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全ての文化は、人間とはなにか? 自分とはなにか?
全ての文化は、人間とはなにか? 自分とはなにか? ということに進んでると思いますか?
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NHKの「世界遺産100」のタイトルテロップ『我々は どこから来たか 我々とは何か 我々はどこへ行くのか』 を思い出しました。 私は文化とは『社会組織(年齢別グループ、地域社会、血縁 組織などを含む)ごとに固有な「慣習」とか「価値観」』 と考えます。例えば「若者文化」とか「上方文化」とか 「王朝文化」とか。 そして、それぞれが歴史を重ねてくると、だんだん「らしさ」 を要求してくることが多いでしょう。 『「らしさ」の要求』は往々にして、むしろ『集団への依存、 自分の埋没』につながります。そうすると「人間とは何か? 『自分』とは何か?」という自答には繋がりにくいのではない でしょうか。
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- suzumenokox
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世の中の進歩に伴って次第に文化というものの軸がはっきりしてきて、現代ではさらにその先に「人間とは何かということを中心に膨らんできているのではないか」という気がします。
- kohichiro
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むしろ逆でしょうね。 文化 → 虚栄の市 >人間とはなにか? 自分とはなにか? これは哲学的のテーマの一部です。文化の一部ではなく人間の心に入っていくということでしょう。 もちろんそのためのツールである言語の構築と洗練は文化(というより文明)に貢献したということはあるだろうと思います。
- nacci2014
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思いません。 文化とは同人サークルの 歴史的なつながりですよ
- rex33
- ベストアンサー率11% (15/135)
いいえ・・・未来に目を向けてると 何時まで経っても その答えは出ません 何故なら・・・素の 不変な愛が 何かの拍子に 憎悪に変わった 不変だから 良心は素からあるものなので 憎悪が くっついた と言った方が正解かな そして そのくっついた憎悪を持ったまま 命のタスキリレーが始まった 基の本来の生きて行く意味が分からなくなったのは その為 なので それを 取り除かないと 本来の人間の姿が判らないのです いままで どんな修行者も 未来の道を目指してた それが失敗の原因 過去に遡る事で 初めて見えるものなのです