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親子は1世、夫婦は2世、主徒は3世について

有名でないかもしれませんが「親子は1世、夫婦は2世、主徒は3世」ということわざが ありますが、夫婦でも離婚した場合や嫌い合っててもまた夫婦になるのは避けられないのですか? また親子もまた来世でも親子になりたいと思っても1世限りですか? 来世があるかどうかはあると仮定して教えて下さい。

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  • phobos
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回答No.3

「親子は一世、夫婦は二世、主徒は三世」 この言葉は、私は落語で聞きました。 生まれ変わりの縁の深さを意味する、というのが一般的な解釈ですよね。つまり 「親子は一世」…親子の関係は、この世限りのもの 「夫婦は二世」…夫婦の関係は、前世と現世あるいは現世と来世にもつながり(縁)があるもの 「主従は三世」…主人と家来あるいは師匠と弟子との関係は、過去から未来までも深い因縁があるもの 封建社会での主従関係を強調するため、と言われていますが、どうなんでしょう。 ただ、この言葉の解釈には江戸時代から異論があったそうです。 石上宣続『卯花園漫録』(文化六年(1809))には、 「世」の漢字は本来「代」と同じ意味であり、 「親子は一世」…親子は取り替えることが出来ない一代限りのものだから一世 「夫婦は二世」…夫婦は相手を取り替えることが出来るから二世 「主従は三世」…夫婦よりも取替可能なばかりか、むしろ望ましいものだから三世 とあるそうです。 > 夫婦でも離婚した場合や嫌い合っててもまた夫婦になるのは避けられないのですか? そんなことはないと思いますよ。 嫌いあったり離婚したりするような相手と夫婦になってしまったのは、前世の因縁でしょうから、現世で因縁は終わり。 来世には引き継がれないと考えましょう。 > また来世でも親子になりたいと思っても1世限りですか? 来世の有り無しにかかわらず、そういうことですね。 なお志ん生師匠の落語では、おまけが付いていて 「親子は一世、夫婦は二世、主徒は三世、間男はヨセ」 おあとがよろしいようで。 (参考:http://rakugo-fan.at.webry.info/201307/article_1.html

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  • kohichiro
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回答No.2

>離婚した場合や嫌い合っててもまた夫婦になるのは避けられないのですか 当然なりません。昔の夫婦は死ぬまで心がつながり合い、あつあつでした(そうあるべきだということです。)。なので来世も一緒になろう、なりたいといえる夫婦が多かったということです。

回答No.1

その解釈はちょっと違っていると思います。 そして字も違っているような? 主徒 ではなく 主従 だったと思います。 昔の封建的な世の中において、親子、夫婦の繋がりよりも主従の繋がりの方が強く重い、ということを表した言葉の筈です。

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