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トイレで和式スタイルをとってたのは

トイレで和式スタイルをとってたのは 日本だけなのでしょうか? ヨーロッパは様式だと思いますが うんちすわりの和式スタイルをとっていた国は日本以外にありますか?

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  • tyr134
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回答No.8

聞きかじった知識で正確では無いかもしれませんが,簡単にトイレの歴史をまとめてみます。 西洋では,ローマ時代には上下水道の発達から,いわゆる水洗式トイレというのがあったという説もあります。 しかし,中世になるとローマ時代の技術の多くは失われ,トイレも「おまる」に糞尿し,それが満タンになると捨てるという方式が一般的でした。 ここでいう「おまる」とは,現代日本人が創造する赤ちゃんが脱オムツのためにトレーニングするようなアヒルさんではなく,端的に言ってしまえば壺です。 その壺が満タンになったら窓の外にダバーと捨てる文化だったのです。 不注意に道の隅っこを歩こうものなら,頭の上から糞尿がドバーと降ってくる時代だったのです。 しかし,その為に色々と発明されたものもあります。 16世紀には,紐を引っ張ると上のタンクにためた水が汚物を下水に流すような仕組みも作られてはいます。 さらに,女性がつける香水で匂いを誤魔化したり,ハイヒールで汚物を踏んでも足が汚れないようにしたり。 男性が使うシルクハットや外套なんかも,上から降ってくる汚物から身を守るためだったという研究報告もあります。 とは言え,そうしたトイレやアイテムを利用できたのも王侯貴族や富豪などのごく一部でした。 現代でいう西洋式トイレが開発されたのは19世紀頃のイギリスだと言われています。 その頃には,コレラなどの疾患が大流行していました。 そうした環境面の悪化と,近世に古代ローマ~ギリシアの知識が復興されたことで開発されたようです。 最初は、所謂肥だめに溜め方式だったようですが,戦前頃までには現代日本で言う西洋式トイレ(水洗トイレ)が完成されていったようです。 視点を東洋に移すと,中国では豚小屋の上にトイレが作られていたりしたようです。 というもの,豚は腸が強く人間の糞尿を餌にできたからのようです。 まぁ,一般的に多かったのは西洋と同じで,壺にして溜まったら畑などに捨てるという方式だったようです。 さて,肝心な日本ですが水洗トイレは縄文時代にすでにあったようです。 と言っても,ローマのように上下水道を整備してと言うのでは無く,川の上に足場を作ったり,家に引き込んだりしてトイレを作っていたようです。 当然,川には流れがあるので,出した糞尿はすべて洗い流してくれるという寸法です。(まぁ,その下流で洗濯してたりしたらどうなのよと思うわけですが^^;) この形が,後の和式トイレに引き継がれたのではと思います。 しかし,日本でも時代の逆流というか退化というか,平安時代頃には「樋箱(ひばこ)」と呼ばれる「おまる式」の便所に変わっていたようです。 おまるの底には砂がひかれていて,ある程度溜まったら侍従が外に捨てていたようです。 ただ,その形は壺というよりはアヒルさんおまるに近い(=またぐ形)だったみたいです。 材質も木製が多いようでした。 戦国後期辺り~江戸初期になると、徐々に所謂ボットン式便所と言われる肥だめ式のトイレが普及したようです。(各種史料を見ると,やはり座る形ではなくまたぐ形のようです) 溜めた糞尿は肥料として田畑に使ってました。(但し,戦後になって寄生虫の問題などから禁止になった) 江戸時代後期頃に入ると,西洋式トイレが伝わっていたようですが,長崎の出島など外国人が立ち寄るところに限られていたようです。 そして時代はグンと下って(つまりそれまで大きな変化は無い?)東京オリンピックの頃。 今もトイレ開発の最前線を行くTOTOが台付小便器(サニスタンド)が開発されます。 これは,中腰に立って排便する方式でした。 TOTOが選手が試合前に手早く用を足せるようにと考案したようです。 数年前に見たTVでは,この便器は今でも国立競技場の地下にあったそうですが,改築でどうなったかは定かではありません。 その後もTOTOを中心に画期的な便器が開発され続けます。 そして昭和50年には,便器の後ろにタンクがある西洋式トイレである サイホンゼット式大便器が,そして昭和55年には,未だに外国からの観光客が驚くウォシュレットトイレが開発されています。 以上,簡略的ながらもトイレの歴史を語ってみました。 正確な史料に当たったわけでも無く,聞きかじった知識ですが参考になれば幸いです。

