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何で日本はアメリカに負けたのか
太平洋戦争の緒戦では、日本は陸上でも海でも連戦連勝でしたよね。何で最後の方はボロ負けだったんでしょう?
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- teccrt
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No.14さんの回答に一番近いでしょうか? 物量の差も大きいですが、圧倒的物量差を跳ね返した国家間同士ガチンコ対決なら、日露戦争時の日露間のほうが、太平洋戦争時の日米間よりも大きな物量差・生産力差がありました。(ゲリラ戦を展開すれば、物量が勝敗の主因でなくなることはベトナム戦争で明らかです。) 日露戦争が何とか勝てたのは、現場の戦闘で日本軍が頑張ったこともあるけど、それだけでなく外交努力と相手への謀略もうまく行ったから。 内政が不安定なロシアで国内蜂起を誘発させたのは日本の外交官でしたし、英米を日本に味方させて、国際世論を日本びいきにさせました。この世論により、ロシアよりのフランスも中立だったドイツもロシアに味方をしにくくさせています。 翻って太平洋戦争を見ると、国際的に日本びいきだったのは、ドイツ・イタリアの同盟国と東南アジアの一部現地人。中東なども日本に好意的だったと聞いてますが、英仏の植民地化では大した力になりません。 ドイツ・イタリアともインド洋からロシアで連絡が寸断されており、孤立無援と言ってよい状態。 さらに、アメリカを揺さぶるための内政工作をやっていたとは聞いたことがありません。 物量に差があれば、正面対決で勝敗を決するのは無謀です。1回の戦いに限定すれば物量や質で劣る側が勝つこともあるでしょうが、基本的に物量・兵力・火力の大きい方が確率論的に有利なので、何度も戦闘を繰り返せば、いつかは物量で勝る側が勝ちます。 日露戦争は、ロシアが確率論的にいつか勝てる戦場を探しているうちに、民衆蜂起が起きてそれどころではなくなり、諸外国もロシアを見限り始め、ロシア皇帝としては「その気になればまだまだやれるが、賠償金を払わないですむんだったら停戦した方がありがたい。」と考えるようになって終結にこぎつけることができました。 つまり、戦闘で勝ち続けたことよりも、ロシア皇帝が戦争継続の意思をなくしたことが日露戦争を終結に導いたのであって、その原因は日本の画策が功を奏した国内蜂起であり、英米の日本びいきの態度であり、フランス・ドイツのロシアへの冷淡な態度であったのです。 太平洋戦争でも、日本はこうした外交・諜報戦でこそ勝負しなければいけないのに、この分野は無策のまま始めて、対策を取らないままいたずらに正面対決だけを繰り返した。 日本が「戦闘で勝ち続けること」を研究し続け、ミッドウェーまでそれがよく機能していたことは評価して良いですが、「戦争に勝つための戦略」は残念ながら最初から持っていませんでした。 本当に、なんでかの米国と戦略を持たず(もしくは戦略を立てようもない状況の中で)戦争を始めたのか不思議です。意地がそうさせたのでしょう。
- googahaku
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私は敗戦の原因が工業力、物量の差であったとは考えていません。 当時の日本の指導者が余りにもアメリカの実力(工業力、物量)を甘く見すぎて、戦略、戦術のの両方を誤った為と考えています。 アメリカの実力を正当に評価し、日本の優れた能力をどのように活かして、これと戦うかを十分吟味することなく、アメリカの実力が優位となる方向でずるずると戦いを続けてしまったのです。 私は当初から「超短期決戦での対米主戦(航空戦・艦隊決戦をしながらミッドウエー、ハワイの占領」または180度転換して「植民地(東南アジア)限定戦」でいくべきだったと考えています。開戦当初は、圧倒的に日本の戦力の方が勝っていました。これを十分活かしきらなかったのです。 中途半端に終わったハワイ攻撃が最大のミステークです。その後の戦いもすべてが中途半端でした。
