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死刑は許されるべきか
- 死刑は許されるべきか、その是非について考えます。
- 私の意見は、どんな悪人でも救われるべきだというものです。
- 死刑は更正の機会を奪い、不幸な過去を持つ人々から命を奪うものです。
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質問者が選んだベストアンサー
私の意見は死刑を積極的に肯定するものではありませんが、 今の社会には必要であるという考え方です。 質問者様のご意見はわかりやすく、人間の内面への愛が 溢れています。おっしゃるように、罪人と善人の違いは、 人間そのものの違いではなく、生まれた環境の違いの方が 大きく、本人の運によるところも大きいと思います。 それに、命を奪っては更正の機会がなくなるということも 理解できます。 しかし、犯罪抑止力として死刑は必要なのではないでしょうか? 以下のケースでも死刑は必要ないと考えておられますか? (1)ネット上で、見ず知らずの人間が他人を拉致して殺害し、 金品を奪うことを計画し、実行する。目標金額に達するまで、 次々に拉致しては殺害する。 (2)裕福そうな家庭の児童を誘拐し、殺害後に身代金を請求する。 警戒がきびしく、身代金が取れなかったので、更に別の児童を 誘拐し、殺害する。 (3)保険金目的で、知人を事故に見せかけて殺害し2000万円程度 の保険金を得る。生活がはでになり、保険金がすぐに無くなる ので、以後は速いペースで身の回りの人間を殺害していく。 (4)派手な生活で借金がかさみ、宝石店に強盗に入り、証拠を 残さないためにガソリンをまいて火をつけ、従業員全てを DNA鑑定もできないくらいに焼き殺す。 これらは全て極端な例のフィクションではありますが、実際の事件を ベースに書いてあります。これに近い事件やこれ以上凶悪な事件は 何件もあります。 5歳、6歳の子供を殺害された親は犯人に対して極刑以外の何を 望むのでしょうか?万一、軽い罪になれば残りの人生の全てをかけて 復讐するのではないでしょうか?犯人が生きているという事実が、 両親の精神的な苦痛を増やすのではないでしょうか? また、20代で何の落ち度もなく、宝石店に勤めていた娘が、 ただの黒いかたまりになったとき、両親は何を思うでしょうか? 死刑は数例を除いて、成人にしか適用されていません。 確かに、犯罪の原因は生活環境であったり、小さいときの教育が 原因であることが多く、現在の生活環境や付き合っている人間に 犯罪を誘引することも多いです。しかし、長年それで生きていると、 「悪に染まった人間性」こそが本来の姿になってしまったと考えないと いけないのではないでしょうか。人間はいつまでも幼子ではないのです。 成人までに何度も考え方を変えるチャンスはあったはずです。 「犯罪抑止力」「遺族の感情」という点を考えると、残念ながら 死刑は必要だという結論になります。 日本の社会が、一旦転落した者が上がりにくくなっていることも 事実です。また、幼少期の家庭環境や教育レベルに差がありすぎます。 これを放置して、死刑を連発することは政府の責任の放棄と人間性に 対する冒涜ではあります。
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- C-elegans
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更生する機会は大事ですが、その前に罪に応じた罰を受ける方が大事です。 逆説的になりますが、仮に罪に応じた罰を受けなかった人間が本当の意味で更生したのなら、自分が十分に罰せられなかったことを気に病むはずです。 罪に応じた罰を与えること、更生機会を与えるのはその後です。 罪と言うのは際限なく大きくなるものですから、人の一生を奪う罰でもまだ足りないということが考えられます。 そういう時に、死刑という刑罰は必要になります。 そして、たとえ不幸な過去があったとしても、それは情状酌量にいくらか寄与はしても、罪に応じた罰を与えない理由にはなりません。 泥棒に入られて大金を失ったからと言って、隣の家に強盗に入っていいわけがないのと同じです。 あと、この手の議論に関して「遺族の感情は…」「お前の家族が殺されても同じことが言えるのか…」という論がよくあります。 確かに感情に従うのは人間として自然なことですが、所詮は感情論に過ぎず、社会正義と同列に語るべきではない問題です。 感情を理由にした死刑は、「むかついたから殺した」と同じベクトル上のものです。 (かく言う自分も状況によっては感情を理由に殺しますが、それは「悪」だと理解したうえで殺します)
- makocyan
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死刑制度自体は許容されるべきだと思います。現に国民の大半が容認していますし。 >その人が悪人になったのは、悪にならざるをえない過去があったから。 →それだけではないでしょう。同様の劣悪な環境や暗い過去を持つ者すべてが凶悪犯罪を犯すわけではありません。同じ境遇にあっても悪人になるものもならないものもある、そこには個としての資質の差が存在していると思います。 >死刑は、その人に更正をする機会を奪うものである。 →確かにそうですが、死刑判決は「矯正不可能」の判断が前提ではないですか。この判断が誤っていたら更正の可能性を奪うことになるのでしょうが、逆に「更正できる」と判断して死刑を適用されなかった者が、服役後に再び凶悪犯罪を犯すという可能性も残してしまいます。死刑は、少なくとも再犯被害の可能性はゼロにします。
- ponyjazz
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個人的な考えですが 1)その人が悪人になったのは、悪にならざるをえない過去があったから。 昨今の数ある事件を見ていればその加害者に、そうならざるべき環境ではなく 加害者の身内に何の非もなく、本人の思い違いによるものも多い 殺人者にあるべく過去があるとは思いません 2)死刑は、その人に更正をする機会を奪うものである ある死刑確定の罪人が生まれ変わっても又同じ事を繰り返す こう言う事を言う罪人に更正の道はありませんし 反省の論も無ければ、誰でも良かった等と殺人を犯すものに 被害者の家族達はどう思うと思いますか? 3)不幸な過去を生きた人間から、命まで奪うのか。 何故、不幸な生い立ちと決め付けるのですか ただ薬物に溺れたり、人の痛みを考えずに 自分の欲求を満たすためだけに、何も悪くない人や 小さな子供の命まで奪ってしまうような人間を其処まで庇護できません 4)あなたが善人になれたのは、運がよかったから 運ではありません 一般的に盗み、傷つける、殺める等の人としてやってはいけない事は 常識でわかります では 親が居ない・教育も受けていない・友達も居ない・環境も劣悪 このような人は全て悪人になるとでもおっしゃるのですか 長文になりましたが 被害者の立場と言うのも考えてください 貴方やご自分の家族が何の非も無いのに 理不尽に殺されても、その犯人に 同じように思えますか?
- gadovoa
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自分の娘が強姦され殺されたら 私が犯人を殺します。 司法が殺さないならそれでもいいです。 犯人が不幸だろうがなんだろうが、 私が犯人を殺します。 でも私は死刑にはならない。
- 2time4date
- ベストアンサー率30% (78/254)
その人が悪人になった経緯として、辛く・ひどい過去があったからと言うのも、一理あります。 しかし、辛い過去であったからと言って、みんながみんなそれを妬んで悪になったわけではありません。 犯罪に手を染め、悪になったのは本人の責任の部分もあると思います。 それに人生を奪われ、取り戻すことの出来ない悲しみを負った被害者には、「再起」のチャンスは絶対にありません。 もし、死刑をなくし、犯人には再起するチャンスを与えると言うなら、被害者も生き返らせ、再スタートするチャンスを与えるべきだと思います。不公平ですから。 しかし、そんなことは絶対に出来ないこと。 従って、罪量によっては、命をもって償わせる死刑も、必要な場合が出てくると思います。