「食べに行こう」の述語は、行こ(動詞「行く」の未然形)+う(婉曲命令の助動詞「う」の終止形)であり、この形態には既に婉曲命令という終助詞の意味合いが含まれているので、その後に意志の終助詞「ぞ」の後接は滑らかには行きません。
これが、念押しの終助詞「ぜ」や、同意を求める終助詞「ね」なら落ち着きます。
「食べに行こうぜ」、「食べに行こうね」
「ぞ」を後接できるのは、動詞「行く」の終止形である場合で、この「食べに行くぞ」がほぼ「食べに行こう」に相当します。
ただし、ヤナシ言葉(山梨・長野・静岡エリアの方言)、ひいては東海・東山全域では終助詞「ず」の独特の表現がありました。
「ズ 行カズ、行こう。行くだろう。起キーズ、起きよう。起きるだろう。」(東条操編「分類方言辞典」)
ですから、伝統的な「行かず」を今日風に合わせれば「ぞ」を後接させて「行こう」の念押しとして「行こうぞ」という言い方があっても、その地域においては、おかしくないと思います。
また、終助詞「ず」を「ぞ」の意味で使う地域としては、荘内・隠岐・石見・島原などがあるようですし、「ぞん」で「ぞ」や「ね」の意味を三河地区で、ほかにも徳島の「そい」、高知の「ぜよ」や、九州の「ざい」、それに全国各地で「じ」なども使われています。
ですから、その文脈しだいで、その使われる地域によっては不自然でない場合もありますが、共通語の用例としては確かに「現代語らしからぬ表現」と感じられるものでしょう。
補足
ありがとうございます。 古典表現と思っていただけに驚きました。