- taishi1
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最近、テルモピュライの戦いをコミック風に描いた「300(スリーハンドレッド)」って映画がありましたね。精強無比な300人のスパルタ兵が、雲霞のごときペルシアの大軍相手に戦って全滅する話… あれ見て第二次大戦の日本軍を連想してしまったのですが、兵の質でいえば、間違いなく当時の日本軍は世界最強だったでしょう。それを示す逸話は多くのこっています。 大戦前にソ満国境で起きたノモンハン事件において、ソ連最強の機甲師団を貧弱装備で迎撃した日本軍は一方的に大敗したとされてきましたが、ソビエト崩壊後に出てきた当時の史料によると、痛みわけによる引き分けであったことが明らかになりました。ソ連軍もまた日本軍の対戦車肉弾攻撃等により甚大な被害を与えられ、恐れをなしたスターリンが撤退命令を出していたのです。 他にも大戦中の南方戦線では英軍の元帥をして「同数の兵力・同性能の武器ならどの国の軍隊にも英軍は負けぬ自信があるが、日本軍は別だ。およそ日本陸軍に匹敵しうる軍隊は地上に存在しない」と驚嘆せしめ、蒋介石は「日本軍を見習え。かの比類なき武勇は全東洋民族の誇りだ」と感嘆し、日本兵の強さに恐れをなした米軍指導部は近接戦闘を極力避け、砲弾・空爆で敵陣を無人の地と化してから無血占領する戦法に変換しました。(硫黄島では栗林中将にその裏をかかれて、海兵隊史上最悪の被害を出してしまいましたが) また蘭印作戦では死を恐れぬ日本軍の凶暴な戦いぶりを見て恐怖のあまり発狂したオランダ兵もいたといいます。(ちなみに当時南方で戦っていた日本兵たちは米英の兵は弱いが、オーストラリアの奴らは骨がある、と感じていたそうです) 緒戦で日本軍がシンガポール以上に難攻不落とされた米軍のコレヒドール要塞を苦もなく陥落させたのは、この時日本軍が珍しく米軍に匹敵する火力を配備されていたからです。兵数や武装での多少の劣勢など跳ね返す日本軍が、同等の兵力・武装で戦えば圧勝するという証明でしょう。しかも米英を恐れさせた南方方面の日本軍はどちらかといえば弱兵集団であり、帝国陸軍の真の精鋭師団の多くは中国大陸に散開していて、そのまま敗戦を迎えてしまったのです。大日本帝国の第一の敗因はそれであると考える欧米の戦史研究家は多いそうです。 しかしいかに強しとはいえ、輸送を閉ざされ食料弾薬が欠乏すればどうにもなりません。多くの方が回答されてるように、敗因は比較にならぬ物量差と米潜水艦による通商破壊作戦に有効な対抗策を取れなかったことでしょう。ただでさえ乏しい物資を戦地に海上輸送する手段を失えば、前線の兵は戦う前に干上がりますからね。 余談ながら、朝鮮戦争に参戦した人民解放軍が人海戦術で国連軍を敗退させているとき、中国共産党に驚くべきニュースが飛び込み、指導部を震え上がらせました。なんと日本帝国陸軍が再建し、米・韓支援のため半島に大挙上陸してくるという内容でした。自衛隊の前身・警察予備隊の発足が誤報となって伝わったものと思われますが、鬼神のごとき日本軍の強さを思い出した中共指導部の面々は血の気を失い、長い間重苦しい空気が会議室に漂ったそうです。連合軍各国の潜在意識に旧軍がいかに恐怖を植えつけたかというエピソードですね。
- tanuki4u
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日本が負けた理由 戦争の理解が日米で違っていた。 日本の戦争理解は、戦闘で勝利すれば戦争は終了する。 アメリカの戦争理解は、どちらかの国家が破綻するまで戦争は継続される。 この違いです。
- code1134
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この手の質問では様々な要因が絡まって来るのが常なのですが、敗戦前の軍部の指導層に科(工)学的知見に非常に乏しかった事 即ち、自国の八木秀治、宇田新太郎両氏の名を冠した八木(宇田)アンテナの戦略的重要性を無視した事も看過してはならぬ、と思いますね。(嗚呼) http://cobs.jp/life/regular/hatsumei/bn/020109.html
