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日本は太平洋と呼ばなかった時代はなんと呼んでいた?
太平洋はマゼランの言った"El Mare Pacificum" (平和な海)を言い換えたものだと思いますが、それまでは日本では太平洋にあたる海のことを何と呼んでいたのでしょうか?
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現在のような太平洋という概念がありませんでしたから、名前もありませんでした。 自分達が日常的に暮らす土地の前に広がる海域に名前を付けていただけです。 地域が変われば名前もかわりました。 現在も伊豆の海とか千葉の海とかいって観光パンフレットなどに載せているのと同じ感覚です。 比較的広い範囲で海を利用していた船乗り達が難破しやすくて危険な海域を「灘」と呼びましたが、これも〇〇灘と地名を付けて呼びました 〇〇の沖合の難所という意味です。 瀬戸内海ですら現在のような感覚で呼ばれていたことはありませんでした。 詳しくは下記のサイトをご覧下さい。 瀬戸内海 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/瀬戸内海 抜粋 瀬戸内海という概念が誕生したのは、江戸時代後期とされる。それまでは和泉灘や播磨灘、備後灘、安芸灘など、より狭い海域の概念が連なっているのみで、現在の瀬戸内海全域を一体のものとして捉える視点は存在していなかった。とはいうものの、江戸時代の「瀬戸内」は現在でいう「瀬戸内海」とは必ずしも重なっていない。1813年に書かれた佐渡の廻船商人の旅行記『海陸道順達日記』では尾道と下関の間を「瀬戸内」と呼んでいる。 「瀬戸内海」概念が今日のようなものとして確立される契機となったのは、明治期に欧米人がこの海域をThe Inland Seaと呼んだことによる。欧米人がこのように呼んだ海域を日本人の地理学者たちが1872年頃から「瀬戸内海」と訳して呼び、これが明治時代の後半には人口に膾炙していったのである(ただしこの時期の「瀬戸内海」は明石海峡から関門海峡までの海域を指していることが多く、現在のようなより広い海域に「瀬戸内海」の概念が拡張されるには、さらに時間を要した)。 そもそも大西洋だの太平洋だのインド洋だのと地球規模で海に名前をつけるようになったのは大航海時代以降のヨーロッパでの話です。 この名称も直ちに決まった訳ではありません。長い時間がかかっています。 詳しくは下記のサイトをご覧ください。 古地図に見る日本海-地図趣味のすすめ mapfreak.sakura.ne.jp/column/seaofjapan.html 抜粋 例えば太平洋の例を見てみましょう。ヨーロッパ人で最初に太平洋に到達したのはスペインのバルボアで、1513年にパナマ地峡を横断して太平洋に出ますが、この時彼は太平洋を「Mar del Zur」(南海)と命名します。その後1521年、世界一周航行の途中で太平洋を横断したマゼランは、この海を「Mar Pacífico」(太平洋)と名づけました。 しかし、「太平洋」という呼称はすぐに定着したわけではありません。16世紀から17世紀の世界地図の多くは、Gerard van Schagenの地図[1689年](Wikimedia Commons)のように、南米沖の太平洋に「MARE PACIFICUM」(太平洋)、赤道付近の太平洋に「MAR DEL ZUR」(南海)と記しており、二つの名前が併記される形となっています。ちなみにこの地図では、大西洋は「MAR DEL NORT」、すなわち「北海」です。これらに加えて、17世紀の地図では北西太平洋を「OCEANUS OCCIDENTALIS」(西海)と記したものもあります。またアジア沖の太平洋には、「中国海」や「東洋海」の呼称もありました。さらに19世紀になると、太平洋を「GRAND OCEAN」(大洋)と記した地図も登場します。 こうした名称が整理され、太平洋の呼称が「Pacific Ocean」(太平洋)に定まるのは、実に19世紀後半になってからのことで、「日本海」よりも遅かったのです。 蛇足 川の名前も上流から下流まで一つの名前で呼ばれるようになったのは明治時代以降です。 同じ川でもそれぞれの流域で名前が違っていました。 関東地方の多摩川にその名残が残っています。 河口付近は六郷川、その上流は丸子多摩川、更に上流は二子玉川と現在でも呼ばれています。 隅田川も浅草寺の近くでは浅草川と呼ばれて吾妻橋から下流は大川と呼ばれていたこともありました。
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明治以前は「大東海」と呼んだようです。 しかし住人にとっての太平洋は、広大な範囲を想像するものではなく、目の前にある海であったため「灘」という表現のほうが正しいのかもしれませんね。 日向灘、熊野灘、遠州灘、いずれも「灘」という文字には航路の難所という意味があったそうです。 従って太平洋岸だけに限らず全国の難所には灘がついているようですが。
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回答ありがとうございます。 住んでいる人にとっては、それがどこまで続くという意識ではなく、自分たちの陸地に紐づいた呼び名だったということですね。
- SPS700
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「くろしお」ではないでしょうか。
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回答ありがとうございます。 確かに黒潮は沖を大きく流れていますね。
お礼
回答ありがとうございます。 瀬戸内海も日本の中に存在するのに、概念としては江戸時代後期だったんですか。 河川の名称が上流から下流で変わっていくのも面白いですね。