• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:自殺は悪いことなのか?)

自殺は悪いことなのか?

このQ&Aのポイント
  • 過去の時代には自殺行為が正当化されていましたが、戦後の日本では自殺は悪いこととされています。
  • 自殺は宗教によって肯定や否定の立場が異なりますが、現代の日本では生きることがつらい人も増えています。
  • 自殺を肯定し、促進するための枠組みを作ることで悲しみに対するハードルを乗り越えることができるのではないかとも考えられます。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.2

>切腹や自決といった自殺行為が正当化されていました 自決は、「捕虜になるくらいなら死ね」ということであり、いってみれば死の強要です。「死にたい人を死なせないのは悪いことなのか」というのなら、「死にたくない人に死を無理強いすること」はどうなんでしょう。だから、戦争中の自決と現代社会の自殺は同じにしちゃダメです。 また、昔の武士の切腹は「名誉」と深く関わっていました。切腹をすれば名誉が保たれたのです。例えば、藩の金に手をつける公金横領がバレた場合、切腹をすれば武士としての名誉が保たれ、場合によっては本人は死んでも子供は武士の地位が保たれたりしました。また、とても重要なことですが、切腹をしたのは武士だけで、町人や農民は切腹なんてしませんでしたよ。 お隣の韓国は、世界一の自殺率だそうです。女優さんが自殺したなんてニュースはしばしば届きますし、プロ野球のジャイアンツにいたチョ・ソンミンさんも自殺してしまいました。 その自殺率世界一のお隣の国、羨ましいですか?私はそう思いません。生きづらい社会なら、その社会をなんとかしなきゃいけないわけで、「生きづらい社会だから、死にやすい社会にしよう」というのは本末転倒です。 そもそも生きとし生けるものは細菌から植物から動物に至るまで、「生きたい」という本能を根本的に持っています。というか、それでなくても地球上の生物の99%は絶滅しているわけですから、この「生きたい」本能が弱い生物は容赦なく絶滅に追いやられ、「生きたい。なにがなんでも生き延びたい」という生物だけが生き残ってきたのです。 つまり、そんだけ本能の根本に「生きたい」があるはずなのにそれが機能しなくなったというのは、それが「異常な状態」なんですよ。病気だと言い換えてもいいかもしれません。 病気で亡くなる人がいますが、いずれ人間いつかは死ぬのだから病気を治療するのはバカバカしいとは思わないでしょう?治る方法があるなら、治した方がいいに決まっています。うつ病が原因で自殺する人がいたならば、大切なのはそのうつ病をいかにして治すかであり、いかにして死にやすくするかではありません。 最近、駅のホームにホームドアがつくようになりました。ホームの端に青色のLEDが光っているところもあります。なんでも、ホームの端に青い光があると人間落ち着いて自殺する気が失せるとか。実際に、自殺者がひんぱんに出ていた駅で青色LEDをつけたら自殺者がいなくなったそうです。 またホームドアも、高さはせいぜい120センチくらいで、大人なら乗り越えられないことはありません。そんなに「なにがなんでも死にたい」のであれば、簡単に乗り越えられます。だけど、ホームドアを設置した駅では確かまだ自殺者は出ていなかったはずです。 青い光があったり、1mちょっとの壁があったり、そんな程度の障害で人は簡単に自殺を思いとどまってしまうんです。つまり、死にたい願望なんてのはその程度なんですね。 かくいう私も若い頃はシニカルに構えていて「死にたくないんじゃない。死ぬ理由がないから死なないだけだ」なんていっていた時期がありました。そしたらその時期にね、病気になっちゃいまして。高熱が出て明け方に全身のけいれんが止まらなくなりまして、「こりゃ、死ぬ」と思いました。そのときの気持ちを一言でいえば「死にたくない」ですよ。いや、死ぬのが本当に怖かった。リアルに死ぬなこりゃと思いましたから。 だからその後病気が治った後になって自分にショックを受けましたよ。「あれ?俺、死なないように頑張って病気を治しちゃったよな」と。面白いことに、病気のときには治すことしか考えられなかったんですよ。んで、その後ちょっとうつ病にもなったんですが、今思えばその病気のときも間違いなくうつ病になっていましたね。だから私は、自殺ってのはうつ病による病死なんじゃないかと思っています。病気なんだから、それは治さなきゃいけない。 今はね、もう恥ずかしげもなく「死にたくねー!」といえますよ。中高年になるとみんなテレビの健康番組を食い入るように見るでしょう?出演したタレントさんが血液ドロドロを指摘されて真っ白な顔になって脂汗をだらだら流していたりしますよね。年を取れば取るほど、なんでだか「健康が一番」と思うようになるんです。年寄ほど「長生きしたい」って思うんですね。生への執着って、そのくらい強いんですよ。 生きることがつらい社会なら、その社会をなんとかするべきなの。失業者が多いなら、いかにして雇用を増やすかを考えるべきなのと同じです。

