織田信孝ではないでしょうか
天下を横取りしようとする気満々の秀吉にはめられ敗れて捕らわれ
人質の信孝の母、娘もあっさり秀吉は殺しました
信孝の母はかつての主君(信長)の妻妾であり、信孝の娘は主君の孫娘にあたり
普通の武将なら殺すのは躊躇するのですが…
全て秀吉の謀(はかりごと)と分かり切腹するとき
「昔より主を討つ身の野間なれば報いを待てや羽柴筑前」
と深い恨みの辞世の句を述べて腹を割いて中の臓物を投げつけたといわれています
先日の黒田官兵衛のドラマでは羽柴寄りの物語なので秀吉のネイティブなエピソードは全て削除されてましたが
秀吉は
浅井長政とお市の嫡男で幼い万福丸を串刺しに
(お市が信長を恨まず、秀吉を終生憎んだのを見ても秀吉が首謀で信長には事後承諾であることが分かります)
播磨では
小寺の家臣である官兵衛と別所の当主の叔父にあたる重宗を引き抜き両家の感情を逆撫でし
福原城、上月城で宇喜多勢を破った時には
城兵の命乞いを受けず、男は全て首をはね
城内の女子供200人全てを
子供は串刺しにし、女は磔にして宇喜多の備前国境沿いに見せしめにさらしました
秀吉に臣従した宇喜多直家没後は幼い嫡男秀家のお家存続をネタに直家の妻であったお福を無理矢理手籠めにしました
このような残虐で冷酷な所業全てを知っていれば
信孝も慎重に対応したことでしょう
信孝を殺し、信長の二男信雄を蟄居させ天下取りに成功した秀吉の晩年
夢に信長が出てきて
「貴様、儂の息子たちに…」
と刀を振りかざし鬼の形相で迫ってきたのに対し
尿を漏らし狼狽しひたすら命乞いする寝ぼけた秀吉を前田利家が介抱したと伝えられています