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古墳が自然の尾根や丘を削って作られたとされるのなぜ

前方後円墳はいろんな方向を向いています。 なぜいろんな方向を向いているのかといえば 自然の地形を利用して、尾根や丘を削って作ったためだとされているようです。 尾根や丘を削って作られたと考えられるのはなぜでしょうか。 前方後円墳は尾根を中心軸として作られていることが、確認されているのでしょうか。 前方後円墳が尾根や丘を削って作られたということがわかる図など ありましたら教えてください。

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noname#247150
noname#247150
回答No.4

No.2です。 肝心のご質問の答えがありませんでした   >尾根や丘を削って作られたと考えられるのはなぜでしょうか。   これがご参考になるかも。 http://near.nara-edu.ac.jp/bitstream/10105/355/3/kobunkazai4_15-17.pdf もちろん葺石等は山麓から運んで積み上げていますが、

noname#190665
質問者

お礼

わーー、ありがとうございます。 貼っていただいたサイトは大変参考になりました。 古墳の向きは、地域の浸食方向に一致すると書いてありますね。 これらを具体的に示す図もあり、たいへんわかりやすいです。 何度もありがとうございました!

その他の回答 (3)

noname#247150
noname#247150
回答No.3

No.2です。 逆に詳しくご教授いただき恐縮です。 前記内容はかなり以前に読んだ、高橋学先生という方の論説の一部の受け売りです。この方は考古学者というより、防災学や自然災害の研究がご専門のようですが‥‥ ビジュアルというのはあくまで私見です。当方が低い位置から見て、古墳が最も尊大に見えるのは側面、それもやや前方から見た側面と思っています。当方は主に関東の古墳を見てきましたが、大型古墳は当時の交通幹線に対してほぼ平行につくられているように見受けられます。それが海岸であったり、旧河川であったり、文献による古道であったりします。特に関東の水系は今とはかなり違っていたので、水系を利用した来訪者にその位地から見せられるようなレイアウトが考慮されたと思っています。 前方部をどちらに向けるかは、どちらからその地に入ってくるかがおおきなファクターではなかったか、 もちろん自分が見たそれほど多くない古墳でさえ、すべてあてはまるわけではありません。しかし古墳が時期を追うごとに、前方部が巨大化していくことと、この見せる方角がなんとなくリンクしていると一人で愚考し納得してしまっている次第です。 たとえばケルンバットの制約がある初期の大ヤマト・柳本古墳群なども、古代の人々がいたであろう纏向遺跡や唐古鍵遺跡の方角から見ると、この条件に近いものになるのではないでしょうか。たまたま自分が歩いたルートがそうだっただけかもしれませんが‥‥

noname#190665
質問者

お礼

何度も回答をありがとうございます。 >逆に詳しくご教授いただき恐縮です。 えっ?教えていただいてるのは私で、私は疑問点を書いただけですが? もしかして文章がえらそうでしたか? そうであったならすいません。 高橋学先生という方の論説なんですか。 防災学や自然災害の研究がご専門なのですね。 案外、専門家でない方の方が、違った角度から見ることができるのか 筋の通った論説を展開されるケースも多いと思います。 それはつまりものごとを解明する際に、視点の多様さが必要とされるということなのかな、と思っています。 ビジュアルというのは回答者さまのご意見なのですね。 貴重なお考えを聞かせてくださりありがとうございます。 >当方が低い位置から見て、古墳が最も尊大に見えるのは側面、それもやや前方から見た側面と思っています。 なるほど、そうかもしれません。 しかし、私は仁徳天皇陵を見にいったことがあるのですが 大きすぎてただの山にしか見えないのです。 堺市役所21階展望ロビーから見てもやっぱり山にしか見えませんでした。 もっとも作られた当初は貼石がめぐらされていたりして 見る人を驚かせる効果はあったと思います。 ただ、形についてはわからなかったでしょうね。 >当方は主に関東の古墳を見てきましたが、大型古墳は当時の交通幹線に対してほぼ平行につくられているように見受けられます。それが海岸であったり、旧河川であったり、文献による古道であったりします。特に関東の水系は今とはかなり違っていたので、水系を利用した来訪者にその位地から見せられるようなレイアウトが考慮されたと思っています。 おー、そうなんですか。 私は関東には行ったことがありませんで 友人が関東の古墳はおもしろいよ、というので ぜひ見に行ってみたいです。 >前方部をどちらに向けるかは、どちらからその地に入ってくるかがおおきなファクターではなかったか、 なるほど~、参考にさせていただきます。 http://toki.mikosi.com/page026.html ↑ この方は古墳の向きは方位暦で命日をあらわしているとおっしゃっています。 ただ、仁徳天皇陵は生前より作ったという記述があり 生前に命日はわからないので、どうしたのかなと思ったり また被葬者が誰だかわからない古墳がほとんどなので 検証が難しいですよね。