hambarg1234
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 自殺と自決、切腹は意味合いが違うというのは、ご回答をいただいた方々の共通見解のようですね。自分の勉強不足が恥ずかしいです。 お隣の国の韓国が自殺率がそんなに高いことは知りませんでした。何か、今の日本にとってヒントになることがあるのかもしれないですね。 ホームにドアがついているのは、旅行で東京へ行ったときに何度か見たことがあります。青色のLEDについては初耳です。しかも、それで阻止効果が上がっているというのはすごいですね。人間の自殺願望というのはその程度なんですかねぇ。しかし、電車で死のうと思った人がたくさんいた結果の対策なのが残念です。 病気になった時は、私も同じですね。早く治ってくれ、つらいの終わってくれないかな。と思います。私も自殺したいというわけではなくて、なぜ、自殺は悪いこととみなされているのかというのが疑問に上がったから質問しました。 結局は、社会問題が原因ならばそこを正していくしかないんですかね。

その他の回答 (8)

  • nabe710
  • ベストアンサー率66% (2683/4030)
回答No.9

回答になるのかどうか、他の方々の回答にもありますが「自ら命を絶つ=自殺」ではないのはご理解ください。 何かから周囲を、家族や大事な人を、名誉や財産を「守るため」の死と、すべてを否定し見捨て「放棄する」死とは根本的に違います。 で、異論も否定もお受けできませんが、自ら死を選ぶことって先の「守るため」「放棄する」と同じように質の違いこそ大局的にあっても、ある意味「欲」だと考えています。 死ぬ権利としての「欲」と言うことではなく、死にたいくらい悲観し、絶望するくらい、本当はこうありたかったのに出来なくなった、展望を失った、未来・将来がなくなった、病気や境遇が苦痛だ・・・・ そうではない、明るい物を本来望んでいたからですよね? それが欲しかった=「欲」ですよね? 元より貧しい質素な暮らしが当たり前な人と、裕福に何でも手に入っていた人がすべてを失い、先の貧しく質素な生活を強いられた場合とでは自身へに悲観の度合い、受け止め方も違います。 はじめから望んでいない、期待していない人と、手にしていた物を失った人とでは現状が一緒でも受け止め方が違います。 「もうだめだ!」「絶望だ!」 欲が満たされなくなり、気持ちの置き場がなくなる、先行きが見えない・遠のくことで諦め悲観してしまう。 この「欲」さえ持たねば、人は死を恐れず、また自ら自殺さえしなくて良いんじゃないかな? 若くして挫折、孤立、失敗、病気、ケガ、失恋、失脚・・・・例え歳を重ね寿命を迎えるにしても、死を恐れず、またわざわざ選ばずとも皆いずれは死ぬ、で良くなるのでは? 生きるのが、生き続けるのが辛い、怖い、困難なのは、生きる以上は「欲」を持ち続けなければならないからでは? 「生きることがとてもつらい人に、無理やり生きろというのは悪いこと」なら、のんびり楽に、多くを求めずに、手にしようと思わず生きろ!といったら結果はかなり違ってくるんじゃないかな? 人を力づけ頑張らせるのも、苦しめるのも「欲」なのでは? そういう意味では大半の宗教の謳う「欲を捨てる」「煩悩を捨てる」というのは的を射ている気がします。 あー早く切り上げ、温かい飯食って、ゆっくり風呂入って、布団に入ってぐっすり眠りたい欲が尽きない。 今日は、いやしばらくこのどれも与えてもらえないとなると・・・・・自殺するかどうかはともかく辛い。 欲は尽きない。 さあ、今日も明日も、苦しまず欲を持って生きよう! 幸せだと思えるうちは。

