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税金は言わば国家による《強制連行》ではないか
強制獲得経済であるのではないか? 民主制は その強制連行なる仕組みをすでに前提として その上で税制をつくり見直し作り変える制度であるに過ぎないのではないか? つまり主権の存する国民は いつこの強制獲得なる仕組みをよっしゃと言って認め許したのか? どうでしょう?
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~~~~~~ たとえばイヅモでは 斐伊川が氾濫してあたかも八股の大蛇のごとく猛威を振るうとおそれられていた。 これの治水のためには ムラ中総出で 手間暇をかけて流れを落ち着かせ堤防を築いたと単純に推し測られます。 ~~~~~~ こうしたことは、今でも農村部の集落、《ムラ》では行われていると思いますよ。 わたしの田舎では、21世紀になった今でも、 村人足(むらにいそく)と言って、共同体の総意として、労働力を提供して修繕などに当たったりします。 また、集落でイゴという海草を取ったり、岩海苔を摘んだりして、集落の活動資金を稼いだりします。 こうした活動に参加しないと、罰金が課せられる。 こうした活動も一種の税金と考えることができるのでしょうけれど、 これは、お二階が存在しない横の関係において生まれるものであって、 いわゆる徴税とは分けて考えるべき筋合いのものなのでしょうね。 《ムラ》は、基本的に縦の関係ではなく、横の関係で成り立っている。 そして、 《ムラ》と《ムラ》も横の関係であって、縦の関係ではない。 少なくとも日本では。 この《ムラ》に縦の関係が発生するのは、大概、よそ者が支配者や征服者としてやってきた時ですよ。 ☆◇ こうした巨大な事業には縄張りに住む人々が強制的に使役させられた。 ◇に関しては、 例えば、古代律令制などで行われた賦役などを念頭に置いて、書きました。 街道の整備なんかがそのいい例ではないですかね。 古代律令制度で行われた全国的な街道の整備は、税を都に効率よく運ぶためのものですよね。 あれなんぞは、まさしく《TAX ROAD》ですよ、地方から巻き上げた税金を都に運ぶために整備された(笑い)。 ローマの街道も《TAX ROAD》であり、同時に、支配のための《Miritary Road》であった。 民生のために作られたものではなかったということは忘れてはいけないと思います。 まっ、中国の運河建設でもいいんでしょうが。 江戸時代の場合は、参勤交代ロードですけれども(笑い)。 ☆☆ だとしたら 王権ないし天皇制についてその歴史的にして理論的な《正統性》は 無い。ということでしょうかね。デ・ファクト・スタンダードによるのみと。 ◇デ・ファクト・スタンダードでしょうね。
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- NemurinekoNya
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こんにちは。 税の歴史を知らないので───調べたことがない───よく分からないのですが、 税の原初的な形態は、やくざの《ミカジメ料》のごときものとして発生したのだろう、 と思います。 みかじめ料 http://www.web-sanin.co.jp/gov/boutsui/mini20.htm 縄張りに住む住民の保護を名目に、ヤクザのごとき権力者・支配者が一方的にその縄張り内に住む住民から搾取するものであったのではないか。 もちろん、このヤクザのごとき支配者・権力者が、その縄張り内に住む住民の福祉の向上につながることを、その住民から一方的に吸い上げた《ミカジメ料》である税を用いて行うこともありましたが、 これは縄張りに道路や灌漑施設などを整備することによって《ミカジメ料》の増収と《縄張り》の拡大を目的として行われるものであって、住民の福祉や暮らしの向上を意図して行われたものではなかった。 そして、こうした巨大な事業には縄張りに住む人々が強制的に使役させられた。 日本の場合も、明治以前まではこのように、ヤクザのごときことが当たり前のこととして行われてきた。 また、 近代的な議会が何のために生まれたかといえば、この際限のない《ミカジメ料》である税や税金を抑制するためです。 支配者である国王に対抗するための、こうした機関として議会は生まれた。 そもそも、議会は立法機関として生まれたものではないですしね~。 このことは、「代表なくして課税なし」という言葉に象徴される。 こうした原則が生まれたのは、13世紀のイギリスの《マグナカルタ・大憲章》。 