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「草陰」、「草葉」、「葉隠れ」、或いは「物陰」
「草陰」、「草葉」、「葉隠れ」、或いは「物陰」ということばや表現に私たちはせっしてきましたし、時には自分でもつかうこともあります。 質問者は、「草あるいは草葉」、「陰」、「隠れる」、或いは「物陰」という表現が何か共通の感覚や意識、思い方、或いは心性みたいなものががあるのではないかと、ずぅっと気にしているのです。 このことについて、何でもお教えや参考事項や思われることがありましたら、どうかご投稿くださいますよう、お願い申しあげます。 美人でえらい皇后陛下が、美しい物だって、時とともに醜く朽ちていくことを知ってもらうために、死体を野ざらしになさったというお話も仄聞した経験がりますし、何か昔は野辺送りは、本当に草の野辺においてきたのだというお話しも伺ったことがあります。 どんなことでもどうか、お教えください。関係が遠いという判断はどうか為さらないで、衝動でご投稿ください。 どんな文章でも、漢字変換ミスも読解しますので。
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海ゆかば 水漬く屍 山ゆかば 草むす屍 「海ゆかば」を思い出しました。元は古いものなんですね。↓ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E3%82%86%E3%81%8B%E3%81%B0 >美人でえらい皇后陛下が、美しい物だって、時とともに醜く朽ちていくことを知ってもらうために、死体を野ざらしになさった・・・。 それが、本来の死に方だと思います。 焼き場(火葬場)で、祖母が焼かれようとしているのを見た小さな孫が、「おばあちゃんを焼いちゃダメ、よけい死ぬう!」と泣き叫んでいました。 われわれ、大人は火葬は普通のことと思ってしまっていますが、子供にしてみれば残酷だと思ったのでしょう。 難しいことはわかりませんので、こんなところでご勘弁ください。
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- shift-2007
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異界、異界ですよ。 昔はもっと自然の勢いが強かったでしょうから 道から少し外れればそこは異界。 動物や妖怪や八百万の神の領域ですよ。 道端の草むらは人の住む世界と異界との境界線ですよ。 たぶん。
お礼
shift-2007さん、ありがとう。自分の感性かと思えるかのようなご投稿に唸っています。 ありがとう。 野辺、草むら、ちょいとした、虚空空間。 昔はもっと自然の勢いが強かったでしょうね。はい、ですからいろんな不可視のものもいられたのでしょうね。絶滅生物だけではなく。 道から少し外れればそこは異界。異界、そうですね。ひょいと角度をかえても、そこから異界。はい、よくわかります。異界空間という別の尺度の広がりがあるのでしょうね。 動物や妖怪や八百万の神の領域ですよ。はい、そして私たちが追い立ててしまった、存在beingたち。 道端の草むらは人の住む世界と異界との境界線ですよ。 はい、そうなんですね。きっと。よくわかります。感じです。 ありがとう御座いました。
補足
海ゆかば 水漬く屍 山ゆかば 草むす屍 そして異界への角度、別世界。 「草あるいは草葉」には、私たちはそんな直感をもってきていたのですね。 そして「陰」、「隠れる」ということがこの私たちの今の世界から見ると、「陰」、「隠れる」なのでしょうか。 「葉隠れ」は無論、鍋島の山本常朝のことばではあり、少し無理ですが、けばけばしい世界から隠れる、身を引くということに通じさせると、拙くはありますが、精進しているヒンドゥの教えにもありますので、何か共通しないかと存じました。 しかし、ここでの、日本の「草陰」、「草葉」とは状況が少し違うのだなと、わかるような気がしました。 ご両所様には本当にありがとう御座いました。深くお礼申し上げます。
- ecoshopQ
