国内的には国民に服属してきた外国使節を見せる事で皇帝の徳の高さを示し、また皇帝の権威を高めるという目的がありました。
対外的には敵を減らし味方を増やす事で、四方から異民族に攻められたり、国内が戦乱で荒れ果てる事を阻止するメリットがありました。
明の使者が日本を訪れ、明の建国と日本の服属を求めた時、倭寇の取り締まりも求めています。当時は明の沿岸を倭寇が荒らし回っており、明にとり大きな問題となっていました。
また、日本との朝貢貿易では、日本の輸出品は硫黄、銅、刀剣等です。
硫黄は火薬の原料です。硫黄は戦争の絶えない明にとり必需品でした。
明の永楽帝は北方のタタールやオイラートを叩く為に、5回も親征していますし、内乱もありました。
こうした戦いに明軍は火器を大量に使用しました。火器が中国の軍において大量に装備されたのは明の時代からだという説もあります。
大量の火器を使用する為には、大量の火薬が必要であり、その原料として硫黄も大量に必要でした。
勘合貿易においても主要な輸出品は硫黄でした。
つまり明は日本と朝貢貿易を始める事によって、倭寇の脅威を抑えて沿岸部を安定させる事を望み、そして戦争に必要な硫黄の流通先を確保する事に成功したのです。
明は硫黄の調達の為に日本と貿易したという説もあります。
朝鮮が成立したのは1392年であり、すぐに明に服属しています。この頃より50年間で朝鮮は朝貢貿易で明に馬を4万頭、牛を2万頭も朝貢しています。
この頃は、前述したように永楽帝がタタールやオイラートを叩く為に親征していた時代でもありましたし、親征以外にも軍の遠征がありました。また国内では内乱もありました。
朝鮮が北方民族と結びついて敵に回らないようにするだけでも大きなメリットがありました。
そして戦争している明にとり朝鮮から朝貢される大量の馬は大いに役立ったでしょうし、内乱で荒れた土地を耕したり食料としても牛は大変役立ったでしょう。
朝貢貿易において明から日本に送られたものは銅銭、生糸、絹織物などでした。
特に生糸や絹は高級品であり、明は朝貢に来た国への主要な送り物としていました。そしてそれはどこの国でも喜ばれました。
また、明に来た使節には国に送られる品とは別に、金や銀が与えられ、その金、銀で使節は明で色々な品物を買い付け本国に戻ってそれを売却し利益を上げたという話です。
ちなみに琉球では朝貢貿易で、赤の染料となる蘇木や夜光貝、宝貝という貝や、刀、銅、硫黄を送っていたそうです。
チベットの国々(当時チベットでは小国が乱立していました)では、馬、ヤクの毛織物、甲冑、仏画や宗教系の用具などを送っていたそうです。
また明は鄭和の艦隊を南海に送り出しています。鄭和の艦隊は遠くアフリカにまで到達していますが、それにより色々な国と朝貢貿易する事になり、明にとって珍しい動物を送られています。
マリンディ(現在のタンザニアあたりにあった国)からはキリンが送られ、その首の長い珍しい動物に人々は驚いたそうです。
モガデシオ(現在のソマリアにあった国)からはシマウマとライオンが送られ、ブラワ(この国も現在のソマリアにあった国)からは駱駝とダチョウが送られ、ホルムズ(現在のイランにあった国)からは、ヒョウ、アラビア産の馬が送られたそうです。