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ヤマト政権の統一と前方後円墳
邪馬台国~ヤマト政権成立まで、倭国では戦によってクニが絞られて 統一が果たされたと思うのですが、邪馬台国以降に造られ始めた巨大な 前方後円墳の建造を行いながら、各クニは戦ができたのでしょうか?
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>邪馬台国=ヤマト政権が否定されつつある今の状況を考えると、 誰がそんなことを言っているのです? >ヤマト政権の成立年代を、卑弥呼が亡くなった直後くらいに早める 実際そうなっていますね。これはもう確実でしょう。 それを邪馬台国に当てるかどうかは別にしても。 箸墓の年代はいまやどんなに遅くても280年前後です。 そこに埋葬されている王はそこに埋葬される前に20~30年は生きているのですよ。 250年前後にさかのぼるのは動きません。
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- oska
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>邪馬台国以降に造られ始めた巨大な前方後円墳の建造を行いながら、各クニは戦ができたのでしょうか? 出来たのです。 戦いは、年中無休で行なっている訳ではありません。 戦の無い時期もあります。 この時期に、奴隷としてた敗軍・敗戦国の住民を用いて墳墓造成を行ないます。 戦闘中も、敵国捕虜には労働を科しています。 味方として参戦させると、寝返りがある可能性がありますからね。 時期的な事を無視すれば・・・。 大仙古墳(伝仁徳天皇陵)は、大林組の1986年当時の(当時の工法での)見積りでは・・・。 工期:15年八ヶ月。 延べ作業員:660万7000人(一日最大2000人)。 総工費:796億円。 この見積りを基準にすれば、邪馬台国時期の墳墓造成が当時の大事業であった事がわかりますよね。 クニの王は、生存中に自分の墓を造る必要がありますね。 こう考えると、墓を造成しながら戦いが出来たの?との疑問も確かに思いますね。 余談ですが・・・。 大仙古墳は、未完成の古墳との説もあります。 墳丘の等高線が、ばらばらなのです。 確かに、前方部の拝み所前は、等高線が揃っています。 が、ここは「明治政府によって、整備した」事が記録にあります。 また、拝み所そのものも幕末に「江戸幕府の命によって、新規整備」したものです。 一番不思議なのは、「墳丘には48の谷があり、清水が湧き出ていた」との記録がある事ですね。 人工的に造った墳墓なら、清水は湧き出ません。 自然の山を削ったが、何かの原因で中止になった!可能性があります。 堀の水も、明治初期まで農業用水として使っていましたからね。 前方後円墳=邪馬台国・ヤマト政権と考えるのは、今では???が付く様になりました。 韓国の国定教科書の「前方後円墳は、朝鮮半島から伝播した」とは、言いませんがね。 この不思議な教科書では、製鉄・生け花・茶道だけでなく火薬・稲作も朝鮮半島から近隣諸国に伝わったらしいです。(爆笑)
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回答ありがとうございます。 「この時期に、奴隷としてた敗軍・敗戦国の住民を用いて墳墓造成を行ないます。 戦闘中も、敵国捕虜には労働を科しています。」 の部分は、なぜ分かったのですか?日本書紀や中国の歴史書でしょうか? また、古墳造営を達成するための敵国捕虜となると、相当な人数になると思うのですが、 管理や養っていくのは大変だったのではないでしょうか? さらに質問してしまって、すみませんが、もし分かるものがあれば、再回答お願いします。
この時代のことは明らかになっていないことが多いので、断言はできませんが…。 巨大な墳墓を作ることができる権力者が現れたからこそ、クニ同士の戦が起きるようになったとも言えるのではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 日本の戦国時代に当てはめて考えると、隣国と緊張状態にあるのに、数千人という人員と 数年~数十年という時間をかけて古墳造りなど、していられたのか?ということです。 仮定に仮定を重ねてしまいますが、邪馬台国の卑弥呼の墳墓とされる「箸墓古墳」も 全長150Mくらい巨大な前方後円墳だったと思いますが、当時、邪馬台国は狗奴国と 戦をしていました。これだけ巨大な前方後円墳ですので数年かけて建造したと思います。 それを考えると、やはりなんらかの方法で戦と巨大墳墓建造を両立していたのでしょうかね・・・
- hitokotonusi
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ヤマト政権成立後、巨大な古墳が造営されて行ったと考えた方がいいと思いますよ。 100m規模の古墳の出現は邪馬台国とほぼ重なりますしね。
お礼
回答ありがとうございます。 邪馬台国~ヤマト政権(倭の五王)の間、約160年間について中国の歴史書には、 倭国についての記述がありません。 少なくとも卑弥呼が亡くなったころから前方後円墳は造られ始めているので、 邪馬台国=ヤマト政権が否定されつつある今の状況を考えると、 ヤマト政権の成立年代を、卑弥呼が亡くなった直後くらいに早める 必要があるのではないでしょうか? 質問ばかりで、すみません。
お礼
返事が遅くなって、すみません。 新しい情報が得られ、さらに興味が持てました。 ありがとうございました。