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中原中也の詩「含羞」の「あすとらかん」について

おりしもかなた野のうえは あすとらかんのあわい縫う 古代の象の夢なりき ここの意味がどうしても理解できません。詩である上に夢の話だから普通の理屈にはあわないと言われればそうかもしれませんが、どのようなイメージを思い浮かべたらいいのでしょうか。あすとらかんとは「ロシアのアストラハン地方に産する カラクール種の生まれたばかりの子ヒツジの毛皮」。古代の象とはマンモスでしょうか。子羊の毛皮の間を縫うマンモスとはどういうことなのか、あまりにシュールで分かりません。現代詩と違い、中也の詩ではこんなに分かりにくい箇所はあまりないと思うのですが。

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回答No.2

象徴主義の影響を受けて書かれたものなので、語の意味よりも、音楽性が問題になります。この部分の解釈も、人により様々です。下の資料も参照してください。内容は少し難しいです。 http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10129/4315/1/KokubungakuKaishaku_37%283%29_71.pdf

noname#214088
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

noname#214088
質問者

補足

ありがとうございました。諸説あるのですか。 「あすとらかん」は〈子羊たちの姿をした白い雲〉で、「古代の 象」は〈巨大な象の姿に似た山〉でいいのではないか という池田純溢氏の「平凡だが無理のない説」が最も納得がいきました。「野の上」の雲の様子の描写とは思い至りませんでした。それにしてもこんなどうでもいいことを研究して給料をもらっている人がいるとは驚きです。

その他の回答 (1)

回答No.1

こちらのサイトはご存知ですか。 http://nakahara.air-nifty.com/blog/2012/03/post-2746.html

noname#214088
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

noname#214088
質問者

補足

そのサイトは見たことがありますが、それを見ても当該箇所のイメージがつかめないことには変わりません。毛皮の間を象がどうやって歩くのですか。何かの比喩だとすれば、何の比喩なのですか。

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