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■質問ではない質問 個人的なメッセージ、雑談、ご自身の意見を表明することを目的とした内容、議論喚起を目的として議題を掲げる内容など、質問欄に質問形式以外の質問として成立しない内容を投稿することは、ご遠慮ください。
お礼
ecoshopQさん、ありがとう。 誤解される文章形式でしたね。 でも議論や、メッセージの表明や雑談をするつもりはありません。 私はそんな閑はないし、知識もありったけ出して質問の文章を作りました。 もうこれ以上の知識はありません。 どうか何でもいいから、教えてくださいというお願いなのです。 大学の専攻が労働法でして、ずううとそれにつかり通してきて、活動し、ようやく年齢でこういうことに目が向いただけです。 老人の講習会においでの先生にも伺ったのですが、調べてくれてもどうも断片的で、質問に書いた知識がそれなのです。 それ以上は判らないもので、えらい教授たちがわからないのでは、多分いろんな、そして周辺や関連の知識を頂いて、勉強していくより仕方ないと存じて、質問の文章のようになりました。 本当に何でもいいので、どうかお教えください。 お願いです。議論はできませんし、メッセージを書いたり、意見を表明することなどは絶対に、出来ないのです。 どうかお願いします。 ecoshopQ様。
補足
議論や意見を求めては居ないのです。 【「草あるいは草葉」、「陰」、「隠れる」、或いは「物陰」】という表現とこばに示されている、きょうつうしている日本人の感覚や意識、思い方、或いは心性みたいなものを、教えてください。 そういうものを、或いはそういうことを表現するのに、どうして草とか、陰あるいは、物や物陰という言葉を私たちは使うのでしょうか、ということを教えてほしいのです。歴史的な何かが、或いは日本人としての心の何か特徴があるのではないでしょうか。どうかそのことを教えてくださいと、お願いしているのですが。意見や議論のことではなく、お考えや、お知識を求めています。 ご注意ありがとうございます。 このことで議論をするつもりも、私の意見を申し上げるつもりは、そして雑談や個人メッセージの機会を持とうなどとは少しも思っていません。誤解のないようお願い申しあげます。 知りたいだけです。自分の勉強のために。古典や日本人についても勉強についての。
お礼
早速にありがとう御座いました。 この質問は、ちょいと聞きたいの規定に抵触するとの回答書き込みがあり、とてもつらかったのです。お教えを賜りとても嬉しいです。 こういう漠然とした、気持ちからの聞きたい、ですから、何でも教えていただきたいという思いから、誤解される質問文章のようになってしまいました。 専攻が労働問題、法律でして、大学の事務系職員の労組の活動で60年安保の前からの生活でした。素人ですので聞き方がわからなかったのです。 私も、存命であれば、109歳、101歳の父母をそれぞれ95歳67歳で送りました。やはり火葬はとてもいやなもので、父の郷里では最近まで土葬とのこと。これも悲しいですね。 大友家持の歌を引きながらの歌詞だったのですか。 何度か読み返しましたが、隅々までは理解できませんでした。 でも、何か心のふるさととか思い出され、とても落ち着けました。 万葉集をこのように味読したことは在りませんでした。 ありがとう御座いました。
補足
海ゆかば 水漬く屍 山ゆかば 草むす屍 こうして地上の劇場から、不可視の世界に移行していく。 悲壮ということを通り越した、状況・風景に慄然とあわ立ちながら、昔の野辺送り、芭蕉の夢は枯れ野を、・・・を思い浮かべます。 みんな兵わ者どもの地上の夢ですね。 多くの野鳥は存じませんが、46年勤めた大学のキャンパスの草深い箇所でなにかが置いてある。あぁっ、雀がうずくまって、でも、動かない。変だな。そしたら結局蟻もこないところで、くちばしを草に下ろしながら、旅立っていました。 雀がうられる、枝から落ちる。天の主が一羽の雀のことであれ、知らないということがあると思うか。 雀も私たちも、同じですね。何か雀の壮烈さを感じました。 日本人の心性からの、質問に掲げてお読みいただいているこの表現の奥深さを万葉までさかのぼれました。 ありがとう御座いました。