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琉球から明に対する朝貢

1500年前後に琉球から明に対する朝貢がそれまでの二年一貢から一年一貢へ変わると思うのですが、そのあと、明の武帝が没し、嘉靖帝の時代になると再び二年一貢に戻されてしまいます。それはなぜなのでしょうか。 教えてください。よろしくお願いします。

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  • fujic-1990
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回答No.1

 ご存じかと思いますが、朝貢されると気分はいいのですが、中国王朝の経済にとっては「大損失」なんだそうですよ。  持ってきた献上品の数倍の財貨を与えて、王朝の力を誇示しないといけないので。  それで、王朝の力が充実して経済も安定しているときは「毎年来い!」という話になりますが、力がなくなると「2年に1度来るだけで許してやる」(実態は、頻繁には来ないでくれ~)という話になりました。  明の歴史では、「土木の変」を契機に消極的な対外政策をとるようになり、嘉靖年間になると「北虜南倭」とよばれる一連の外民族の侵攻により、さらに苦しむことになりました。  で、与えるに際して、先立つものがない!  ということで、2年に1度の朝貢でOKになったものと思われます(財政的に苦しいから来ないでくれと伝えた、などと史書には書いてないので、推測するしかない)。

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