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サルトル「存在と無」第三部「対他存在」
私は海外の大学で哲学を学んでおり、現在、サルトルの「存在と無」の第三部「対他存在」第三部「他者との具体的諸関係」の部分を英語で読んでいるのですが、とても難しいです。「存在と無」の内容全体ではなく、第三部の第三章について、日本語で詳しく教えてほしいです。また、「存在と無」のオンライン書籍があれば紹介していただきたいです。 私の英語力が全く追いついていなくて、困っています。時間がないので日本語の本を取り寄せる時間がありません。助けてください。
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ヤフーの哲学カテで、同じ質問をしているのを見たけど、ヤフーにしろ、OKウェイブにしろ、そんな専門的な質問に回答できる人間はいないのです。 専門家はヤフーだとか、このOKウェイブなんか、忙しくて回答するヒマなんてないのです。 シロウトのヒマな人間が、おもしろおかしく、ワイワイとやっているだけだから、ここは雑談室であって、専門家が議論するところではない。 それにサルトルなんて、もう半世紀前の哲学者だろ? 誰もそんな哲学者の書いた本なんて読まないよ。 古書店に行ってみれば分かるけど、マルクスの「資本論」にしろ、サルトルの「存在と無」にしろ、今や100円でも売れない。 サルトルと聞いて、サルトルって誰? と若い人はみんな首を傾げる。 名前さえ、もう誰も知らないんだから。 若い人は流行を追いかけるのに忙しいんだから、そんな昔の哲学者なんて読まないよ。 最新流行のファッションと同じ。 「あんたこの本読んだ? まだ読んでないの。流行から遅れちゃうわよ。すぐ買って読んだら」 そんな会話をしている。 それで一時みんな吉本隆明の「共同幻想論」が飛ぶように売れたけど、誰ひとり中身を読んだ人間はいない。 サルトルも同じ、1970年代に実存主義ブームがあり、みんなファッションに遅れてはならないと飛びついたけど、ブームが去ったら、誰も相手にしなくなった。 日本では、しょせん、哲学と言ったって一時の流行だから、流行が去れば、また別の哲学者に乗り換えるだけ。 そうして80年代には猫も杓子もレヴィ・ストロースだ、デリダだ、フーコーだ、バルトだと騒いだけど、ブームが去ったら、みんな忘れ去られた。 もし、そんな専門的な議論がしたいのなら、カント学者の中島義道が、飯田橋で「哲学塾」というのを開いているから、そこで聞いてみたら? 最近、その「哲学塾」の講義ノートが出版されて読んだけど、その中でサルトルの「存在と無」の対他存在について、一行一行テクストを読んで、聴講生と質疑応答しているのを読んだことがある。 東大の大学院生から一般の主婦まで、職業は様々だけど、大学院生などはドイツ語原文などで読んでいるけど、一般の人々は翻訳書を持参して、それで講義を受けている。 現在でも、「哲学塾」は継続して開催されているのではないか? ネットで調べれば分かるはず。 とにかく、あなたのような専門的な質問に回答できる人間はヤフーにしろ、OKウェイブにしろ、誰ひとりいないということ、それだけは確かです。