それでもなお、 多くの場合、 立法、司法、外交権(戦争の権利)は、議会にはなく、支配者であるヤクザの親分(国王)に帰属していた!! 近代的議会誕生の地、イギリスでは、この国王の権利を議会が奪うために、血で血を洗うような長き闘争さえ繰り広げた!! ですから、 ☆民主制は その強制連行なる仕組みをすでに前提として その上で税制をつくり見直し作り変える制度であるに過ぎないのではないか? ◇議会民主制という制度に関しては、YESなのであろう、 と考えられます。 そもそも、議会(民主制)というのは、その為に作られたのだから。そして、これは未だに変わることなく守られ続けてきている。 ☆つまり主権の存する国民は いつこの強制獲得なる仕組みをよっしゃと言って認め許したのか? ◇積極的にこれを認めたことはないのだろう。 ただ、我々が生まれたときにはこのようなシステムが存在し、今のところ、割合うまく機能しているようだから、現状追認の形で認めているに過ぎないのであろう、 と考えられます。 契約説を引っ張りだして、もっともらしいことを言うことはできますけれども、契約説的な説明は後付けのこじつけに過ぎない。 「暗黙の合意がある」というのは、ちょっとどうかな、と考えますね~。 我々には税金をおさめないという選択肢は、実質的に与えられていないのですから。 この「暗黙の合意」は強制の上に成立しているのであって、自由意志の選択ではない!!
お礼
ご回答をありがとうございます。 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 税の歴史を知らないので───調べたことがない───よく分からないのですが、 税の原初的な形態は、やくざの《ミカジメ料》のごときものとして発生したのだろう、 と思います。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ それではわたしも調べないまま 推測で話をしますが: ◇ 縄張りに住む住民の保護を名目に、ヤクザのごとき権力者・支配者が一方的にその縄張り内に住む住民から搾取するものであったのではないか。 ☆ つまり何とも分からないのですが ヤクザはよほどムラや個人の生産力が高くなって余剰の価値でひとを養うに余裕が出来てから生じたのではないか。とは 考えます。 一年中 あそんでいることは許されなかったのではないかと。 すでに書いたと思いますが 小さな集落の周りに濠をほどこし さらにはその外には先の尖った杭をいくつも差しておくといった防備をおこなっています。用心棒を必要としたか。――いまは 保留とします。 ◇ 縄張り内に住む住民の福祉の向上につながること・・・道路や灌漑施設などを整備すること ☆ どうでしょうね。 たとえばイヅモでは 斐伊川が氾濫してあたかも八股の大蛇のごとく猛威を振るうとおそれられていた。 これの治水のためには ムラ中総出で 手間暇をかけて流れを落ち着かせ堤防を築いたと単純に推し測られます。 物語では スサノヲが酒を用意して八つの頭ごとに飲ませて 酔ったところを退治したそうですが スサノヲはよそからやって来たので 用心棒だったのでしょうか。 スサノヲのあとの世代では ◇ 《縄張り》の拡大 ☆ を越(こし)の何とか姫を――日本海沿いに舟で行ったのでしょうか――奪いに出向いていて 文字通りおこなってもいるようですが たぶん それでも ◇ こうした巨大な事業には縄張りに住む人々が強制的に使役させられた。 ☆ かどうかは わたしにはまだ保留としたいと考えます。なぜかと言えば そのオホクニヌシの場合には 八十神(かそがみ)もの多くの兄弟親戚がいたところ――そしてかれらから何度もイジメに遭っている―― これを乗り越えて ムラオサに成った。《縄張り争い》からむしろ自由な人間性であった。とも考えられるからです。 そういう人びとにとって《ミカジメ料》というのは 毎年の穫り入れのマツリやあるいは毎日の感謝と祈りにおけるその神々へ捧げるまつりもの(つまり 供え物)であったでしょう。神への税金納めです。いまでも続いているのではないでしょうか。 そのあとは この神が現実に目に見える姿をとって現われたというあたらしい思想が 横行したときから 別様のかたちで納税が始まった。のだと考えられます。 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~ 近代的な議会が何のために生まれたかといえば、この際限のない《ミカジメ料》である税や税金を抑制するためです。 支配者である国王に対抗するための、こうした機関として議会は生まれた。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ まぁ われらが日本の先祖さんたちは つつしみ深い人間であって せいぜいが各地であまりにも酷い苛斂誅求を推し出して来られたとき これに対抗して一揆をおこすくらいだったのでしょう。