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水・お茶・酒以外の選択肢は何時代からですか?

ジュースや珈琲・紅茶など水・酒・お茶以外の飲み物を 庶民でも気軽に飲めるようになったのはいつからですか? 味噌汁などスープ類・汁粉・うどんのだしなどは飲み物扱いとしない

みんなの回答

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11073/34515)
回答No.3

皆さん、サイダーをお忘れだと思うのですよ。 我が国にサイダーが伝わったのは、あの黒船がやってきたときのようです。その後、明治32年に発売された「金線サイダー」が全国に普及するきっかけになったようです。「三ツ矢サイダー」は明治17年に発売されたようです。 今でも全国各地に「ご当地サイダー」がありますよね。戦前にルーツが求められる歴史あるものも多いようです。 サイダーとなると気になるのがラムネで、ラムネは明治5年に作られ始めたようです。えっ、大政奉還のたった5年後には作られてたんだ!?いやはや。 そこらへんから考えると、いわゆる一般市民がラムネやサイダーを口にすることが増えてきたのは、大正時代あたりと考えるのが自然かなと思います。ただ、戦前はサイダーはやっぱり「贅沢な飲み物」ではあったようですよ。戦争中はエリートである戦闘機パイロットに優先的に配給されたようです。 コーラは戦後に進駐軍によって広まりました。私が子供のとき(昭和50年代)はコーラ、オレンジジュース、サイダー(ラムネ)くらいじゃなかったかなあ、清涼飲料水ってのは。ああ、カルピスもあったか。でもあれは自分で水で薄める必要があったから、外ではなぜか飲めませんでした。 じゃあそのサイダーの世界史は、と思ったのですが、ドイツやフランスでの発泡果実飲料は、シードル(発泡リンゴ酒)に代表されるようにお酒だったみたいです。 「酒じゃないやつ」となると、アメリカの各家庭で作られていたリンゴサイダーまではたどり着けました。これがノンアルコールサイダーのルーツに近いのではないかなと思います。どちらにせよ、いいとこここ200年くらいじゃないかってところですかね。 コーヒーの歴史は結構古いらしくて、ヨーロッパで普及するようになったのはオスマン・トルコがウィーンを包囲して大量のコーヒー豆を残して撤退し、それを使ってウィーン初のカフェが始まって(1686年)・・・だと思っていたら、1650年にイギリスにもうカフェができていたようです。つまりヨーロッパでは17世紀からとなりますね。 オスマン・トルコ軍が残した、とあるように中東では以前からコーヒーは飲まれていました。それ以前となるとルーツは曖昧になるようで、9世紀とも13世紀ともいわれていますね。ちなみにコーヒー豆はアフリカ原産です。

  • kusirosi
  • ベストアンサー率32% (2838/8859)
回答No.2

 ジュースを、いつでもどこでも庶民でも気軽に飲めるようになったのは 世界でも、1938年(昭和13年)に米国の科学者、フランク・バヤリーが果汁の風味・香りを損なわないで 長期間保存できる殺菌法を開発し、バヤリース・ブランドの果汁飲料を発売してからです。    日本では、それまで、進駐軍向けに輸入果実原料にライセンス生産されていたバヤリースの販売権を 昭和26年に朝日麦酒が取得、全国販売開始してからですね。 (ただし、バヤリースでは果汁100パーセントの今日、ジュースと表記できる商品のシェアは、低く、 その意味では、昭和27年、国産原料100パーセントの愛媛のポンジューズが発売されてからです) ( ^^) _旦~~ zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (816/3045)
回答No.1

浅学で詳しいわけでもありませんたつらつらとネットで調べてみました。 まずお茶ですが、江戸中期、1700年くらいには庶民が飲めるようになっていたらしいですね。(『本朝食鑑』) ただ慶安御触書に出てくることを考えると、あからさまに江戸初期には高級嗜好品として流通し問題となっていたことがうかがわれます。 そしてジュース・・・と言えるかどうかわかりませんが砂糖水が江戸で飲まれるようになったのが、1713年に薩摩が江戸で黒砂糖を売るようになってからでしょう。 紅茶ですが、日本で紅茶が最初に輸入されたのが明治20年(1887年)らしいですね。 そして庶民が飲めるようになったとなると・・・おそらく日東紅茶の前身三井紅茶の発売の1927年ではないでしょうか? コーヒーですが、18世紀には出島長崎には多少は入っていたようですが、国内では流通してなかったらしいですね。 明治からコーヒーの輸入ははじまっていたもののなにをもって庶民が飲めるというかはこれまた難しいですが、 wikipediaのコーヒーの歴史を見ると ブラジル移民政策を推進した実業家・水野龍は、ブラジル政府から功績を顕彰されて5年間のコーヒー豆の無償給付を受け、1913年に日本にカフェーパウリスタを設立する これが庶民普及のきっかけのようです。

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