hambarg1234
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 自ら命を絶つ=自殺というのは、なんとなく理解できました。 自殺は、根本的に放棄するというカテゴリになるのですね。確かに、言われてみればそうです。楽しいこともつらいこともすべて放棄することになりますからね。 欲を捨てる、煩悩を捨てることさえできれば死すらも怖くなくなるというところは、そうかもしれないと思いました。 欲を持ち続ける限り、人間は辛さを背負っていかないといけないんですかねぇ。 手も足も出ないっていう状況下の人はどうすればいいのかとも思ったりします。NHK等で取り上げられていたワーキングプアのレポートをみてそう思いました。 でも、何かその辛さに救いがあればなぁと思ったりもします。どんな方法であっても。

noname#179614
noname#179614
回答No.8

悪い事じゃない、死にたいやつは死ねばいい。 いずれ死ぬんだし。自分の人生何だから、自由に決めればいい。 他人に迷惑かかるなら、質問者のいうとうりだし、

hambarg1234
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 悪いことではないと思われている方もおられるのですね。 内容が短いので汲み取りが少し難しいですが、結局のところは自己判断、自己責任ということなんでしょうか。

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2724/5433)
回答No.7

武士の時代の自決と現代の自殺の差も判らないなら比較する資格はないと思ってください。 私はそれを説明しようとは思いません。説明して理解できることでもありません。 自分で学んでください。 現代において、自殺は悲しむとか迷惑がかかるからダメなんじゃないです。 だいたい悲しいなんて人は距離のある人、他人です。本当にその人を思っていた家族や近しい人は悲しみ等訴えません。そういう人は残りの人生を罪の意識に苛まれます。 現代において自殺するのは、他人の思いなど考えもしない、自己中心の考えしか持たない者の浅知恵です。 もちろんそれは本人だけの責任ではありません。そのような人間に育て上げる環境と社会の責任でもあります。 でも現代社会では誰もその事に気がついていません。自分たちが追い込む環境を作っている等と思っている人間が居ないこと。 自殺する人の事だけを考えて救済しようとしても、それは対症療法にもならない。自分で網を仕掛けておいて網に引っかかる魚の命乞いをしているようなものなんです。 本当の自殺というのは遺書等残しませんよ。 自分の意思が生きたいと必至に思っていても、体が、魂が、自然と死に向かって動き出すのです。 そこまで生き抜いて、あがき続けて、初めて自殺もやむなしというべきなんです。 でもそこまで行って戻ってこれたら、自殺しよう等と二度も思いません。後は余禄。生きて感謝、死んで感謝です。

hambarg1234
質問者

お礼

回答、ありがとうございます。 大変、参考になりました。自殺と切腹の違いは調べてみます。かなり難しい課題だと思いますが・・。 確かに、自殺は浅知恵かもしれませんね。 社会も、環境も影響してるというのはなんとなくわかります。変わればいいんですけど。 生きて感謝、死んで感謝というところは非常に印象的ですね。 やはり、自然に死を待つのがいいのでしょうか。

  • nantamann
  • ベストアンサー率30% (342/1138)
回答No.6

>切腹や自決といった自殺行為が正当化 自殺ではありません。責任の取り方です。あるいは赤穂浪士のように処刑の代わりで名誉ある処刑死です。本人は死にたくないのは明白です。自殺ではありません。 仏教は命を大切にする教えなので自殺はありません。儒教は自分の体は親から授かったもので自殺は親不孝です。キリスト教は神との個別契約違反になります。繁栄は生があるこそだからです。 そこで、苦難から逃れようと自殺する「権利」があるか 自殺を止めることはできません。自殺罪はありません。もしあれば自殺未遂は処罰されることになります。江戸時代は心中未遂者は処刑でした。これは見せしめです。 生死は永遠のテーマです。すべての人に与えられた課題です。やがて死にゆく身ですが覚悟も悟りもできていません。悟った人は釈迦だけだそうですが、悟りは何だったか聞けません。人間は確実に死にます。もがいても喚いても死にます。その時を受容するしかありません。自殺による死もその時です。 自殺するのは人類だけです。それは知能が発達し予見する能力が備わったためです。人類以外の高等生物は現在は理解できるが未来は見えない。従って絶望はない。死が迫っていても自殺はない。自殺は人類が得た知能のマイナス作用です。

hambarg1234
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど、切腹は処刑死ですか。なるほど。 宗教は、やはり自殺は全否定の立場をとっているのですね。 心中とは、現代でいう自殺でしたね。なるほど、江戸時代も200年も太平が続いた世なので、厳罰だったんですね。勉強になりました。 悟りは何なのか、確かにわからないです。人に聞かないと自殺の善悪すらもモヤモヤになっている私では到底わからないだろうなぁと思います。 人類だけが自殺をする。たしかにどこかで聞いたことがあります。生物学的に、知能が発達して予見することを知ってしまった。そして、それがマイナスの作用というところはとても説得力があると感じました。確かにそうかもしれません。