泣く子と地頭には勝てませんでした。 ◇ 近代的議会誕生の地、イギリスでは、この国王の権利を議会が奪うために、血で血を洗うような長き闘争さえ繰り広げた!! ☆ これは おそらく国王に対抗するのは 国王自体が 同類の中の第一人者( primus inter pares )だったのでしょうから 同じ仲間だと思っていた貴族たちであったと考えられます。ご勝手にどうぞと言うしかないような。いまも 階級社会なのでしょう? ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~ ですから、 ☆民主制は その強制連行なる仕組みをすでに前提として その上で税制をつくり見直し作り変える制度であるに過ぎないのではないか? ◇議会民主制という制度に関しては、YESなのであろう、 と考えられます。 そもそも、議会(民主制)というのは、その為に作られたのだから。そして、これは未だに変わることなく守られ続けてきている。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ ◇ ~~~~~~~~~~~~~ ☆つまり主権の存する国民は いつこの強制獲得なる仕組みをよっしゃと言って認め許したのか? ◇積極的にこれを認めたことはないのだろう。 ただ、我々が生まれたときにはこのようなシステムが存在し、今のところ、割合うまく機能しているようだから、現状追認の形で認めているに過ぎないのであろう、 と考えられます。 ~~~~~~~~~~~~~~ ☆ だとしたら 王権ないし天皇制についてその歴史的にして理論的な《正統性》は 無い。ということでしょうかね。デ・ファクト・スタンダードによるのみと。 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~ 我々には税金をおさめないという選択肢は、実質的に与えられていないのですから。 この「暗黙の合意」は強制の上に成立しているのであって、自由意志の選択ではない!! ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ この問題こそが その《強制連行》をめぐって広く客観的な議論が俟たれるところです。 なぜってわれわれは 誰もがみな意志に反して《税奴隷》とされているかとうたがわれるからです。 国連・人権委員会は この問題をこそきちんと調べ上げねばならないでしょう。
- titelist1
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脱税してバレても納税しなければ刑務所に入れられます。それほどに脱税は大きな犯罪なのです。それは税金がなければ国家を維持できないからです。それが嫌なら国を出るしかありません。税金天国の国に移住することは可能です。お金持ちの中にはすでにそうしている人がいます。 昔は国王が税金を徴収し無駄使いしていたのを監視する意味で議会が作られました。そして民主的に選ばれた議会が税金徴収を決めると、もはや国民はそれから逃れることができなくなるのです。国王制よりも民主制の方が税金には厳しいのです。 議会は税金の徴収と分配のためにできたのです。日本でも天皇陛下の命令だけでは徴税し難いので、明治時代に議会ができました。
お礼
ご回答をありがとうございます。 阿呆ですね。このご回答内容は。 ★ それが嫌なら国を出るしかありません。 ☆ それは お二階さんたちに言ってやってください。もうお手上げの段階にあるのですから。 そのことが お分かりにならないという答案は 阿呆ですね。 ★ 昔は国王が税金を徴収し無駄使いしていたのを監視する意味で議会が作られました。・・・ ☆ 誰が王を承認したのですか? 何もかもが自分たちの思い通りに成ると思っていたなら 大間違いです。
- kohichiro
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人間は動物の一種ですが、哺乳類たる所以から家族を作って身内の生命の維持を図るようになっっていました。これは本能的なものでしょう。家族がまた大同団結して群れをつくり、さらに強大な生命の維持と同一の家族集団の発展へと向かった。これは人間個々人の生物的な弱さをカヴァーするという面からも本能以上の、すでに知能が関係していた面があるでしょう。つまり人類としての独自の発展が始まったということです。これによって群れ全体(グループ)の利益が増進し、他の同様の群れとの競合において、自然の脅威からグループ全体の生命を守るという機能も付加されてきた、なかなか理にかなったよいシステムだという認識が構成員全体の共通認識になっていったということです。 