前方後円墳の前方部の役割については定説がありません。
出土品も古墳によってまちまちです。
弥生墳丘墓と呼ばれる前方古円墳よりも古いとされている古墳に張り出し部分が付いているものがあります。
これはおそらく葬送などの儀式の際に使われた祭壇ではないかとされています。
この観点から推定されているのは、後円部に埋葬する石室を設け、それに対する参道が巨大化したのではないのかと考えられています。
古墳には埴輪が沢山装飾的に配列されていますが、なかでも形象埴輪(家形埴輪、器財埴輪、動物埴輪、人物埴輪)との関係が注目されています。
中国の巨大墳墓には兵馬俑とよばれる、人物像などが副葬品の形で埋葬されていますが、日本の場合には石室内の副葬品は鏡や剣など身の回りの物のみです。
石室外の周辺部から形象埴輪(家形埴輪、器財埴輪、動物埴輪、人物埴輪)が沢山出土しています。
これは、中国の神仙思想の影響で、亡くなった首長に対する供献物の性格を継承しながら、墳丘内に埋葬された首長霊の依代、もしくは首長霊の所在を示す形代(かたしろ)として、配されたものではないかと考えられています。
詳しくは下記のサイトを参照ください
日本の古墳に配列された形象埴輪と中国の明器と俑 - 明治大学
www.kisc.meiji.ac.jp/~jkodaken/jpn/activity/publication/pdf/...
これ等の埴輪を参道の周辺に設置する必要から弥生墳丘墓の張り出し部分が巨大化していったのではないのかとも考えられています。
ただし、古墳によっては前方部にも石室が設けられていて、埋葬したことが確認できるものもあるために、この説明では説明できない部分が出てきてしまいます。
形象埴輪は前方後円墳の消滅と同時に消滅していますので、何らかの関係があったことは間違いはないでしょう。