CPOHJZHVYSS
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  • m-twingo
  • ベストアンサー率41% (1384/3341)
回答No.7

東アジアに限らずアジア圏は大体日本と同じスタイルです。たぶん中国から周辺国へこのスタイルが伝わったのでしょう。 でも肝心の中国ですが、トイレ環境は劣悪です。 他の方も回答されていますが、個室どころか間の仕切りがあればまだいい方。ドアなんてものもありません。だから用を足している人は丸見え。 床にどぶのような排水路が一本切ってあって、そこを水がちょろちょろ流れている上を跨いでしゃがみ用を足します。仮に間仕切りがあっても腰くらいまでの高さしかないため、隣で用を足している人会話ができるくらいです。ですから中国のトイレはニーハオトイレと言われているのです。 また下を見ると上流で用を足している人の排泄物が流れていくのが丸見えなので、決して気分のいいものではありませんし、基本的に中国人は掃除が嫌いですから、超汚くて強烈な悪臭が漂っています。 まぁほ、ほとんど家畜の排泄と変わりないくらいです。 これが男子トイレだけならともかく、女子トイレでさえ同様ですから、日本人が旅行でこんなトイレに入ったらとてもじゃないけど使えないでしょうね。

CPOHJZHVYSS
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ご回答ありがとうございました。

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.6

21世紀のフランスにも、古い工場に「トルコ式トイレ」という、足を置くところが少し盛り上がっているだけの、長い穴をまたいで用を足すトイレがありました。 さすがに水洗できましたが。

CPOHJZHVYSS
質問者

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ご回答ありがとうございました。

回答No.5

中国なんかも同様だと思いますが。 15年以上前の話しですが、中国の有名な観光地にあった公衆トイレに入った時に、 大便用なのに個室ではなく、個人個人の排泄部分を目隠しするための小さな仕切りがある(隣で用を足しているとお互いの顔は見える程度)だけで、便を溜める長い溝が掘ってあり、そこにまたがって排便するような作りでした。 その中でお互いに会話していましたので、習慣の違いにビックリしたものです。 ですから個人の家でも、もともと和式スタイルの便器が主流だったのではないでしょうか。

CPOHJZHVYSS
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回答No.4

殆どの国がしゃがむ和式(インド式、トルコ式)です。 今のような洋式便器が出来たのはせいぜい150年位前ですから。

CPOHJZHVYSS
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ご回答ありがとうございました。

  • takuranke
  • ベストアンサー率31% (3923/12455)
回答No.3

もともとはしゃがんでするところしか無かったです。 いまでもたくさんあります。 トルコから東(ロシアや東欧、ヨーロッパの影響が強い地域は除く)は俗にいう和式です。 中東も同じく。 アフリカや南米も都市部でなければ和式があります。 ちなみに和式 洋式は日本から見てのことだけです、腰掛便器が海外から来たので洋式といっているだけ。 もともとはしゃがんでするところしか無かったです。 腰掛便器がヨーロッパに登場したのは14世紀フランス。 理由は、フィリップ5世が庶民と同じ恰好で排便したくないというのが理由だったらしいです。 ただし、貴族や上流階級で普及したのが17世紀、 庶民に広まったのが19世紀末で、しかも水洗が普及し始めてから。 なのでヨーロッパでも、100年以上の前の建築物だと和式便所のことがあります。 17世紀のパリでは、晴れていても傘が必需品、2階の窓から糞尿が投げ捨てられていたため。 下水道設備が無かったためです。 水洗が無い時代には、庭や道路に撒き散らしていた、ハイヒールが出来たのもすそが汚れないようにするため。 男性の外套も、投げ捨てられた際の飛び跳ねよけといわれています。

CPOHJZHVYSS
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ご回答ありがとうございました。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.2

 糞のたれ方と、トイレの作りは別々です。僕はロシアで、洋式トイレ(=椅子型)の上にしゃがんで糞をたれている人を見ました。すなわち洋式トイレの上での和式の姿勢です。

CPOHJZHVYSS
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ご回答ありがとうございました。

  • ayumi9821
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回答No.1

日本だけでしょう。その理由は服装にあります。和服を着ていたのが日本だけであるように、その服装にあった座り方をする必要があったのです。

CPOHJZHVYSS
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ご回答ありがとうございました。

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