それらの利益と機能を維持するために、構成員すべてがその中で何らかの役割を分担して受け持つ必要が出てきて、その役割が基本的な税制につながっていたのでしょう。それらは強制ではなく、役割や税金租税を拒否すれば、そのグループから抜け出なければならない、というルールも暗黙のうちにできてきたと思われます。 租税を払って、しかもその対価は少なく、その立場から抜けることはできないという身分は「奴隷」というものですが、日本では幸いなことに、そういったものは中世でも多くは見られなかったようです。 西洋のこむづかしい契約論の出現以前から日本ではそういった合理的な社会システムや人権が認められてきたといえないこともありません。
お礼
こういちろうさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。 次の A から B をみちびく推論について なお疑問がのこりませんか? A ★ これによって群れ全体(グループ)の利益が増進し、他の同様の群れとの競合において、自然の脅威からグループ全体の生命を守るという機能も付加されてきた、なかなか理にかなったよいシステムだという認識が構成員全体の共通認識になっていったということです。 B ★ それらの利益と機能を維持するために、構成員すべてがその中で何らかの役割を分担して受け持つ必要が出てきて、その役割が基本的な税制につながっていたのでしょう。 ☆ すなわち 社会が一階だけの平屋建てだったときの共同生活および共同自治の方式が A であり そこからどうしてかんたんに《税制》を持つ B の段階へと移行したのでしょう? それとも あくまで A の言わば民主制の基礎と枠内において 互いに資金や労働力を供出するという意味での《税制》が敷かれたに過ぎないという意味でしょうか? つまり 税制と言えばすでに社会が 二階建ての構造となった段階においてその二階のお役人がおこなう仕組みのことではないのですか? 《共生のために人びとそれぞれの貢献を強制的に引き出しこれを徴収する制度》のことではないのですか? すなわち この二階建ての家という国家に一足飛びに移行したわけではない。こう考えられます。 すなわち: ★ それらは強制ではなく、役割や税金租税を拒否すれば、そのグループから抜け出なければならない、というルールも暗黙のうちにできてきたと思われます。 ☆ というのは むしろ平屋建ての社会における共生や具体的なムラの人間関係のことではないですか? いわゆる租庸調は お上が おまえのところでは 何々が名産ではないか その織った布やその海産物やを持って来いと言い渡す場合の税制であり それ以前の場合とは別ではないですか? 全国各地からそれらの品物をむろん土地の者たちがはこびます。旅のお金は ぜんぶ自分たち持ちです。路銀がとぼしくなると どうしたか。とにかく届けたんだから 復路は野垂れ死にしようが もう仕方がないのかなぁと嘆いた人びとの声が なおまだ聞こえるかに思えます。 この税金を全国津々浦々から運ばせるためにこそ 東海道や西海道を 何を考えたのかまっすぐに引いてつくらせたそうです。それに引き換えむかしの人びとは おとなしくおおらかでゆたかな人間愛にあふれていたようです。これらの役にもすすんで手間暇を無償で提供しましたから。 でも 五百年は 忍耐強かった。後光が差すくらい 人間が出来ていた。それとも お人よしであったのだろうか。 ★ 租税を払って、しかもその対価は少なく、その立場から抜けることはできないという身分は「奴隷」というものですが、日本では幸いなことに、そういったものは中世でも多くは見られなかったようです。 ☆ 奴隷がいたか いたとしてどういう状態でどういう情況においてであったか。これは措くとしまして それでも 単純に言って 仏の顔も三度まででしょうから けっきょく各地で人びとも一揆を起こします。とうぜんです。 それでも首謀者が首を刎ねられても なお人びとは 落ち着いておりおとなしく お人よしであった。 現代人は もうすでにその段階を通り過ぎて来ていて 何のエネルギーも残っていないようです。すでにたましいが去勢されているかのようです。――というだけのことではないのですか? ★ 西洋のこむづかしい契約論の出現以前から日本ではそういった合理的な社会システムや人権が認められてきたといえないこともありません。 ☆ という知恵とそれを人びとに自由に発揮するための・あえて言えばクウキ これが 希薄なのではないですか いまは? 人の道がじゅうぶんにありふれていて 相手のワガママにも何百年もつきあってやったというほどの人間性が とうとう枯渇してしまったのではないですか?
