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「罪を憎んで人を憎まず」とはどういうことか
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「罪を憎んで人を憎まず」というのは、人間の主な能力で ある脳の機能は、生後の経験による後天的なものゆえに、 罪を犯す人はその人を生んだ環境の影響であり、ある種、 当人も被害者の側面もあり、相殺されると考えられる事に 由来する。 それゆえ、その「後天的な」可塑性に基づいて、日本に おける受刑は報復ではなく更生目的なのだ。 公益において、刑務所の維持にお金を使うより、更生して 社会に貢献してくれた方が世の中のためになる(被害者の 報復としては生ぬるいかも知れないが)。
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- zenix1
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「罪を憎んで人を憎まず」は孔叢子と聖書(ヨハネ福音書8章)にある言葉です。 日本に入った時には孔子の言葉はかなり曲解されて、聖書の方の意味に近いものとして受け取られました。 今の日本では大岡政談や仮名手本忠臣蔵の影響が大きいですね。 ジハードのことを日本では『聖戦』と訳すことが多いが、正確ではありません。本来は努力、奮闘のことですが、そこには「異教徒との戦い」「防衛戦」も含まれるということです。「コーランか貢ぎ物か剣か」です。 そもそも西洋での人権の概念を、イスラムに当てはめて考えるのはどうかなと思います。
お礼
>そもそも西洋での人権の概念を、イスラムに当てはめて考えるのはどうかなと思います。 反対です。 人権は世界共通であって、西洋であろうが東洋であろうがイスラムであろうが全て等しく当てはめるべきことです。
- princelilac
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「罪を憎んで…」という諺が示すこととは、「ジハードを…」の会話のことではないのです。 「悪人に対しても恨みを残すな」という戒めです。宗教的には宗派を問わず広まっている教えだと思います。
お礼
>「悪人に対しても恨みを残すな」という戒めです。 「罪を憎んで人を憎まず」への私なりの解釈。 物事には全て原因と結果があるが、もしも物事の善悪について裁くならばその結果を裁くのではなく、その原因をさばくべきである。 これが私の解釈です。 結果は物事の表層であって、原因はまた別のところにあるなら罪の結果をさばくのではなく罪の原因となるものを裁くべきであるとする立場であると考えます。 一つの巨大な悪の根源が多くの罪人を生む。 一人一人の罪人を裁いたところでその悪の根源は無くならない。 しかしもしその巨大な悪の根源に立ち向かいこれを裁いたなら、そこから多くの罪人が生まれることは無くなる。 「罪を憎んで人を憎まず」とはこのように解釈すべきではないでしょうか。
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お礼
物事には全て原因と結果がある(因果関係)ので、罪を裁くときは人を生んだ環境もその原因の一つとして捉え考慮してあげましょうということだと思います。 なかなか良い回答でした。
補足
私は更に進めて次のように解釈したい。 物事には全て原因と結果があるが、もしも物事の善悪について裁くならばその結果を裁くのではなく、その原因をさばくべきである。 結果は物事の表層であって原因はまた別のところにあるなら罪の結果を裁くのではなく、罪の原因となるものを裁くべきであるとする立場であると考えたい。 一つの巨大な悪の根源が多くの罪人を生む。 一人一人の罪人を裁いたところでその悪の根源は無くならず、罪人は生まれ続ける。 しかしもしその巨大な悪の根源に立ち向かいこれを裁いたなら、そこから多くの罪人が生まれることは止められる。 このように「罪を憎んで人を憎まず」とは、深い哲学であると解釈したい。 これは解釈というよりこうあってもらいたいという私の願いです。