- sudacyu
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回答者の皆さんが指摘していない事項について。 ・開戦前の日本の経済状況 アメリカとの戦争を始めたのは、1941年12月8日(ハワイ時間は7日)からですが、この日米開戦に至る前に、日本は中国と既に4年以上戦い続けています。 1937年から始まった中国本土での戦い(日中戦争・支那事変・日華事変など、呼び方は色々)によって、日本陸軍の兵力は開戦前の約45万から約190万に膨れ上がり、生産労働についていた国内成人男子を大量に兵士として中国に送らざるを得なくなりました。 その結果、国内鉱工業生産力が低下し(日本の戦前の工業生産のピークは1937年で、それ以後は横ばいまたは減少を始めます。)食料生産も減少した上に、戦地に軍需物資を送らなければならないため、日米開戦の一年以上前に、国内で物・食料が不足し民間の使用する主要物資が政府の管理下におかれました。 ・国家総動員法(1938年)総力戦遂行のため国家のすべての人的・物的資源を政府が統制運用できる(総動員)旨を規定したもの。 ・日本国内で食糧配給制開始(1940年) 日本より遥かに人口の多い中国を攻めたことで、中国との戦いだけでさえ、既に日本の国力が限界となりつつあったのです。 (他国に軍を派遣して戦争を続けることが、どれだけ経済・国家財政に負担を掛けるかは、現在のアメリカがイラク・アフガニスタンに軍を派遣したために、年間数十兆円に上る財政赤字を垂れ流していることでも明らかです。世界最大の経済大国で人口3億人の国家が、人口2850万のアフガニスタンや人口2550万のイラクを攻めた場合でも、この状況なのです。) 参考:日本の十倍以上といわれる人口を持つ中国の現在の陸軍兵力が約180~190万といわれています。戦前の日本の兵力が過大で、どれほど経済に悪影響を及ぼしたか想像できます。尚、日米開戦後はこの兵力とは別に数十万の軍を更に編成し、現在の東南アジア地域に軍を派遣しました。 このような国力の消耗に直面しながら、更に軍隊の戦略の常識として、やってはならないと言われる「二正面作戦」を、あえて日本がアメリカに対して行うとは思っていなかったのでしょうか、アメリカは、日本に対する戦争準備が整っておらず、緒戦の連敗を喫しました。
- toganoyua
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最初は、「勝たせてもらった」わけです。 某氏を立てるわけじゃないですが、当時日本は、戦争を真珠湾攻撃で、始めたのではなく、始めさせられたんです。 ちなみに、第三国の検証ですが。 石油が無いと大変なのに売ってくれない・・・・そうなりゃ自棄攻撃でしょう? 最初に連戦連勝させたのは、日本が、国民に「欧米諸国は、鬼畜米英だ。日帝様御元の日本が、倒さにゃいかんのじゃ。」と教えるよりも、もっと具体的なプロカパンダ的な者として、初戦前後を勝たせて・・・・・・負けて、或いは「リメンバーパールハーバー」と唄い上げて、引っ張ったんですね。 元々、国力に差がありますし。 それに、当時はもう戦艦主体・・・白兵戦で言うなら、騎馬や歩兵の時代でないのに、それを中心に戦略を組み立てたとか。 レーダーを重要視しなかったりとか。 後は、落としドコロを間違えたんデショ? 「降伏しよう」という良心的な良識者の意見を丸無視して、数の暴力で続けた結果でしょう。 ご参考までに。
