかけられたところからきてるんですね。つまり「内心の自由」を言葉にしても魔女裁判にかけないというのが「言論の自由」だったのですね。 つまり、一人一人の考え方、それを言葉にする自由は、個人個人の権利として保障されているのが、近代民主主義国家なんですね。憲法にも「内心の自由」と「言論の自由」が保障されてますね。最近では解釈が少しずれていますが、本来個人の権利です。 この権利が保障されない、あるいは保障されていなかった国はたくさんあったのですね。独裁国家、や共産国家で親が子に、隣人に「この国のだれそれはよくない。」といっただけで通報され収容所に送られたケースはいっぱいあるんですよ。いまでもそのような国はありますよ。

zhufang
質問者

補足

「権利上同等」って、では何なんでしょうか。 言論の自由は、人のものであって、言論それそのものの自由では無いと 思うんですけど。 極端な話、「あなた、地獄に堕ちるわよ」という言葉に権利を持たせても 言葉それ自体は言葉でしかないですよ。言葉は牢屋にぶち込めませんからね。 トイレの壁にそういう落書きがしてあって、それをひっぺがして牢屋に 入れるなんて馬鹿なことはしない。 ぶち込まれるのはその言葉を使った人間です。

noname#31063
noname#31063
回答No.1

「権利」は「してもいい、許されること。そして執行出来ることを保証してくれるものがあること」 と解釈していますが、誰が「考え方」まで許して保証してくれるのかが問題ですよね。 「権利だけは与えたので、保証はしないが有難く思え」に聞こえました。 考え方、概念、観念、提案。etc... は主体(自分)から出るものなのですから。

zhufang
質問者

お礼

>誰が「考え方」まで許して保証してくれるのかが問題ですよね。 まったく仰る通りです。 なにしろ「権利上同等」、さっぱり意味が分かりません。 「理屈上同等」なら筋が通っていると思うんですけどね。