  • SPROCKETER
  • ベストアンサー率26% (2125/7982)
回答No.5

 動物は自殺しません。人間も動物の一種ですから、生存本能があるはずで、自殺するのは本能に反する行為です。現在では自殺は鬱病などにかかって引き起こされる病的症状と考えられています。  自殺を正当化する人達がいるのは、確かに事実ですが、不治の病にかかっている患者ならば、ともかく、オウム事件で明らかになったように、奪えるものは全て奪って自殺に追い込み、死ねなければ殺すというカルト宗教も実在しますし、安易に自殺を認めると、大量殺戮事件を容認したと判断されて、政治不信を助長するだけです。  執拗にいじめを繰り返して、死ななければ自殺に見せかける殺人事件が後を絶たないのが現状でもあります。お金の為には人の命など何とも思わない風潮が広がる中では、自殺容認論は大量殺戮を容認するのと同じで、犯罪者に悪用されるだけであり、危険極まりないものです。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E7%9C%9F%E7%90%86%E6%95%99%E4%BA%8B%E4%BB%B6
hambarg1234
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 自殺は病的症状ですか。なるほど、だから精神科という医療機関があるんですねぇ。 自殺を容認、否認するという話になると私もどっちもいえないという曖昧な考えになってしまいます。だから、こんな質問をしたのかもしれません。 ただ、格差社会によって生きることすらも難しくなってきている世の中には、残念な気持ちです。 ですから、極端な話で私は自殺を国が容認して制度化すればそういう人達に嘘の希望を与えるよりもずっといいのではないのか?と考えてしまいました。ただ、浅はかだったのは確かに犯罪に利用される危険性を考えていないところですね。ご指摘ありがとうございます。

noname#203193
noname#203193
回答No.4

>迷惑というハードルは社会的に自殺を肯定し、促進するという枠組みを作れば >乗り越えられるのではないでしょうか。たとえば、安楽死等の薬品の開発と周知など。 乗り越えることは・・かなり難しいと思います。不可能に近いと思います。 なぜなら、それを悪用する者が絶えないからです。 正当な使用であったのかそうでなかったのか? (本当の自殺なのか、そうでないか) の判断すら、できないでしょうね。 また、所構わず自殺されても 事後処理の問題もありますよ。 ・アパートで自殺されて、以後借りてが付かない ・山奥等で自殺され、行方不明として捜索されたあげく  山から遺体を運び出さなければならなくなった。 (家族が負担する費用はかなり高額) ・さんざん贅沢をして借金まみれになって、自殺すれば帳消し?  血縁者が、借金取りに追われるだけ 病気で寝たきりになってさえ、自ら死を選ぶ権利が認められたのは 最近ですよね。 それでさえ、周囲はあまり良いことは言いませんから 家族が尊厳死を選んだ場合、周囲から酷い扱いをされる遺族は 未だにいます。 >そういった人達に、安易に自殺はいけないから頑張って生きろなんて私は言えません。 >死んだ方が楽な人に生きろとは言えないです。 別に言う必要無いですし、自殺を望む人に「頑張れ」は禁句ですね。 自殺を望んでも、その理由が正当なものであうかどうか 自分自身で冷静に考える時間は必要だと思います。 しかし、自殺を望む時点で、冷静な判断などできません。 周囲の説得や、色々な努力によって生きる希望、目的を持つ人も多いですよ。 良いか悪いか、と決定づけることはできないと思います。