連戦連勝といったって、相手がノホホンとうたた寝していたほんの最初のうちだけ。そのあたり、詳しいことはすでに回答が寄せられているけれど、「何で最後の方はボロ負けだったんでしょう?」と言ったって、実際に当時を知る者にとっては、当時は子供だったといっても、あの当時から、これは勝てる戦争ではないと分っていたものだったんです。 米空軍の空襲といえば、B29と呼ばれるボーイング社製のスーパーチャージャー付きのエンジン4発の大型爆撃機、それが真昼なら太陽にキラキラとジュラルミンの機体を光らせながら、当時の高射砲では弾すら届かない高空を悠々と、それも百機単位の大編隊で。そしてそれらからまさに雨が降るように爆弾や焼夷弾がバラバラと。 一方、日本では女子挺身隊などと呼ばれた女性たちが、デパートを仮の工場に仕立てた、その中で細々と小さな戦闘機の翼を手先と多少の工具だけで組み立てていたものだった。このメチャクチャに大きな差、それは誰の目にも明らかだったのです。 当時の軍部は、毎夜NHKの放送を通じて、我が軍は南方海域で米駆逐艦3隻、巡洋艦1隻を撃沈、空母1隻に多大な損害を与えた......などと放送していたけれど、当時の国民は誰もそんなことを信じなかったものだった。そんなに毎日毎日撃沈されるほど米軍は艦船を持っているはずが無いじゃないかと。だいいち、敵にそれほど多大な損害を与えられるぐらいの実力がある我が大日本帝国海軍なら、なんで連日連夜のB29による空襲を阻止できないの.....とも。 そうじゃない、南方では勇敢にもわが将兵の玉砕が相次いでいるが、それよりも過酷なのは武器弾薬どころか食料や物資すらもが戦線に届いていないからだ。なぜ届かないかというと、もうこの日本には物資を輸送できるまともな艦船は残っていないからだ。それだけじゃない、もう海域は封鎖されて、無理に踏み込んだらそれこそ撃沈だ。 そう言えば、もうまともに飛べる航空機だってほとんど残っていない。ガソリンもなければ、物資や弾薬すらもない。こんな極秘のはずの情報、どこからともなく伝わってきて当時の国民はみんな知っていたものでした。ただ。大声で口には出来なかった、なにしろ陰険な特高の刑事が聞き耳を立てていたからでした。 そして終戦。食料もなく、衣料もなく、住むところも戦災で失った国民の前にある日突然姿を現したのが連合国側の駐留軍、当時は進駐軍と呼んでいたけれど、ことに米軍の彼らが持ち込んだのは、当時十輪車と呼んでいたタイヤが10個もついた兵員物資輸送用の大型のトラックやハーフトラックと呼ばれる中型のトラック、そしてジープ。 それまで、ガソリンが手に入らないから、車体の後に積んだガス発生器で薪や木炭をいぶして一酸化炭素ガスを発生させ、それでエンジンを動かして、それでなんとか、ガーガーとやっとこさ走っていた日本国内のトラックやバス、タクシーなどを見慣れていた者にとっては、堂々と車列を組んで高速で通り過ぎる彼らの自動車という輸送兵器、それはもう、これじゃあ、やっぱり戦争に勝てるわけが無かった.....とダメ押しをしてくれたものでした。 負けた理由や経緯はいろいろあるでしょう。ですが、真の理由と聞かれたら、相手が悪かった、敗因はあの圧倒的な物量の差にあったのだったと言いたいのです。
- norakuma
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商船がばかすか沈められたから。 →護衛に関する研究が後手に回った。 おかげで南方資源は入らない。 弾薬を含むモノを作れない。燃料もない。 対空砲も弾薬不足でぱらぱらとしか撃てなかったそうですよ。 映画などとは違って。 外地への補給もできない。 実際の戦闘で死ぬ人間よりも病死のほうがはるかに多かったといいます。 技術面でいえば、戦争末期にはかなりなところまでいきましたが、 いかんせん、設計を実現するための材料が不足あるいは悪い。
- raky753
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簡単に言おう。 貯金が日本は50億円、アメリカが1000億円で、 持ってる飛行機(一台10万円)が日本が一万台、アメリカが五千台だったとする。 最初のうちは日本の方が上なので日本が優勢だが、 アメリカが本気になって飛行機を作ると、100万台できる。一方日本はこれから5万台しか作ることができない。 そういった場合、圧倒的にボロ負けする。
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補足
アメリカ側は日本がハワイを占領し、西海岸から上陸してくると予想していたらしく、ロッキー山脈での迎撃計画、さらにそこを突破された時のシカゴでの迎撃計画を立てていたようです