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鎌倉時代の自決
先日のNHK大河ドラマで、関白が天皇の前に出て腹切りをするシーンがありました。で、そこへ渡部篤郎(sp)が出てきて、「介錯つかまつる」とか言って後ろから刺し殺す。 もちろん、「介錯」は自決を助けただけで殺しにはならないわけですが。 で、質問は、これって時代考証としては合ってるんでしょうか。身をもって何かを訴えるために公の場で切腹するとか、「介錯」するとかって、鎌倉時代にあった習慣だったのでしょうか。ついでに聞くと、上記のエピソードは史実、それとも全くのフィクション? 単なる好奇心からの質問です。
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切腹&介錯というのは「武士」が力をもち始めた、鎌倉時代の直前くらいから有ったのではないでしょうか?何かを訴えるというよりは武士としての死刑の方法として、「名誉ある?死刑」として。 参考URLにあるようにきちんと場所をしつらえて、辞世の句を読むような儀式化したのは江戸時代からのようです。 初めての切腹は13世紀とか。このころは介錯なしの立腹などで、相手に対する反抗の意思表示だったようです。 大河ドラマは残念ながら見ていなかったので史実に基づくかは判りませんが、切腹と介錯というのは、北条氏に権力の移る前からあった習慣ではあるようで、「炎たつ」で有名な安部氏や藤原氏も、源氏との戦の中で随分切腹しているようですので時代考証としてはいいのかな?と思います。
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- shoyosi
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フィクションです。あの関白は近衛基平ですが、公の場で死んだという記録はありません(あれば大事件です)。そのほかの、歴史上の事実については、下の掲示板が詳しいです(過去ログを含めて)。
お礼
ありがとうございます。
- onamomi
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「切腹」という行為が武士の間で盛ん(?)になったのは鎌倉・室町時代のことだそうです。 大河ドラマを見ていないので(関白が誰なのかわからないので)史実かどうかはわかりませんが、 時代考証としては問題ないでしょう。 なぜあのような効率の悪い自殺方法が定着したかですが、 魂というものは腹の中に宿っていて、そこを切って開けば死に直結するだろうという考えからだそうです。 加えて、即死できるはずも無く相当な痛みを伴いますから 武士にのみ可能な勇壮な死に方と考えられていたようです。 とは言ったものの、実際苦しいし、のた打ち回ったのではかえって見苦しいので 「介錯」という方法が出てきたんでしょうね。
お礼
ありがとうございます。
お礼
どうもありがとうございます。納得しました。