- hekiyu
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例えば道路があります。 誰でもが使える道路は国家には必須です。 でも、誰でもが使える道路なんてのは市場では 供給されません。 だから国家が供給することになりますが、その お金をどうしたら良いか、となると国民から 盗る、じゃなくて取らせてもらう、ということ になります。 そんなもの、払うのイヤだ、なんてことを認めたら 国家は成り立たなくなります。 それでイヤでも取り立てる、ということです。 ”強制獲得経済であるのではないか?” ↑ 強制は強制ですが、国家の存在を認めるかぎり 仕方の無い強制です。 国家そのものが強制です。 俺は日本国民なんかイヤだ、といっても、どこかの 国籍をとらないと放棄できません。 ”民主制は その強制連行なる仕組みをすでに前提として その上で税制をつくり見直し作り変える制度であるに過ぎないのではないか?” ↑ そもそも民主制というのは国民に義務を課したところから 始まっているのです。 国民よ、兵役に出ろ、納税もしろ。 それが国家の為に必要なんだ。 判った。 そういう義務は果たすが、その代わり国政に参与する 権限を認めろ。 こうやって民主制が発展してきたのです。 兵役があるから民主制が誕生したのだ、とするのを 「重歩兵民主制」といいます。 ”つまり主権の存する国民は いつこの強制獲得なる仕組みを よっしゃと言って認め許したのか?” ↑ 国民国家になったときからです。 かつては、国家は王侯貴族だけのものでした。 それをルターの宗教改革により、国民国家が誕生し たのです。 国民国家では国家は国民のものです。 だから、国家を認める以上、それに付随する義務も 承認したことになったのです。
お礼
へきゆさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。 ★ そんなもの、払うのイヤだ、なんてことを認めたら / 国家は成り立たなくなります。 ☆ 成り立たなくなっても かまわないぢゃないですか。別の社会形態を作り直せばよいだけではありませんか? そもそも誰が国家をつくったのですか? だれがこれに承知をしたのですか? 作りたいって言うから 好きなようにさせてやったら この始末です。千五百年です。 国としても《家》をあらたに別様に建てたわけです。そのお二階さんでの住み心地にも いい加減もう飽きたでしょう。お手上げ状態になって来てるんぢゃないのですか? ★ ~~~~~~~~~~~~~~ 国家そのものが強制です。 俺は日本国民なんかイヤだ、といっても、どこかの 国籍をとらないと放棄できません。 ~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ お山の大将ごっこは もうジ・エンドです。ムラやマチの住民であることの周りにさらにもう一重 国民という垣根をつくりしかもその上に空中庭園のごとく二階族を生み出してしまった。市民たちは 一生の・千年単位の不覚であった。このような頭の上に屋根があってさらにその上に天上階があるという《家》の構造は うざっこいのではありませんか? 国籍をつくって共同生活するという仕組みを承認したのは 国民でしょう。 なら この承認を取り消せばよい。だけではありませんか? ★ そもそも民主制というのは国民に義務を課したところから / 始まっているのです。・・・ ☆ いいえ。すでに言って来ていますが 二階を増築して国なる家をこしらえていいよと言ったところで すでにその前から民主制は始まっています。のではないのですか? 国民に義務を課したのを 我慢してこれを履行して来てやっているだけのことです。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~ ”つまり主権の存する国民は いつこの強制獲得なる仕組みを よっしゃと言って認め許したのか?” ↑ 国民国家になったときからです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ だったらその以前の社会のかたちについても 考慮してあたらしい形態を模索すればよいではないですか。 ★かつては、国家は王侯貴族だけのものでした。 ☆ つまり 何を血迷ったか 国家は自分たちの家なのだと錯覚した歴史がありました。 