noname#247150
noname#247150
回答No.2

初期の大型古墳はケルンバット(断層突起)を利用して作られているものが多いといわれています。 http://www.geocities.jp/moriyamamyhometown/moris9.htm http://inoues.net/tenno/jingu_kogo.html 断層面に発生した尾根の一部を作ります。奈良県の初期の大型古墳や吉備の大型古墳はこのタイプですね。規模の割には築造の労力を抑えられる点では、日本のものづくりの真骨頂だと思います。当然向きは地形に左右されます。古墳については現在の測量図に匹敵する設計図があったとされています(地方の有力古墳の多くは、同時期のヤマトの古墳のスケールモデルです)が、方角についてはピラミッドのような絶対必要性はなかった(薄かった)ようです。 中期になると更新世段丘を利用して作られるようになりました。 大阪にある大型古墳の多くが当てはまります。 断層突起による立地の限界もあるでしょうが、削って均す土木技術から、掘って盛り上げるより高度な技術若しくはその労力が可能になったとみられます。 更新世段丘を利用した古墳だと、大きさや方角に大きな自由度が加味されます。 私見ですが、更新世段丘につくられる古墳の向きは、宗教や信仰的要因よりも、ビジュアル的要因が多いと思います。 現在の立地で見るとわかりづらいですが、大型古墳の多くが、当時の海岸線や大河川・湖沼上からもっとも威容を見せつける方向につくられています。 話がそれましたが、古墳の方向や立地の変化はビジュアル的要因だと思います。

noname#190665
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >初期の大型古墳はケルンバット(断層突起)を利用して作られているものが多いといわれています。 ケルンバットという言葉は初めて知りました。 独立(分離)丘陵を断層突起(ケルンバット)などと呼び山体より標高は低いが独立しているためしばしば古墳築造に利用され、又後には山城、砦などが造られる事もありました。 http://www.geocities.jp/moriyamamyhometown/moris9.htm と書いてありますね。 その横には古墳群を空撮した写真がありますね。 このあたりは何度もでかけたことがあります。 が、これらの古墳が断層突起(ケルンバット)を利用してつくったものであり 他から土をもってきてつきかためて作ったものではないとわかる 理由を知りたいです。 http://inoues.net/tenno/jingu_kogo.html こちらのほうは尾根とつながっているように見えるので納得なんですが。 >当然向きは地形に左右されます。 それは理解できますが 前方部が北をむいたり南をむいたりしているのはなぜなんでしょうか? 微妙な角度は地形による制限があってやむをえないとしても せめて前方部をだいたい北を向くように揃えるとか そういうことをしてもいいと思いますが。 >方角についてはピラミッドのような絶対必要性はなかった(薄かった)ようです。 そういわれているようですね。 その理由は、古墳が尾根や丘を利用して作られており、 ばらばらな方角を向いているところからそう考えられているのだと思います。 しかし日本人は方角をたいへん重要視する民族でした。 寺院や神社は東西南北をきっちり計算してたてられています。 方角を重要視するというのは、道教の影響ではないでしょうか。 巻向遺跡は邪馬台国の遺跡ではないかといわれていますが 大量の桃の種が見つかり道鏡の影響をうけたものではないかといわれています。 とすれば古墳時代からすでに日本人は方角にこだわる民族であり 方角にこだわった結果、あのようなバラバラな向きの前方後円墳が作られたのではないか、と考えてしまうのですが。 また尾根や丘を利用するといっても、造りたい向きの古墳に適した尾根や丘を選ぶということもできるのではないかと思います。 >中期になると更新世段丘を利用して作られるようになりました。 更新世(こうしんせい、Pleistocene)は地質時代の区分の一つで、約258万年前から約1万年前までの期間。第四紀の第一の世。この前の鮮新世と合わせてPlio-Pleistoceneとして扱われることもある。更新世のほとんどは氷河時代であった。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B4%E6%96%B0%E4%B8%96 より引用 大阪にある大型古墳の多くが更新世段丘を利用してつくられているというのは、どこからわかるのですか。 >大型古墳の多くが、当時の海岸線や大河川・湖沼上からもっとも威容を見せつける方向につくられています。 もっとも威容を見せつける方向とはどのような方向でしょうか?

回答No.1

●尾根や丘を削って作られたと考えられるのはなぜでしょうか。 ○初期の古墳や群集墳などは実際に丘陵状に築造されているからです。  中期以降や平地に築造された古墳だと地形に左右されずに古墳の向きが決められている可能性もあります。 ●前方後円墳が尾根や丘を削って作られたということがわかる図など ○詳細な地形図で確認できます。  「古墳 地形」で画像検索すれば相当数ヒットします。

noname#190665
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 こういうやつでしょうか?http://travel.biglobe.ne.jp/tguide/spot/s12189.html http://www.city.anjo.aichi.jp/shisei/shisetsu/kyoikushisetsu/maibun-sites-futagosz.html http://murata35.chicappa.jp/hosinomati/kohun/morikohun/index.htm しかし、 http://www.pref.osaka.jp/bunkazaihogo/bunkazai/sekaiisan.html 上のような平野部は尾根や丘を削って作られたのかどうかよくわかりませんね?

noname#190665
質問者

補足

>中期以降や平地に築造された古墳だと地形に左右されずに古墳の向きが決められている可能性もあります。 どういう理由で古墳の向きが決められたのでしょうか。 また尾根や丘を利用して作られた古墳であっても 古墳の向きには何か意味があって それにあう地形を探したということも考えられるのではないでしょうか。

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