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思い違い

  無の潜在としての認識可能性において、その不完全性による階層現象表面的定性化(いい加減さ)によって、存在的有限性が生じる時、人間精神は宇宙の法則から自由であるなどと思い違いをするが、本質的にはそれはただの幻想にすぎない。 思い違いだよね。    

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回答No.3

>思い違いだよね。 そう。人間精神の自由は思い違い。 たとえば、誰かが殺人を犯した場合。正しい人間精神から逸脱した精神は、もはや正しい人間の精神ではないのだよ。それを誤った人間精神などと、人間精神の中にもぐりこませて自由を幻想する。人間は誤ちうるものだ。と。 そうじゃないのだ。あやまつならそれは人間精神ではないのだ。そういう人間精神もどきを自己精神から取り除いていくことが正しいに人間のあり方だ。

hitonomichi34
質問者

お礼

  ありがと。   

その他の回答 (4)

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.5

人の道様、こんばんは。 >「人間精神は宇宙の法則から自由であるなどと思い違いをするが、本質的にはそれはただの幻想にすぎない。」 >「思い違いだよね。」 思い違いですかね?

hitonomichi34
質問者

お礼

  >思い違いですかね? それって回答のつもり。 ?気持ち悪いからやめてくれんか。     

回答No.4

すみません。先ほどの回答、訂正します。 誤 正しいに人間のあり方だ。 正 正しい人間のあり方だ。 ついでに、補足。 人間精神が宇宙の法則から自由でないから、人間精神は正しいことしか行えなくなる。非人間精神が宇宙の法則から自由でないから、非人間精神は正しくないことしか行えなくなる。この二つの精神が分離できるかどうかも宇宙の法則によるのだろう。 >無の潜在としての認識可能性において、その不完全性による階層現象表面的定性化(いい加減さ)によって、存在的有限性が生じる時、 ここは意味が分かりません。

回答No.2

君は口から泡お吹いている。 寝言だ。 却下だよ。 そんなんじゃ、教祖様失格だね。 自分で耕せ。 深く掘り過ぎたその穴は、君自身の墓穴だ。 上から目線で、穴埋めしてやる。 ドリル番長。 君の墓穴を埋め戻す。 君は男の肛門にドリルしてんだ。 君の損失を補てんする穴埋めは天文学的経費がかかる。 その位君の借金は大きい。 俺様が金貸しだ。 君は奴隷の身分から、市民に昇天することは、その人生においてないだろう。 今生は捨て、転生というありえない奇跡に期待したまえ。 君自身である事をやり直せないよ。 ケラケラ。

回答No.1

 こんにちは。  ★ 無  ☆ の定義によります。  ものごとが有ると言っても やがて移ろいゆきます。かたちを変えて行きます。前の状態では無くなります。  つまり モノが有から無になるとは じつは 一般にそのように別のかたちに成って有ることです。  コトはすっかり無くなります。意識や記憶に残っているのは 有か? これが 有ではなくても コトが起きて無くなるというときの無は それでも 移ろいゆくたぐいの有であり無であることになります。  これらのモノゴトはすべて 時間的空間的にけっきょく朽ちてゆく経験世界に属します。  では 質問における《無》とは どういうものなのでしょう?  これが ひとつの問い返しです。  ★ 存在的有限性が生じる時  ☆ と言っても この《有限性》が 《無を潜在させている》と言うなら――言っているのですから―― やはりその《無》とは何かを明らかにしなければ 問いそのものが成り立ちません。  ★ 階層現象表面的定性化  ☆ の結果 限りある時空間を生きるに過ぎない存在が現われているわけですが もしそうだとすれば そのこと自体が 逃れられない世界の摂理なのではないのですか?  摂理から――つまりは 人間の置かれた条件から――逃れられないことが 神の支配だと見るのか。  それとも 摂理を受け留め受け容れ引き受ける精神のチカラを 自由と見るのか。    つまりこの自由をむしろ神があたえたと受け留めるか。  しかもこの自由には 摂理とともにあゆむ自由とチカラとが めぐみとして与えられ〔てい〕る。かも知れません。  

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