領土も人びともみんな自分たちの《家》の財産であると 何を食ってそんなことを考えたのか 思い込み 何でもかんでも自分たちの思い通りになるとうそぶいていたときがありました。領民は 財産であり言ってみれば自由に処分できるモノだったのです。家産国家と言いました。 大統領になれば 自分の醜聞をも何もかもをも それは豚小屋行きだとひと声号令すれば 自分の思い通りに処理できると信じている場合さえもが見受けられます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~ それをルターの宗教改革により、国民国家が誕生し たのです。 国民国家では国家は国民のものです。 だから、国家を認める以上、それに付随する義務も 承認したことになったのです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ルウテルがそうしたかどうか分かりませんが どうしてこの今のかたちより他にはもうないと決まっているのですか? だれが決めたのですか? だから 国民に主権を認める以上 国民の考えの落ち着くところに従って さらに新たな人類史の時代を切り拓いて行っても それは誰もが承認するところとなるのです。
- simonmagus
- ベストアンサー率30% (210/689)
今まできちんとした教育を受けてきましたか? とりあえずルソーの社会契約論あたりくらいはお読み ください。 租税についてわかりやすいものを参考URLに付記して おきましたので、どうぞ参照ください。 あなたが疑問に思う「税の強制力」については 国民皆がルールに基づいた納税を行わなければ,必要 な税収は集まらず,また,不公平が生じるため。 ルールには強制力を付すことによって実効性を持たせる 必要がある。 これが国家の課税権。 税制は主権者である国民の意思を反映して議会で決定。 >つまり主権の存する国民は いつこの強制獲得なる仕組 >みをよっしゃと言って認め許したのか? 日本国憲法の30条と84条で規定されていますから、少な くとも公布された1946年(昭和21年)11月3日ってことでしょ。 (その前の議会で承認された日かも…) 主権(統治権)が「天皇」から「国民」へ移っったのだから。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ 国家の課税権。 ☆ が どこから来るのですか? という問いです。 集落の周りに堀をめぐらしさらに先の尖った棒柱をいくつも立てて襲撃に備えたのは もしそういう《ルール》を人びとが皆で決めてそうしたのだとすれば それがたとえルールゆえに《強制力》を持ったとしても 自分たちがそう決めてそうしているのです。 ムラに道を通し治水の堤防を築くのも 共同自治ゆえです。資金や労働力をみなで互いに供出するわけです。 ★ 税制は主権者である国民の意思を反映して議会で決定。 ☆ 国会がある限りで そういう仕組みであることは 論点ではありません。すでに前提事項です。 その仕組みは どこに根拠を置いているのか? です。 ★ とりあえずルソーの社会契約論あたりくらいはお読みください。 ☆ ルウソが言ったから ホッブズが述べたから デカルトが考えたから われわれはそのとおりに受け容れ生きるのですか? ★ 主権(統治権)が「天皇」から「国民」へ移っったのだから。 ☆ 主権が天皇にあるようになる前には どこにありましたか? どういう根拠で 天皇に移ったのですか? なぜそこから国民に移りましたか? ★ 日本国憲法の30条と84条で規定されていますから、少なくとも公布された1946年・・・ ☆ いやしくも哲学カテで問うているのですから 現状の追認というほどの回答を寄せて何になるのですか。 《棚卸し》哲学は なるほど準備体操であるかも知れませんが そこに留まっていてどうするのですか。 ごめんね。でも きつくないでしょう。
- 0fool0
- ベストアンサー率18% (134/738)
レベルが低過ぎて、まともに相手をする気にはなれないのだが・・・ 狩猟と農耕の性質の違いとしか良い様が無い。 哲学カテで聞く事自体が、愚かだ。 社会学位は学んでからにした方が良い。 ・・・まさか君を全否定している私を否定しないよねw 愉しませてくれるかい? ・・まさか、其処から教授して欲しいのか!!!!!!??????