hambarg1234
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 自殺の制度の悪用ですか、確かにその可能性はありますね。考えが及んでいませんでした。 ただ、金銭的等の環境の影響で生きることよりも死んだ方が楽になるんじゃないかという人にとって救いになるのではないかと考えてしまいました。明日の仕事がないや、食べるお金すらない等、生活保護さえ断られて死んでいくような人もニュースでたまに見かけます。それなら、いっそ国が死ぬチャンスを与えるのはどうか?と思った次第です。 どこでも、自殺というのは私も反対します。何か、司法的な手続きをちゃんと踏んで施設で安楽死するような制度は出来ないものかと考えてました。ただ、これも問題が山積みだと思います。 病気で寝たきりになっての尊厳死は最近になって聞くようになりましたね。それでも、賛否が分かれて関係者にマスコミが群がっていたのは記憶にあります。やはり、尊厳死ということも殺人に問われるかどうかというレベルで難しいレベルなんですねぇ。しかし、生死にかかわるとマスコミが動くほど騒ぎ立てるのに、自殺に追い込まれる今の社会環境に対しての問題点や対策等にはあまり触れてない、関心がないのが不思議です。 やはり、人との繋がりが大事なのですかねぇ。 よいか悪いかと決定づけるのはやはりできないのでしょうか。難しい課題なんですかね。

  • Epsilon03
  • ベストアンサー率24% (868/3495)
回答No.3

まず即身仏は自殺とは異なりますので、意味をよくお調べになって下さい。 自殺が悪い事か?と問われれば、自分で自分を殺す事ですから悪い事です。 切腹は結果的に死んで責任を取れと言う事で、責任を負わされた事。 自決も似たような所があり、敵の手に落ちる事が恥ずかしい、屈辱であると言う思想の下の結果であり、その思想を植え付けた側の問題。 現代では、自殺をすれば必ず何処かに迷惑や手間が生じます。 誰にも何処にも迷惑や手間を掛けないと言う事は、まず不可能に近い。 自殺体を誰かが発見すれば、警察へ通報しますし警察は身元確認や自殺の動機を調べる。 状況によっては死因を特定しなければならず、そこに司法解剖が入る場合も有る。 一体の自殺体が発見された事で、色々な所が動く訳であるが、それを仕事だからとは単純には片付けられない。 また、発見者は精神的にもマイナスの影響が有るでしょうし、発見した場所へは行きたくない、或いはもう行けないと言うトラウマを抱える事にもなるでしょう。 一人の自殺が多くの人に影響を与えますから、それらを考えれば『自殺は悪い事』と言わざるを得ない。 > 生きることがとてもつらい人に、無理やり生きろというのは悪いことと言われないのに カウンセリングでは無理矢理生きろとは言いませんし禁句でしょう。 逆に無理矢理生きろと言う方が無責任ですし追い詰めるだけですから悪い事でしょう。 『自殺とは愚か者の結論なり』と言う言葉があります。 また、『人間は考える葦である』と言う言葉もあります。 「生きる意味を見いだせない」と言うのは逃げ口上でしか有りません。 自ら道を閉ざして逃げる卑怯者でしか有りません。 まだ書き足りませんが、総合的にみても『自殺は悪い事である』と言う事です。 意味が解らなければ、御自分で自殺してその結果を見れば解ります。 但し、見られればの話ですが。

hambarg1234
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 はっきりと自殺は悪いというスタンスでのご回答感謝いたします。 即身仏については、勉強してみます。 自殺に関しての迷惑度は、ご回答の中でよくわかりました。この問題は、自殺者が勝手にどこでも死んでしまう結果、発見者の精神的トラウマを抱えるというのはわかります。司法解剖は事件性があるのかどうか、他殺なのか、本当に自殺なのかというのを判断しなければならないというのもわかります。 言葉足らずでしたが、自分が自殺を促進するということを書いたのは、政府が自殺用の施設を作って、法整備し、申請に基づいて適切に安楽死を選ぶことができるということを言いたかったのです。すいません。 自殺とは愚か者の結論なりという言葉に関してですが、昔の哲学者の言葉でしょうか。これに関しては、私は少し疑問を感じました。今の経済状況や社会状況では、追いつめられる人がたくさんいると思われます。誰も望んでいない結果が起こっているのではないのかと考えています。一概に愚かとは言えないというのが私のスタンスです。 自殺は、卑怯という考えは一部は賛成ですが、一部は反対です。同じ内容なことを二度書くことになるので割愛しますが、愚か者のところと同じ形です。 私は自殺するつもりはありません。死にたくもないですし、どうせ死ぬなら、静かに死にたいです。 ただ、自殺は悪いとはっきりと回答いただいて本当にありがとうございました。

  • 25801937
  • ベストアンサー率24% (6/25)
回答No.1

私も悪いことではないかと思います。 それよりも自殺もできなく、わざと死刑になるために人殺ししてる人が許せません。 独りで死ねって思いますね。

hambarg1234
質問者

お礼

ありがとうございます。それは、私も同感です。

関連するQ&A