お礼
何の中身もありません。
- kia1and2
- ベストアンサー率20% (482/2321)
すべて有料化にすれば、税金は要らなくなります。自宅前の道を歩くのも、当然あなたの所有物でないので有料、あなたの家に強盗が入り、110番も有料、警察が派遣されるのも有料、災害があれば、救助も有料。今、あなたが払われている税金以上の費用がかかります。それでも、無税であればいいと、何でもかんでも有料をお望みですか?
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ すべて有料化にすれば、税金は要らなくなります。 ☆ 《すべてを有料化する》という取り決めは 《強制連行》なる仕組みと同じ穴のむじなではないですか? つまり 税金を《無料のかたちで》強制獲得するというかたちで その前提となっている仕組みは けっきょく同じことではないのですか? だからすべてを有料にするという別の案が出て来ます。 つまりその《国家》というものがすでにどうしようもなく帯びている〔と無条件にみとめられているらしい〕その前提を問うています。どうでしょう?
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お礼
こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ◇ わたしの田舎では、21世紀になった今でも、 / 村人足(むらにいそく)と言って、共同体の総意として、労働力を提供して修繕などに当たったりします。 ☆ そうですか。いいことですよね。 町内会で 一度だけ 園児たちが交差点を横切るときの安全確認をやったことがあります。 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~ また、集落でイゴという海草を取ったり、岩海苔を摘んだりして、集落の活動資金を稼いだりします。 こうした活動に参加しないと、罰金が課せられる。 こうした活動も一種の税金と考えることができるのでしょうけれど、 これは、お二階が存在しない横の関係において生まれるものであって、 いわゆる徴税とは分けて考えるべき筋合いのものなのでしょうね。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ええ。分けて捉えたいと考えます。ヨコの関係にあっては いやいやながらやったとしても 後味のわるいことは あまりないと思います。 ◇ この《ムラ》に縦の関係が発生するのは、大概、よそ者が支配者や征服者としてやってきた時ですよ。 ☆ 対馬や福岡あたりの昔のムラムラは 或る日或る時 ここまでが国家の領土であると言って 海に線を引かれたのでしょうね。上からタテの関係が どさっとかぶさって来た感じでしょうね。その筑紫で磐井の乱をおこしましたね。 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 例えば、古代律令制などで行われた賦役などを念頭に置いて、書きました。 街道の整備なんかがそのいい例ではないですかね。 古代律令制度で行われた全国的な街道の整備は、税を都に効率よく運ぶためのものですよね。 あれなんぞは、まさしく《TAX ROAD》ですよ、地方から巻き上げた税金を都に運ぶために整備された(笑い)。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ええ。わたしも次のように書き込みました。: ☆☆ (No.5お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~ いわゆる租庸調は お上が おまえのところでは 何々が名産ではないか その織った布やその海産物やを持って来いと言い渡す場合の税制であり それ以前の場合とは別ではないですか? 全国各地からそれらの品物をむろん土地の者たちがはこびます。旅のお金は ぜんぶ自分たち持ちです。路銀がとぼしくなると どうしたか。とにかく届けたんだから 復路は野垂れ死にしようが もう仕方がないのかなぁと嘆いた人びとの声が なおまだ聞こえるかに思えます。 この税金を全国津々浦々から運ばせるためにこそ 東海道や西海道を 何を考えたのかまっすぐに引いてつくらせたそうです。それに引き換えむかしの人びとは おとなしくおおらかでゆたかな人間愛にあふれていたようです。これらの役にもすすんで手間暇を無償で提供しましたから。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 巨大古墳の造営にも駆り出されました。 まっすぐにかなり広い幅の大通りをつくったらしいです。NHKでやっていました。 そして あとは 賦役に駆り出された人たちが そのあと家に帰れずに野垂れ死にしたケースが少なくなかったと言います。コノヤローと一度叫んでやりたい。 ◇ デ・ファクト・スタンダードでしょうね。 ☆ つまりは この国家のかたちをいつでも変えることが出来ると確認しておきたかったのも この問いの目的です。
補足
暫定的にであっても 国家とその資金についての強制獲得経済は 理論的な根拠はなく ただ事実の済し崩しとして成り立ったデ・ファクト・スタンダードである。こういう中間の結論です。